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第58話 ピアノスキル

「うん、体が拒否してるってこと。美歌ちゃん、ちゃんと勉強の時間確保できてる?」


「えと、それは──」


 言われてみれば全く勉強していた記憶がなかった。通信だからどこかでまとめてやればなんとかなるって感じでやってきたけど。


「浦高は、アイドルの活動以外も普通科の勉強の時間もあるからさ、ある意味無理矢理勉強させられているけど、美歌ちゃんはそうじゃないでしょ? 一日はどんなスケジュールなの?」


「一日? えっと、日によって違うけど、日中仕事して、夕方からギターと歌のレッスンを受けて、帰ってきてからファンの方からのメッセージ読んで、ブログ書いて……」


「もう夜じゃん」


「うん……で、でも、やっぱりせっかく送っていただいたメッセージだから、全部読まないと」


「でも、面倒くさいことや嫌なこと書かれたりするメッセージもあるわけじゃん」


「そうだけど……」


 大仰なため息を吐いて木の香りがするバーカウンターに突っ伏すと、すずはすぐに「ダメだ」と言って顔を上げた。


「マスター、チェックお願いします」


「はいよ」


 野太い声が頭上から優しく降ってくる。場慣れしたすずのやり取りに感心していると、いきなり車椅子の背を動かされる。


「ボーッとしてないで、外、行くよ」


「ええ!? チェックってそういうこと?」


「そうだけど。ここで話聞いててもしょうがないなって思って。もう、大丈夫なんでしょ?」


「だけど、どこに? 瑠那さんたち情報集めに行ってるし、なんか遊んでるみたいじゃ──」


「あっ、いいねそれ。どっか遊びにいこっか!」


「ええっ!?」


 慌てる美歌をよそにすずはエレクトフォンで会計を済ませる。


 マスター・ウルフガイからぶっきらぼうなお礼の言葉を投げ掛けられると、すずは美歌をエスコートしようと後ろへと回った。


「えっ、ホントに?」


「本当に。どこか行きたいところある?」


「──おっと、ちょっと待ちな。歌姫、美歌」


 外に向かって進もうとした背中に低音ボイスがかけられた。


「私、そんな歌姫なんかじゃ──」


 と、言いながら振り返った美歌の顔の前にもさもさの毛で覆われた手が突き出された。ごわごわした人差し指と親指でつまむように差し出されたカードは。


「当店のポイントカードになります。ドリンク一杯注文で1ポイント。10ポイント貯まれば無料で一杯サービスします。ポイントカードの裏にあるバーコードをお客様のエレクトフォンで読み取れば当店のアプリもダウンロードできますので、よろしくお願いします」


「はっ、はあ……ありがとうございます」


「ってわけだ。何かあればいつでも来な。いつでも話し相手になるし、愚痴も聞くぜ」


 ウルフガイはまた口を大きく開くと、親指を立てて美歌を見送った。


「あっ! ありがとう!」


 歓迎されたんだ、と笑顔を輝かせると、美歌はすずに背中を押されて酒場を後にする。扉が開き、外へ出ると眩しい明かりに目が細まる。


「さて、どこに行こうか!」


 弾んだすずの声を受けて、美歌も心を決めてどこへ行こうかと思案する。


 プレイヤーの趣味嗜好、戦闘スタイル等々に合わせてダンジョン前のさながら城下町と表現できる街並みにはプレイヤーたちが構える多種多様なショップが出店していた。


 仕組みはわからないが、酒場や武器、防具を扱うお店のように店を構えるところもあれば露店商のように地べたにスペースをつくって商売しているものもある。市場しじょうのようなものだ。


 プレイヤーがほしいものは全てここで購入することができる。それはダンジョンに関わるもの以外にも、ホットミルクのような飲み物や食べ物、嗜好品など一見不必要と思われるものも売られていた。


 お金さえあればなんでも買える。「マネーダンジョン」と呼ばれるダンジョンの特徴が最も表れた場所がここ市場なのかもしれない。


 多くのプレイヤーが行き交い賑わいを見せてはいるが、売っているものが違うだけで日常にあるショッピングモールとさほど違いはない。そう思うと、今行きたい場所はここではなかった。


「もう少しゆっくりできるところ──そうだ、今ならスケールさんのところ空いてるかな?」


「スケールさん? ああ、教会か。どうだろう一定、クラスの変更で来ているプレイヤーがいるかもしれないけど、ま、ここよりは静かでしょきっと」


 あらゆるお店のなかで教会は特別な地位を占めていた。


 ダンジョン攻略に必須となるスキルやクラスの購入、クラスの変更が行えるのはこの場所だけだからだ。


 スキルの変更だけならば必要に応じてダンジョン内でも、エレクトフォンを使用しての変更が可能だが、たとえばファイターからマジックに、マジックからクレリックにと、クラスを変えるのはここだけしかできない。


 そうした意味合いからか、教会と名がついている通り内部構造は他の場所よりも特別感のある雰囲気になっている。


 古代ギリシャを連想させるような巨大な石柱に囲まれた祭壇が真ん中に配置され、周囲の壁はぐるりと一続きの青空のように群青色で覆われており、見上げればどこまでも続く空の中にいるような解放感が味わえる。


 上昇気流に乗って鳥のように自在にどこまでも羽ばたいていけるような感覚が。


 美歌の瞳に映る青空の中に、一輪の花のように可愛らしく微笑むすずの笑顔が入り込む。


「ここ、好きなんだ?」


「うん、好き」


 空を見上げていた顔を正面に戻しながら答える。と、すずの後ろから人骨が近付いてくるのが見えた。灰色のローブで全身を覆った教会の主、スケルトン。


「スケールさん!」


 美歌の嬉しそうな声に風が吹いたら飛んでいきそうな細い片手を上げて応えると、スケールと呼ばれたスケルトンの窪んだ眼窩の奥がぼうっと白く光る。


「ようこそ。活躍は聞いている。美歌。今日はスキルの購入か?」


「ううん! ちょっと青空を見に!」


「そうか。物好きな。そして、隣の松嶋すずは何用だ?」


「美歌ちゃんとデート。けどさ、スケールさん。私はフルネームで呼ぶのに、美歌ちゃんは名前で呼ぶの? 不公平じゃない?」


 薄ら笑いを浮かべたすずのヒヤリとする声音にスケールはビクッと肩を鳴らした。


「いやいや決してそんな! ただ、あのスラッグのやつが美歌の話ばかりするものだから、ついな。他意はない」


「冗談。美歌ちゃんを名前で呼びたくなるの、なんとなくわかるしね」


「そ、そうかな?」


「ああ。スラッグのお気に入りのプレイヤーだからな、お主は。……ところで、どうだスキルの一覧だけでも見ていかないか?」


 肉付きがないためにどうしても貧相に見えてしまうスケルトンは、暇をもて余しているように見えた。


 それはそうだろう。予想に反して、今は美歌とすずの二人以外は教会内には誰もいなかった。プレイヤ──人一人のダンジョン滞在時間が増えていく分、比例して暇な時間も増えていってしまうのだろうか、と美歌は少し寂しげなスケールの顔を眺めながらスケールが一人でぽつんと佇む光景を想像して頬を緩ませた。


「暇なの?」


「ちょ、すずちゃん直球!」


「いやいや構わん。事実そうなのだから。プレイヤーの多くが初心者だった頃は、大勢が我が教会に訪れてスキルやクラスの特性について談じたり、新しいスキルを購入し、クラスを変更しと大忙しだったものだが、この頃は自分の戦闘スタイルを決めてしまったのかめっきり訪れるものも減ってしまった。特にギルドができてからは、様々な疑問や問題はギルドの中で解決してしまっているようで、ここへは本当に必要なスキルを買うことくらいにしか足を運ばなくなってしまった。もうなんだか、コンビニのようなものだ」


 息を吐いて肩を落とすと、哀愁が漂い一層その骨が脆く見えてしまう。


(……というか、コンビニって知ってるんだ)


「スケールさん、スキル一覧見せてください。買っていない音楽魔法スキルまだいっぱいありますよね?」


「う、うむ。まだまだある。音楽魔法スキルは平均よりも高い金額に設定されているしな」


 スケールは骨と骨の間に挟み、落ちないよう脇に抱えていた武骨なデザインの杖を振った。


 すぐに透けた黒色のディスプレイが美歌とスケールの間の空間に出現する。


「魔法系統からバード・スキルを選択……。よし、バード・スキルの一覧がこれだ」


 黒バックに浮かび上がるように文字が羅列される。美歌のクラスでもあるバードの名を冠されたスキル群は、全てが音楽を奏でることによって発現する魔法のグループだった。


 基本的にお金があればなんでも買うことのできるマネーダンジョンにおいて、どのクラスでも全てのスキルを購入することはできる。だが、たとえばバードのクラスになることで、バード・スキル──音楽魔法スキルや魔法に必要な楽器スキル等が内包されている──が安くなるなどの特典があり、使いたいスキルに有利なクラスに就くことが一般的な戦略になっている。


 美歌のようにバードスキル一本で行くと決めれば、クラスの選択は比較的容易なのだが、人によってどうするか、その選択の幅は広い。


「美歌ちゃんの楽器スキルはギターとソングだけ?」


「うん。この足になってから、諦めてたからずっと。でも、ここでなら自由にギターが弾けるって瑠那さんから聞いて、最初にギターを選んだんだ。それから、有門さんから歌もうたえるって教えてもらって、ソングスキルを選んで」


 最初にスキルを購入したときのワクワク感が甦る。自分の音を奏でられるだけで、歌えるだけでどんなに嬉しかったか。


 当時の気持ちに浸りつつ、美歌はスキルが列挙された画面を食い入るように見つめた。


 音楽魔法によって現象を発動させるためには、2種類のスキルが必要だ。1つがハードの部分、自身の声も含めてどの楽器を用いるのか。


 もう1つがソフトの部分、楽譜だ。この両方のスキルから好きな楽器と楽譜を選んで魔法を創り出すのが、音楽魔法の特徴であり醍醐味でもあった。


「スケールさん。やっぱり楽器スキルによって、違いはあるんですか? 私がソングスキルを選んだときには、ギターと歌で相乗効果が生まれるって有門さんが言ってたんですが」


「うむ。もちろん、それぞれの特徴がある。音楽魔法は、音を重ねることで一般魔法以上の範囲と威力を持つ強力な魔法を生み出すことのできる魔法だ。そうした点でいえば、奏でられる音が多ければ多いほど、また同時に重ねることのできる音が多ければ多いほど、同じ楽譜を用いてもその強さが変わる仕組みになっている。だが、音域が広いほど楽器の大きさも変わるだろう? ギタースキルは、ダンジョンへ持ち運ぶという点でも音の数という点でももっともバランスの取れたスキルとなっている。が、極端な例をあげればこのピアノスキルは最も強力ではあるが、持ち運びには適さない」


 暗闇の中に浮かぶ「ピアノスキル」の文字がくっきりと浮かび上がった。


「ピアノ……か」

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