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第71話 新たな敵

 振り返る間もなかった。起こったことに比べれば、雑じり気のない綺麗な音。ノイズをデータ上から切り抜いたような純粋な音が鼓膜を震わせる。その音は、おもちゃのように人形のように、造作もなく首を跳ねた。


 いや、跳ねたのではない。宙を舞うその断面は、音に比べて綺麗とも言い難かった。斬れたというよりは無理矢理に千切ったような、そんな切り口がマネキンのような首に刻まれている。そんなことを分析してしまったのは、目の前で起きた出来事があまりにも非日常だからだ。


 急いで振り上げた青の刀身に何かを斬る感触が宿った。


「なんだ腕、いや違う。牙?」


「そう、牙だよ。ハティのね。知らない? いやいや、知ってるはずだよ。この世界に何十頭といるもの。ハティはね、だいたいいつも群れで行動するんだ。スコルっていう色ちがいの赤い毛の子もいて、連携プレイを得意とする。こんなふうに、ね」


 いつの間に移動したのか。首を跳ねた主が刀の横に現れ笑顔を浮かべていた。斬られた牙を引き抜くと、別の角度から別種の刃が襲い来る。


「おっと……!」


 鍔で攻撃を受け止めると、月守は刃を弾いて後ろへと跳んだ。


「また、うるさいやつ。急に現れてなんだ?」


 直人も刀を握り、月守の横へと並んだ。二人のちょうど真ん中の位置で向かい合うそのプレイヤーは、ニコニコとした笑顔のままに細目をゆっくりと開いた。三日月のような冷厳な双眸は、どこか見覚えがあった。


「どうも。君にやられた物部芽依の兄の物部大地です。芽依の友達の西條さんが情報を漏らしそうだったから、首を飛ばしただけ。ほら、身体を貫いてもしゃべることはできるけどさ、さすがに首を切り離せばしゃべれないでしょ。あっ、でも、喉を潰すっていう手もあったか。まあ、もう今更しょうがないよね」


 そう一息にまくし立てると、カラカラと乾いた笑い声を上げる。しーんと、静かな空間には大きすぎる声だ。


「あんた、仲間を、妹の友達を殺したってのか?」


「うん? そうだよ。別にいいじゃん。本当に殺してるわけではないんだからさ。甘いよね~あんたも俺の妹の首斬ってれば、もっと簡単に情報聞き出せたかもしれないのにさ。まあ、どっちにしても話した時点で俺に殺されてたけどね」


「……お前」


「怒ったの? 人間とは思えないほど単純だな」


 冷笑を引きつかせて首を捻る。と、物部のミルクティー色のミディアムヘアが風に揺られた。


「! 後ろへ!!」


 直人の腕を引いて月守は空高くへ体を移動させた。突風が吹きさきほどまで佇んでいた地面を飾る雪が巻き上げられていく。


「おい、なんだこれは」


「やれやれ、また厄介だね」


 地に降り立った二人が見たものは、巨木のようにそびえ立つ怪物、イエティだった。


「さあて。さっさと終わらせちゃおうか」


 準備運動のつもりか、屈伸をして腕を伸ばしたその体は、すでに目の前から消えていた。 


 目で追うよりも耳で追うと言ってもよかった。とにかく目が追いつかないくらいに動きが速い。


 剣と牙が重なり合う音、衝突音、嗤い声と、音のする方へ視線を動かせばそこに姿が現れる。音の方が先に届くのだ。妹が猫だとするならばさながら豹のように動き回る。その隙間をぬって、イエティの強烈な打撃音が割り込んでくる。


 ビリビリと足元が揺れているのに気がついた美歌はようやく、自分が戦場の真っただ中にいることを思い出した。


 手元を見ると、指に弦が食い込み赤い線が残っていた。なんと形容していいのかわからない重たい感情が指先から血液を通って体全体に広がっていく。


「こんな簡単に――」


 指が、直接弦に触れる。ピックを持つことすら今は煩わしかった。弾くんだ。とにかく、音を、強い、強い音を。


「――絶対に、許せない」


 たとえ同じ楽譜を用いても、演奏者によって用いる楽器によって、材質によって、もちろん力量によって奏でられる音は微細でも変貌する。ピックを指にかえて弦を弾いただけなのに、美歌の演奏は生々しく躍動した。たとえるのならば、荒ぶる炎。


「ちょっと、うるさいかな?」


 見た目だけは優しいベージュに身を包んだ肉食獣の動きが止まる。止めたのは、直人と月守の二本の刀剣だ。


「何が、うるさいんだい?」


「決まってるじゃないか。歌姫の、あの独奏曲ソナタだよ。いくら速く動けても『面』で攻撃されたら呑み込まれてしまうからね」


「! なにをするつもりだ!?」


 物部が刀を弾いて後ろへ宙返りをすると、ダンジョンに揺らめきが生じた。天高く吊るされた一本の細長い糸が意思を示すように赤く煌めく。有門と瑠那が引っ張られたときのように。


 ハッとして直人が振り向いた先には困惑した表情の美歌が映っていた。


「……えっ?」


 急に音が途絶した。指が弦から離され、静止させられる。明らかに外からの力によって引っ張られている感覚。腕に足に無理やり力が込められ、自分の意志では動くはずのない脚が悲鳴を上げる。


 「うわっ!」と瞳をつむったときにはすでに地面から足が離れてしまっていた。風圧と重力が耳障りな音を立てながら、四肢をすり抜けていく。


 瞳を開けば遥か下にギターと車椅子が置かれたままだった。


(体が宙に浮いている……!?)

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