閑静な住宅街の真ん中の公園で、カラスたちがざわめき始める。夜は深い。風は冷たい。広場の中央で10歳の迅の体は2倍以上に膨れ上がり、筋肉むきむきの青い鬼と変貌した。酒杏童子はやっと望んでいた陰陽師の強い力を目いっぱいに取り込んで、嘲笑っていた。じわじわと闇の力が倍増する。
それと同時に迅の体が透明な姿へと変わっていこうとする。今ここに幼少期の迅と大人の迅が存在するが、鬼になったことにより、大人の迅の存在が消されようとしていた。これは酒杏童子の作戦でもある。鬼の力を途絶えることを防ぐため、陰陽師滅亡を考えていた。心臓部分にまばゆく青く光りの魂が少しずつ小さくなっていく。
九十九部長の体に憑依した鬼柳はその様子を見て、すぐさま立ち上がって行動する。壁に打ち付けられた多少の擦り傷は気にしてなかった。つい数時間前、酒杏童子とともに戦っていた者ではない姿だ。血相を変えて、鬼の姿になった10歳の迅の体の中に鋭い爪を光らせて、あるものを取り出した。
「うわわわぁあぁあああーーーーー」
「な、何をするんだ?!」
鬼の迅は叫び声をあげる。白狐兎は、鬼柳の行動に目を疑った。酒杏童子は自分の力がどんどんエネルギーチャージしているのに夢中で眼中になかった。迅は、透明の体のまま、四つん這いになって、胸をおさえていた。あと少しで命が絶えそうになる。
「先輩……一体何をしてるんだ。う……」
鬼の迅の体から丸い虹色の光が輝いている。10歳の迅の魂だ。鬼になっても、体の中の人間の魂は消えていない。まだ完全に鬼になった訳ではなかった。それを取り出した九十九部長の体に入った鬼柳は、両手につかみ割れそうな卵のごとく、丁寧に扱った。うつ伏せになった迅の体を仰向けに寝かせて、そっと、消えかかりそうな胸に魂を置いた。
「九十九部長? 先輩? 今って、一体どっちなんだ?」
『「静かにしてろ」』
鬼柳と九十九部長の声がエコーがかかって響く。透明だった体がみるみるうちに実体化されていく。魂を抜き取られた鬼の迅は生気を奪われ、ぱったりと倒れる。体を起こした迅は慌てふためく。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ。俺の体、あっち倒れたらやばくね?」
「……?」
『あれは、鬼になった迅だ。陰陽師の力は残されていない。お前は鬼になりたいのか? んじゃ、魂戻すか』
鬼柳は、要望に応えようとせっかく元に戻した体から魂を抜き取ろうとした。
「いやいやいや、鬼になりたいわけじゃねぇし。でも待てよ。俺の、子供の頃の俺。いないとまた消えちゃうだろ」
「落ち着けって」
九十九部長は肩に触れて、ポンポンとたたく。実体化した大人の迅の体からもう一つの小さな魂がぽんと丸く現れた。
『ほら、あるだろ。お前のもう一つの魂。これが、10歳の迅の魂だろ』
「え、いや、魂だけあっても。え、そっちにある鬼の体はどうするんだよ。人間に戻せるのかよ?」
『さぁ?』
「さぁ?! は?! どういうことだよ。くそじじい」
九十九部長の胸ぐらをつかもうとして、ハッと女性だということを思い出す。瞬時に頬を回し蹴りされていた。九十九部長は護衛術には長けていた。鬼柳は、しゅるりと霊体を九十九部長から抜け出て、また壁に打ち付けられていた迅に近づく。口から少しだけ出血する。
『言わんこっちゃないだろ。てか、今、肉体は九十九部長だって……あほやなぁ』
「土御門、まだ終わってないぞ。ここから集中しないとな」
九十九部長は腕を組んで誰もいない方向を向いていた。霊感がなく、どこに何があるかわからないが、とりあえず、状況は読めていた。酒杏童子は西の方向で怒りをあらわにしている。怒りの念は察知できるようだ。
「誰がそいつを助けろっと言ったのだ。鬼柳兵吉。裏切者め」
両目を紫に光らせ、強い風を拭き荒らした。強い念が辺り一面を覆う。
「最悪っすよね。裏切るなんて、俺もびっくりっすよ。ねぇ、先輩」
「何、共感してるんだよ」
「迅! 油断するな!!!!」
遠くの木の陰から大きな声で叫ぶのは怯えて近づくことができなかった白狐兎だ。破魔矢を放つが、既に遅かった。酒杏童子は復活したばかりの迅の体を高く持ち上げて、頬ぎりぎりに鋭い爪をあてた。
「さぁ、どう痛めつけようか。この世に陰陽師の力を消し去る時だ」
「くっ…………」
九十九部長はしばらく鬼柳が憑依していたため、気力がなくなり、その場にぐったりとしていた。白狐兎は、あまりに強い酒杏童子の力に怖気ついている。酒杏童子に体をつかまれながらも、迅は、手の後ろで、札をつかみ、念誦を唱える。
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空中に緑色の魔法陣を浮かばせながら、十二天将の式神を呼び寄せた。あまりにも強力な念誦のため、唱えている間、酒杏童子は何もすることができなかった。四方八方、式神たちが辺りを次々と取り囲んだ。酒杏童子は、攻撃しようとしたが、その偉大な強さに怯えて、腰を抜かし、慌てて立ち去っていった。しゅんと妖力を使って消えていく。酒杏童子がいない空間は闇深さを一瞬にして消えていき、平和な空気に変わって行った。
ドサッと体が地面に打ち付けると大きなため息をつく。
「あーーーー、殺されるかと思ったわ」
「あ? 終わったのか。いつの間に……」
『よく十二天将の式神呼び寄せられたな。結構、魔力強いだろ』
「……俺にはまだできない」
天を仰ぐ迅の周りにみなが集まって来た。九十九部長は何も見えなかったため、終わってほっとしていた。鬼柳は霊体のまま、ふわふわと浮かぶ。白狐兎はうらやましそうに下唇を噛む。
「何か、急にできた。たぶん、魂のいれかえあったからじゃねぇのかな。てかさ、俺のもうひとつの魂がそのままなんすけど?」
『あ、忘れていた……』
鬼柳は滑り台の上でふわふわと浮かぶ魂を取りに向かった。10歳の迅の魂は青く大きく光っていた。
『これが無いと、十二天将の式神が呼べなかったのかもしれないな』
「マジか。俺より10歳の頃の方が強かったってことか?!」
『それはわからないけどさ。まぁ、試しに除霊してから戻してみるか』
両手につかんでいた魂を持ちながら、青い鬼に変化したままうつ伏せに倒れた10歳の迅を除霊する霊体のままの鬼柳を見て、迅は疑問符を浮かべる。
「いや、マジでおっさん。いや、先輩。あんた、何がしたんだ? 敵なのか。味方なのか」
「……よっと。何とか元に戻りそうだ。ほら、魂戻しておくぞ」
鬼柳は、迅の話をそっちのけに10歳の迅の体を人間の元の姿に戻すことができた。まだ目が覚めていないが、呼吸を大きく吸っているのが見受けられた。ホッとする迅は、まだ納得できない思いが浮かぶ。
「だからよ、先輩!!!」
『そろそろ行くわ。いつまでもここの世界にいられないからな』
「は?!」
「土御門、現実を受け入れろ」
九十九部長は急に話をまとめようとする。
「助かりました。ありがとうございました」
突然、脇から出て来る白狐兎は深々と鬼柳にお辞儀する。
「おいおいおい、ちょっと待てよ。俺の話聞いてから成仏しろって、鬼先輩!!!」
『じゃあな~~~』
手を振って綺麗さっぱり霊体は消えていく。鬼柳はもうこの世にあらわれることは無かった。迅は、全然納得できていない。ポケットからタバコとライターを取り出し、吸いだした。
「勤務中だろ?」
と九十九部長にタバコを奪われる。
「今、午前0時ですけど、仕事中って言うんですか?!」
「それもそうか」
そう言って、九十九部長は迅にタバコを返す。ハイヒールの音がカツカツと鳴る。
「九十九部長、部長はあれでいいんですか。納得できます?」
「あれくらいしないと罰あたるだろ。鬼柳さんは。散々みんなに迷惑かけてるんだから」
「え? どういうことっすか」
「助けてくれたってことだろ。それくらい察しろよ。本当は敵だったんだから」
何故か横から出て来た白狐兎が話に入ってきていた。
「あ、そう? そういうこと? ……なんか、納得できねぇんだよなぁ」
「それより、白狐兎くん。明日からうちで働いてもらえるかしら」
「は? え? ん? そ、それは、ちょ……………」
「九十九部長、なんでそうなるんすか」
「だって、鬼柳さんいなくなったんだから、誰があんたのバディになるのよ」
「……???」
「俺がっすか。いいですね。よろしくです……」
「ちょ、待て。それ、断れって」
「いや、逆に助かります」
「でしょう。土御門に勝ちたいって言ってたわよね。目の前で見れるし、大丈夫よ。ね」
「いや、マジでやだ。絶対やだ。こいつに朝起こされるのマジで嫌だ―――――。先輩戻ってこーーーーい」
「死んだ人戻すなって……」
九十九部長はボソッとつぶやいた。
3人は空中に広げた虹色の異次元空間に吸い込まれるようにして現代に戻っていく。
誰もいなくなった公園で1羽カラスが静かに鳴いていた。やっと目が覚めた10歳の迅は何事も無かったように1人むっくりと起きて家に帰って行った。
西の空では、雲が切れて半月が見えていた。