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第59話 アイドルしている瞬間

「カッコいいじゃん、ピアノ弾けるの。美歌ちゃん、ピアノは?」


「昔、レッスンはやっていたよ。楽譜も読めるし。でも、ギターがあるから……でも、少し弾いてみたい……かも」


 呟いた自分自身の言葉にハッと驚く。まだまだ半人前なのに何を言っているんだ。


「いやいや、ごめん!」


「なんで? 何か謝る必要が?」


「だって、ギターだって歌だってまだまだなのに。ピアノも弾きたいなんて言ってしまって……。まずは中級魔法を全て覚えて、それから上級魔法も覚えて――それに、ピアノはペダルを踏まないといけないし……」


 動かない足を見る。お金さえあればなんでもできるマネーダンジョンだとしても、さすがに動かない足でペダルを自在に踏むことはできない。


「なるほど、確かにピアノはペダルを使った方が表現力がぐっと上がる。魔法の種類も多様だろう。だが、実はピアノスキルにはもう一つ、いや二つか相性がいいスキルが存在する」


 木製の杖を動かすと、スケールは目的のスキルへ画面を動かした。


「『作曲』スキル……?」


「そしてもう一つ」


 画面が下へとスクロールする。そこへ浮き出た文字は『編曲』スキル。


「作曲と編曲。そんなスキルがあるんですか!?」


「そう。金木瑠那が杖製造スキルをつかってオリジナルの杖をつくったように、作曲スキルを使えばオリジナルの曲が、編曲スキルを使えば既存の曲にアレンジを加えることができる。……のだが、ダンジョンの制約上、このスキルを使うためには何らかの楽器スキルが必要となるのだ」


「あーなるほど。だからピアノスキルとの相性がいいわけか」


 足が疲れたのかすずは、幾度も雑誌の表紙を飾ってきた長い脚を交差させた。


「ギターでも、そして楽器がなくても作曲はできるけどね。だけど、このダンジョン世界では楽器が必要……となればたしかにピアノの方が作曲はしやすいかもね」


「ピアノは音の数が多いし、五線譜に書き込みながら音も創れるから――じゃあ、そのスキルを購入すれば曲が作れるっていうことですか!? 新しい曲を……」


「ダンジョンの世界ではな。ナビのサポートが全面的に借りられるため、お前たちの世界と比べ修練ははるかに少なくてすむだろう。とはいえ、熟練度システムの範疇にあるため、すぐに思い通りの曲ができるわけではない。さらに基本的にダンジョンにおける曲は魔法だ。耳で聴いて素晴らしい曲がイコール強力な効果を及ぼすわけではない。5つの属性を考慮した上でだな、演奏のしやすさや魔法の発現など――」


 頭蓋骨がカクカク動き、スキルの詳細を説明するが、美歌はほとんど聞いていなかった。美歌の頭の中にあるのはピアノスキルを買って、作曲、編曲スキルを買えば、曲を作ることができるという単純明快な道筋のみ。


「スケールさん、私――」


 美歌は目を閉じた。


 途端に潮騒のような歓声が沸き上がる。照明が落とされ、スポットライトが浮かぶ。音が、無数の音がキラキラと瞬き、共鳴し、一塊の大きな音が創られる。昨年末のライブの景色が鮮明に蘇った。あのとき心に決めて誓ったことがある。


『もっと、もっと歌をうたいたい。演奏したい! みんなと一緒に声を上げたい!!』


(だから、私)


「音を創りたいです。みんなが声を上げてくれる。一緒に声を上げられるような音を!」


「では、購入するがいい。ピアノスキルに作曲スキル、それと編曲スキルを」


「はい!!」


 雲一つない青空の下で柔らかな陽光のように輝く美歌の笑顔を見て、密かにすずの顔が綻んでいた。





 その流れるような滑らかな旋律は、容易に海を連想させてくれた。


 穏やかな凪の海だ。目を閉じて耳を澄ませているだけで、遠くどこまでも続く海辺へと誘われる。胸をよぎるのは、みんなに囲まれて過ごしたあの懐かしい日々のこと。騒がしくて煩くて、あんなに早く抜け出したいと思っていた毎日だったのに──。


 音が部屋の壁に染み入るように消えていった。すずはくっきりとした丸い目を開くと、演奏者へと顔を向ける。耳につけた赤色のピアスが揺れた。


「すごいじゃん。ピアノも」


「ううん。全然まだまだだよ。やっぱり、思ってた音には全然届いてない。いっぱい練習しないと……」


 美歌は鍵盤から十指を離すと、乱れた髪を直してすずへと顔を向けた。演奏の余韻がまだ残っているのか、その表情にはアイドル然としたオーラがまだ宿っていた。


「これだけ弾ければすごいと思うけど。映像も頭に浮かんだし」


 とはいえ、確かにあの圧倒的な歌とギターの音色に比べると、とすずは密かに思った。


 最初にあの音を生で聴いたときには、腰が砕けて立てなくなってしまうほどだった。


 怒りの渦で埋め尽くしたはずの心の中に、滴のように美歌の音が忍び込んだ。


 音は波状に響き渡り、怒りも憎悪も呑み込んでいく。


 勝てない、というよりも虜になってしまった。人生の中であんな音に出会うことができるなんて、想像もしていなかった。


「ありがとう。すずちゃん」


「なにが?」


 美歌が購入したのは、リザードマンのリーマンが店主として経営している楽器店『a bene placito』のグランドピアノ(r-550)だった。


 いくらダンジョンの中とはいえ、あのグランドピアノだ。当然値は張り、ほとんど全てのエレクトロンを使ってまで購入したグランドピアノは、楓を材木に、適度に強度を高めた特製の鋼を用いた弦を張った特注らしく、発する音は耳だけでなく体を巡る全細胞が喜ぶほどだった。


 グランドピアノはコンサートホールでも十分性能を引き出せるほどであるため、自ずとサイズは大きくなり、持ち運びはもちろん不可能。


 購入直後にフィッティングルームへと送られ、適切な場所へと配置された。その大きな買い物であるグランドピアノを弾きながら、美歌は改めて音の響きを楽しんでいた。


「私、誰かにギターの音を聴いてもらえることが、歌を聴いてもらえることだけで泣いてしまうくらい嬉しかったはずなのに、いつの間にかもっと欲張りになってしまっていたのかもしれないって。どんなに小さな声でも誰かが一緒に声を上げてくれれば、という思いでウィスパーボイスって名前を付けたのに、その最初の気持ちを忘れてしまっていた。すずちゃんとのデートで大事な気持ち思い出せたから、ありがとうって」


 あまりにも真っ直ぐに目を見つめながらお礼の言葉を言われたものだから、すずは美歌の瞳を直視することができなくなって視線を下に向けてしまう。


「美歌ちゃんのためじゃないよ。自己満っていうか。知ってると思うけど、浦高でもさ、美歌ちゃんみたいに傷ついて活動できなくなったり、普通科に行っちゃったり、最悪転校、退学してしまう子もいるから。それに――」


「それに?」


 自動ドアが開くように、自然に口を開こうとしてしまっていた自分がいることに気がつき、すずは目を丸くした。


 だが、すぐにその原因は今聞いたピアノの旋律だということに思い当たる。


「それに……」


 不思議そうに首を傾げた美歌の目を見つめ返す。嘘を吐くのは簡単だ。だけど嘘を吐いてしまえば、純粋なこの目を見つめることはきっとできなくなる。


「……なんでもない」


 そう直感が告げても、重い口はすんなりと開いてくれはしなかった。


「違う。なんでもないわけじゃないけど、今は言えない。瑠那さんにも浦高のメンバーにも、誰にも話していないことだから、言えない。美歌ちゃんのせいで言いそうになったけど……とにかく、自己満っていうこと。美歌ちゃんのためにデートしたとか言ったら、めっちゃ上から目線じゃん!」


 最後の言葉が面白かったのか美歌は笑い声を上げると「そうだよね」としきりに何度もうなずいた。


「上から目線だよね! 誰かのためだけに何かをしようってさ。……じゃあ、私も自己満で、すずちゃんの話、今度聞きたい」


 飾らない笑顔に、物言いに胸が締め付けられる。久しく感じていなかった嬉しさと同時に、ウィスパーボイスとして齋藤美歌というアイドルとして、瑠那や大勢のファンから注目を集める理由を突きつけられた気がして。


「今、アイドルしてるよ、美歌ちゃん」


「えっ、ど、どこが?」


「さあ、どこでしょう?」


 いつもの笑顔をつくると、困惑する顔を楽しそうに眺める。


「ちょっと、教えてよ! 気にしてるんだから!」


「いや~自己満かもしれないから」


「ちょ、ズルいよ! それ!」


 二人きりの空間に笑い声が響き渡った。瑠那からの連絡が来るまで、誰も気にすることのない二人の会話は止まることがなかった。

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