冷たい風が吹き荒れる。土砂降りの雨が針のように当たる。それでも周りは炎に包まれていた。目から血がドクンドクンとしたたり落ちていた迅の顔が少しずつ、鬼の身体へと侵食されていく。もう歯止めがきかない。じわじわと筋肉が膨れ上がり、獣のような毛が生えてきた。上半身の半分が狼の姿に変わってしまった。犬歯をむき出しにして、四つん這いになる。もう人間の姿をしていない。獣の姿になってもまだ目からは血が噴き出している。人から鬼への変貌の時、迅は底知れぬ酒吞童子への恨みが強く湧き出てくる。叫んでも叫んでも解消されない思いだ。
迅の力を奪うように酒吞童子に指示された鬼柳は、目に負傷して酒吞童子の力により上半身が狼鬼の身体に変貌した迅の姿を見て、にやりと笑う。じりじりと、近寄った。迅は、低い声でグルルーとうなり声をあげる。横で回復術を唱えていた白狐兎は、迅の変貌に驚き、ジャンプして後退した。
「迅、目を覚ませ!! ちくっしょー、手のやけるやつだ」
手をパンとたたいて、神経を集中させた。まやかしの術を唱えた。これ以上傷を負わないようにと考えたが人間の姿に戻れるかはまだわからない。鬼柳は不気味な笑みを浮かべて、ぽきぽきと骨を鳴らした。本当の鬼の姿で下界に顔を見せたのはこれが初めてだ。
獣のような動きをする迅に何かされるのはないかと、白狐兎は急いで鬼柳の前に立ち憚った。
「これ以上、迅を傷つけるのはやめろ!!」
「白狐兎、そこをどけろ」
「……いくら、先輩だったとしてもこれは譲らない!!」
犬歯をカンカンと音を鳴らし、地面を前足の爪でひっかき、パワーをためて、迅はその場を高く飛び上がった。
「悠長にしてられないんだ。あのままじゃあいつはもう人間に戻れなくなるぞ!!」
突然、鬼柳は、人間の時のような柔らかい雰囲気の顔に戻った。それでも頭には角が生えている。白狐兎は状況が読めない。
「お、おっさん。一体何を言ってるんだ?! 今、迅を攻撃しようと?」
「捕まえろ!」
「うえ?!」
「いいから、はやく」
「へいへい、わかりましたよ。まったく、急に何だって言うんだ」
白狐兎は札を出して、術を唱える。
『樹木の呪縛』
どこからともなく、地面の下から次々と葉をつけたたくさんの木の枝が次々と飛び出してきた。ジャンプして高く飛び上がった上半身が狼鬼の迅の体に即座にまとわりついて身動きが取れなくなった。空中を飛んでいた白狐兎は右手のひらをついて地面に着地した。
「おっさん、これでいいのか? 本当にあいつ狼みたいな姿になってるけど」
「……狐の里に連れて行ってくれないか。あいつの目を早く治療しないと出血でぶっ倒れるぞ」
「おっさんはいいのか? さっき酒吞童子が迅の力を奪えって言ってたけど? 奪わずに帰るのか? 大丈夫なのか、それで?」
白狐兎は酒吞童子の恐ろしすぎる力を知っていたため、鬼柳を心配していた。
「逃げられたとか言っておけば、いいだろ。俺はそんなに強くないって……ことで」
「そんなんで話通じる相手じゃないだろ?! 今だって、どこかで監視されてるんじゃねえのか?」
「……そんときはそんときだ」
「お気楽すぎないっすか。それ」
「白狐兎、迅の力になってくれ。俺はもう
「そんな最期みたいな言い方。またやるっすよね、この百鬼夜行。ハロウィンも毎年10月にやるんだから。毎年恒例でしょ?」
「あのなぁ、お前も全部の妖怪倒してから言えよ? 周りをよく見ろ。そんな遊びでこっちにおりてきたんじゃねぇからな、俺は!」
鬼柳は、交差点のど真ん中、次々と変わる変わるの妖怪たちが迫ってくるのを指差した。
「なに言ってるんすか。酒吞童子がいなければ、こんなの雑魚みたいなもんすよ」
白狐兎は、パチンパチンと指を鳴らして、近づいてきた妖怪たちを除霊していった。さらに札を出して、術を唱える。
『鳳凰の舞』
一瞬にして、お相撲みたいな大きい亡霊たちを炎に包み込み、消え去った。土砂降りだった雨が少しずつ止んでくる。パンパンと手をたたいて、半径10mの妖怪50体ほどは除霊した白狐兎は、迅がいることを忘れていた。そこへ、水たまりにわざわざ入って走ってきたのは、空狐だった。
「つっちーー! なんで、そんなところにいるの!? ちょっと、白狐兎。なんで、つっちーいじめるのよ。早く出してあげなさいよ。あれ、しかもケガしてる。そのままにして、なんて酷い人。喧嘩も大概にしなさいよ」
「は? え?
「ちょっと、白狐兎。今はそんな話してる場合じゃないって、早くほどいてあげなさいって。かわいそうじゃない」
後ろから風狐の姿があった。2人とも、妖怪の除霊で少々衰退していた。さらに後ろから静かに現れたのは2人の母親である麗狐だった。
「白狐兎、そやつは何者だ。半分、鬼になりかかってるじゃないか。しかも、目をケガしている。そのままにしないで何とかしなさい」
「お、おばさん!? 来てたんですね。お疲れ様です」
「おばさんとは失敬な!」
「そうだ、そうだ。こんな美人な方をせめておねえさんと呼びなさい」
白狐兎の横で目をハートマークしていたのは鬼柳だった。鬼の姿だったため、身を案じた麗狐はジャンプして離れた。
「だ、誰なの? それ」
「そ、それって、ひどいじゃないですか」
体をくねくねさせて涙を流す。
「……おばさん。その人のことは放っておいてください。そのうち消えますから」
「そ、そんな?! 存在感なし? 確かに一度は幽霊になりましたけども?! 今はれっきとした鬼です!!」
シャキンと敬礼すると、指をさしてあきれる麗狐だった。
「なんなの? この人」
「おばさん、早く迅を狐の里へ連れて行ってもらえませんか。俺は、ここの妖怪の始末するんで」
「さっきからそのおばさんってやめてほしいけどね。事情は読めたわ。風狐、空狐。2人でその者を運んでやりなさい。私はここで妖怪の始末に参戦するわ」
「え、母上。一緒に行かないんですかぁ? 寂しいです」
「わかりました! 空狐、行くよ。いつまでもお母さまにくっついてないでー」
空狐の腕をひっぱって連れていく風狐は、白狐兎の術で生やした樹木をのぼって迅の身体をほどいた。右に空狐、左に風狐が迅の身体をおさえて、そのまま術を唱えて瞬間移動した。
「これで、安全になったわ。さぁさぁ、残りの妖怪たちを片付けましょうか」
「おばさん、年なんですから。あまり無理しちゃいけないっすよ」
「まだまだ若いですよ、奥様!」
「「あんた(あなた)は黙っててもらえるか(もらえる)?!」」
「ひひぃいぃいいいーー」
どっちが鬼かわからないくらいに恐ろしい顔で鬼柳は睨まれた。冗談は通じない2人だと理解する。周りでは、妖怪の塗仏、猫又、一反木綿、傘小僧、ひとつ目小僧、あかなめ、お岩さんなどたくさんの妖怪がうようよしていた。白狐兎と麗狐は、妖怪たちをそれぞれの霊力で次々と除霊した。
街中のすべての妖怪が消える頃、夜空には月と星が綺麗に輝いていた。
ビルの屋上の淵で空を眺める白狐兎は、ふと白い息を眺めた。麗狐はいやいやながらも、いつまでも鬼柳の雑談に付き合う羽目になっていた。