白狐兎が飼う柴犬の犬小屋の上にもくもくと灰色の煙が沸き上がったかと思ったら、空中にふわふわと浮かぶ男が、ポンポンと小さな鏡を見ながらパウダーをお肌につけていた。男の妖気がだだ漏れだったが、戦闘する気がないようだ。よく見ると、頭からちょこんと茶色い耳がぴくぴくと動いてる。
「あーもう、お肌が落ち着かないわね。全く、化粧直しが欠かせないわ」
「やっぱりお前か!? 狸男女!?」
白狐兎は、見構えて後ろに下がった。迅は、恐れて、犬のラッキーにしがみついて後退する。
「狸男女? どういうことだよ」
「失敬な。男女じゃないわよ。れっきとした男だわ。お肌の気になるお年頃でもあるの。本当にこれだからお狐様はデリカシーが無いわね」
「知ってるぞ!! 俺の油揚げ取ったの。お前だろ?!」
「えー? 何のことかしら」
狸の男はまたパフをぽんぽんと肌に塗る。
「しらばっくれるな。俺のこのうどん。本当はきつねうどんだったはずだ。ばあちゃんはいつもきつねうどんしか作らない!! 天かす入りのたぬきうどんなんて、恐れて作るわけがない」
「へぇー、ちゃんと頭使ってるじゃない。というか、お前って本当に失礼ね。名前がちゃんとあるわ。そっちの人ははじめましてよね。
パフをつけおえると、魁狸はくるくるとショートのくるくるパーマになった自分の銀髪を整えた。
「さーて、身だしなみは完了よ。慌てないで。今から本気出すから」
魁狸は、茶色のしっぽを大きく振りまわしてさらにジャンプする。青いネクタイがぱたぱたと動いていた。
「迅、気をつけろ。油断するなよ」
「いや、無理だろ。俺、今、札1枚も持ってないんだって。鬼の力なんて、制御できないし、ラッキーの後ろで隠れてるからお前やれよ」
「チッ……無能なやつめ。ほら、これ使えよ」
白狐兎は、持っていた札を迅に向かって3枚飛ばした。パシッと片手でつかむ。
「狐の技使えってか」
「今はごちゃごちゃ言ってる場合じゃないだろ。練習でもして、技出してみろ」
祖父の作った札以外を使ったことのない迅は、渡された札を凝視する。そこへ空中に浮かぶ魁狸がしっぽから細かく毛をたくさん飛ばしてきた。外した毛は地面に突き刺さっている。
「よそ見してんじゃないわよ~!! 私の攻撃を受けてみなさい!!」
「毛が針なのか?! お前、狸なのにハリネズミ化してじゃねぇよ。あぶねぇあぶねぇ……」
迅は、受け取った札をそのままに飛んで攻撃を避けた。
「ハリネズミ? なるほど、この技はハリネズミでいいじゃない!」
さらに攻撃をやめない魁狸に、白狐兎は、妖気でできた青い弓矢を作りだし、大きくなった矢を放った。
「いいわね、いいわね。いい度胸じゃないの!」
迅に攻撃していたかと思うと次は、白狐兎の方に向きなおして近づいたが、それをスルーして柴犬のラッキーの首をガシッとつかんだ。
「おい!? ラッキーは関係ないだろ。今は俺と闘ってるんじゃないのか?」
「そうかもしれないけど、この子はあなたにとって大切なものなんでしょう。じわじわと悲しむ顔を拝むのも悪くないかなと思ってねぇ。さーて、どんな顔をするのかしら」
魁狸は持っていた自分のしっぽの毛をラッキーの首に近づけた。白狐兎は額に筋を深く作り、拳をぎゅっと握りしめ、怒りが心頭する。地面を蹴り上げて、ラッキーを助けようとするが、すでに遅かった。にやにやと嘲笑う魁狸の足元では、ゴロンと地面に転がったのはラッキーの首だった。血しぶきが白狐兎の顔に飛んでくる。魁狸は白狐兎の姿を見て、大声で笑い空高く飛んでいく。
「うわわわあああああああーーーーーー!!!!」
白狐兎は、興奮して冷静さを保てなかった。悲しみよりも憎しみが勝る。白狐兎は飛び上がった魁狸の胸ぐらを勢いよくつかんで森の中まで力強く追い詰める。顔が数センチの距離で近かった。ぎぎぎと手が震える。
端っこの方では、迅が何度も白狐兎から渡された札を使って技を繰り出していたが、小さな煙しか湧き起らなかった。
「ダメだ。俺は無能だ……。札、札がないと無理だ」
がっくしとうなだれる迅は、白狐兎の父の狐次朗により、鬼の力が制御されてうまく使いこなすことができなかった。ラッキーの無残な姿を見る頃には、近くに白狐兎と魁狸がいない。
「ラッキー?! ラッキーがぁ……」
悲しみに暮れて倒れたラッキーの体にしがみついた。少しだけ体があたたかい。一緒に一夜を過ごした心の友の死に涙を流した。
迅の泣き声に気づいた空狐と風狐が咄嗟に駆け寄り、背中をさすった。
「つっちー、大丈夫?! ラッキーがかわいそう……なんて惨いことを」
「狸の仕業ね。まったく非道だわ」
2人は、迅の隣で一緒に悲しみに暮れた。
空では式神カラス2羽が旋回していた。白狐兎と魁狸はどこまで行ったのかわからなかったが、暗雲が立ち込めて嫌な空気が漂っていた。