目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第67話 月守睦月という人

 青い扉へ入るといつものように転送が始まる。それぞれのダンジョンへと、周囲の装いが把握できないほどの超スピードで入れ替わっていく。真っ暗な壁や扉を構成している細かな粒子が赤茶色の煉瓦を重ね合わせた構造物へと、形を変えていく。


 ファーストダンジョン、「ベル塔」。瑠那とともに最初に訪れた何もかもが新鮮だった美歌にとっても初めてのダンジョン。その地へ、交わるとは夢にも思っていなかった新たな仲間を連れて再び訪れる。


「久しぶりだね」


 誰にでもなくそんな言葉が美歌の口から出た。しいて言うなら、ダンジョンに向けた言葉かもしれない。美歌のその言葉に「そうだね」と返すと、瑠那はすぐさま背中から杖を引き抜いた。


「ファジュログローブ!」


 杖から飛び出した一筋の火焔が、さっそく向かってきたバイコーンの額を貫く。一本だけ生やした角がポキリと折れ、傷口から楕円状に広がる炎が馬に似た四足を焦がしていく。焦げ跡だけの残った床を確認し、瑠那はくるりと杖を一回転させた。


「あのときは美歌ちゃんの手を借りなきゃ倒せなかったけど。私たちも強くなったんだね。さて、それじゃ、敵が押し寄せる前に用件を済ませちゃおうか」


「ああ。おそらくは、もうじき現実世界に戻ってしまう。ダンジョンにいられる時間はもう少ない」


 直人は、黒のコートのポケットからエレクトフォンを取り出すと、マッピングアプリを起動させた。何十層もの塔の間取り図が並ぶ中から目的の人物である月守睦月の名を探す。


「随分と熱心に見てるのね、彼のこと」


「はっっん!? 瑠那さ──」


 手で無理矢理口を塞がれる。間近に迫った瑠那の柔らかそうな唇にピンと立てた人差し指が当てられた。「しー」とか「静かに」とかいうあのポーズだ。本当に瑠那の行動は一つ一つ心臓に悪い。


「なっ、なんですか?」


 モゴモゴと手のひらの中で抗議すると、音を立てないようにゆっくりと手が離れていった。


「車田直人。随分と印象変わったよね。なんか少し柔らかくなった気がする」


 小声のくせに弾んだ声がまたもや美歌の心臓を跳ねさせる。美歌は動悸を自覚しながらもすぐに首を横に振った。


「そ、そうですね。髪型も変わったし、別人みたいだなって……」


「ふ~ん、それだけ?」


「そ、そうです! 瑠那さん! 私もまだまだ瑠那さんには及ばないかもしれないけど、アイドルなんですよ。誰かに恋愛感情を抱いたりしません」


「? そんなこと、私一言も言ってないけど?」


 わざとらしくそう言うと、瑠那は悪戯な笑みを浮かべた。


「る、瑠那さん! からわかないでください!」


「何を騒いでるんだ?」


 美歌は首を振って垂れた前髪を散らすと、直人の横へと車椅子を動かしていく。


「な、なんでもない! それより、見つかった?」


「ああ。こいつだ」


 直人が示したエレクトフォンの画面には忙しなく動き回る黒丸とともに『月守睦月』の文字が踊っていた。


「間違いないわね」


 後ろからひょこっと瑠那が顔を出す。


「それじゃ、通話して。まずはあんたが説明して、次に美歌ちゃんに代わって。お金のことに話がなれば、私が代わる」


 直人の指が名前がタップし、通話画面に移行する。通話ボタンを押して数コール後、相手が出た気配を感じた。


「──ああ、そうだ。ちょっとわけありでな。今、別の者に代わる」


 そう言うとすぐに直人は耳に当てていたエレクトフォンを美歌へと手渡した。


「えっ、まだ何も話してない──」


「苦手なんだ電話。頼む」


 苦手なのは電話だけじゃなく、話すこと全般なんじゃないかと思いながらも、美歌は渡されたエレクトフォンをつかんで耳に当てた。


「もしもし、月守睦月、さん……ですか?」


「ああ。私が月守睦月。どうやって電話をかけてきたのか知らないけど、何か困りごとでも?」


 返ってきた声は思った以上に落ち着いていた。アルトの低い大人の声だ。


「あの──」


 声の後ろに多数の音が聞こえる。唸り声に、地を蹴る音、それから空気を切り裂くような鈍い音。それらの音を重ね合わせると戦いの情景が浮かんでくる。


「もしかして、戦闘中ですか?」


「ん? そう、だけど!」


(絶対今、何かを斬った)


「構わないから話を続けてくれないか。時間が省ける」


「わかりました。あの──」


 前髪を分けて視線を前方に向ける。ぼんやりと、直人のジーンズの足元が視界を覆っていた。説得なんて何も考えていなかった。


 頭も口も回る方ではないことはわかりきっていたから、美歌はただ思いのままに言葉を紡ぐことだけを決めていた。だいたい電話をしている相手のことはほとんど何もわからないのだ。嘘も偽りもない真っ直ぐな言葉を届ける。ただそれだけしかできなかった。


「いきなりなんですが、私たちのギルドのリーダーになってくれませんか?」


「……ふーん、リーダーね」


 やや間があって出された返答は拍子抜けするほどのんびりとしていた。良いのか嫌なのかすら釈然としない。


「お願いします。ギルドをつくらないときっと勝つことができないんです」


「勝つ? あまり勝ち負けには興味がないんだけどねぇ」


 ダメか、とエレクトフォンを強く握り締める。


「そうだな。じゃあ、二個質問。その勝負、どうして勝ちたいんだ? そして、私のことは何も知らないだろう? どうして、私に頼もうと思った? あーそれからもう一個追加。私のことを教えたのはそこにいる直人だと思うけど、彼のことをどう思う?」


「……正直に答えればいいんですか?」


「ああ。嘘は一番嫌いだ」


「わかりました」


 頭のなかを整理させるために何度か深呼吸を繰り返すと、美歌は直人の顔を、次いで瑠那の顔を見上げた。


「どうしても許せないんです。効率的だとかって、勝手に人のダンジョン世界に入り込んで、人の世界をぐちゃぐちゃにして平気でいられることが、許せないんです。私は、一人一人の声を、一つ一つの音を大事にしたい。それを全部切り捨てるようなやり方は、絶対に許せないんです」


 声が、震えていた。涙が勝手に滲み出てくる。あのとき感じた理不尽な怒りが、体を心を震わせていた。


「勝つためには、たくさんの声が必要です。でも、それを一つの声に束ねることのできる人は私たちのなかにはいない。だけど、直人くんが月守さんを推薦してくれました。月守さんのこと、会ったこともないし、よくわからないけど──」


 瑠那の詠唱が聞こえる。乱れた足音。モンスターの唸り声。そして、直人が刀を振るい、ぶつかり合う音。それらの音の対処は全て二人に任せて、美歌は自分の今為すべきことに集中する。


「──でも、直人くんのことは信じられる。直人くんは、怖い人だと思ってました。いつも怒ってるし、傷つけるような言葉もぶつけてくるし。何より、私の過去を抉り出してくる。だけど……」


 美歌の視線は彼の背中を追っていた。自然と、美歌を守ろうと動いてくれているその背中を。


「違う。直人くんは、真っ直ぐな人。自分の感情に嘘をつくことができなくて、真っ直ぐ過ぎて危ないくらいに。だから、信じられる。直人くんが信じた月守さんを私は信じたい。お願いします。私たちのリーダーに──いえ、仲間になってくれませんか?」


「いいよ」


 あっさりと答えは返ってきた。あまりにも淡白すぎて美歌の方が「え?」と聞き返してしまったくらいだ。


「だから、答えはYES。あんた、見る目があるよ。直人はね、きっと誤解されやすいだろう。超不器用だから」


「あっ、ありがとうございます!」


「ああ。えっと、じゃあこのあとダンジョンを抜けるから、短時間でも、話をしたい。あれこれとめんどくさい話し合いをするのは後日にしても、顔合わせくらいしとかないとな。そうだ。あんた、名前は何て言うんだ?」


「はっ!…………」


 自己紹介すらしていなかったことに、美歌は今更ながらに気づき、恥ずかしさでいっぱいになった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?