瑠那と有門が酒場を出たあと、美歌と松嶋は横に並んでドリンクを飲んでいた。
読めない英語のラベルが貼られたお酒の並ぶバーカウンターに座って。
怖すぎる顔面のウルフガイが笑顔なのかよくわからない口を開けて、「任せな!」と出してくれたホットミルクをちびちびと飲みながら、美歌は以前にも感じたこの不思議な状況に浸っていた。
松嶋すずは、老若男女誰もが知っているであろう今最も勢いのあるアイドルグループ「浦見ヶ先高校」──通称「浦高」のセンターを務める超人気メンバー、いわば「浦高」のエースだった。
通常最高学年の3年生か2年生がセンターになることが多い中、入学したばかりの15歳、1年生でセンターに抜擢された大型新人。
歌唱力もダンスも、容姿も、何よりもアイドルとしての立ち居振舞いが完璧と「パーフェクトアイドル」の名をほしいままにしている。
そんな松すずが当たり前のように横に座り、同じホットミルクを飲んでいることに、美歌は瑠那と初めてダンジョンへ挑んだときと同じ場違いなような夢見心地なようななんとも言えない感覚を味わっていた。
「美歌さん」
「えっ、へ、は、はい!」
実際、松嶋は可愛かった。瑠那が綺麗という言葉を体現したような美貌の持ち主だとするのなら、松嶋は可愛いを体現したような人物だった。
ふわりとしたベビーフェイスに常にキラキラと輝くその黒の瞳。ほんのりピンク色がかったロングヘアを今日はおだんごにまとめているから、チャームポイントの長い睫毛と赤ちゃんみたいなほっぺが存分に堪能できる。
そんな全てのパーツがパーフェクトな可愛いさで統一された顔が間近にあるだけでも破壊力抜群なのに、にっこりと微笑んでくれたりすればもう、ため息が漏れ出てしまいそうだった。
「美歌さん?」
「はっ! すみません、つい」
見とれていたなんて言えない。ポロッと出てしまいそうになった本音をごまかすためにミルクに口をつけると、続きを促す。
「なんですか?」
「同い年だから美歌ちゃんって呼んでもいいかなって」
「み、美歌ちゃん! はい、全然全然大丈夫です!」
「ありがと! じゃあ、敬語もやめるね。美歌ちゃんも名前で呼んで?」
「いやっ、はあ、ええっと……」
素敵な微笑みのまま顔を覗き込んでくる。クリっとした愛らしい瞳が心の中を見透かそうとするように見つめてきた。
「わ、わかったよ! よろしくお願いします。すずちゃん!」
名前を読んだだけで罪悪感と恥ずかしさが同時に込み上げてくるのはきっと、今の美歌が浦高の一ファンに戻ってしまっていたから。
美歌は赤くなった顔を隠すためにマスター・ウルフガイの毛むくじゃらの背中に視線を向けると、ごくごくごくごくとコップに注がれたミルクを飲み干した。
「すみません! おかわりお願いします!」
その様子を見て、隣から楽しげな笑い声が弾けた。
「美歌ちゃん、わかりやす過ぎ! 瑠那さんがこの前言ってたけどさ、ずっと浦高のファンだったんでしょ?」
「いえ、あの! 今もファンです……ファンだよ! 毎週、『浦高AFTERSCHOOL』見てるし、あの、すずちゃんの──」
「私の、なに?」
またもやじっと見つめてくる視線に心音が跳ねる。「すずちゃんと話してると心臓が持たない」などと余計なことばかりが頭に浮かんでしまう。
「写真集も!」
「お!」
「写真集もいっぱい見た!」
「いっぱい見た?」
「あー違うくて、あの、変な目線とかじゃなくて、あの、参考に……」
そこで話を区切るように「あいよ」とミルクがなみなみに注がれたコップがテーブルに置かれる。
美歌はお礼を述べると、さっそく気持ちを落ち着けるために口に含む。ホットミルク独特の優しい味わいが身体中に広がっていった。
「参考かーたしかにあれはかなりぶりっ子してたけど『アイドル』らしく」
急に真顔になると、すずも両手で包むようにコップをそっと握り口元へと運んだ。指先まで伸びた長い真っ白なニットがとてもよく似合っていた。
「ねぇ、美歌ちゃんの悩みってそういうところ?」
「えっ、急に悩みって言われても──。でも、うん、アイドルらしくとかそういうのは苦手だよねって、ファンの人からもよく言われていることで。『釣って』と言われてもいまだに苦笑いしちゃうし」
「うんうん」と組んだ手の上にあごを乗せて、すずは相づちを打ってくれた。目線がコップに注がれているので、不意打ちの心臓へのダメージが薄れて自分の考えを言葉にまとめることに集中できる。
「瑠那さんはやっぱり近くで見ててもすごいアイドルでさ。あーアイドルだなっていう感じなんだけど。私は違うっていうか。でも、アイドルってなんなのかは、なんとなくわかるんだ。瑠那さんにずっと憧れてたし浦高のみんなも大好きだし、どんな感じがアイドルでっていうのは、口では言えないんだけど、なんとなく」
「うん」
「だけど、自分がやろうとしたらなんでかできないんだよ。できなくて、でも、やっぱりファンの人に言われちゃうし。瑠那さんと二人のウィスパーボイスだし、瑠那さんみたいにアイドルにならないとって、いろいろ頑張ってるんだけど、だけど……だけどさぁ」
なぜかトーク会での出来事が頭をよぎった。
罵倒されたのが悲しかったんじゃきっとない。何よりも悔しかったのは、ちゃんとメッセージを読んでいたことを伝えられなかったこと。そして、並んでいた女の子に手を差しのべられなかったこと。
「上手く、いかないんだよね」
そこまで話したところで美歌は、気がついたように隣に座るすずに目を向けた。すずもこちらを見て小首を傾げる。
「ごめん! 私ばかり話して、しかもめんどくさい話! とにかく、だからもっと頑張らなきゃいけないんだよ! このダンジョンだってそう! いつまでも瑠那さんと有門さんに頼ってばかりではいられないんだ!!」
「よしっ」と大きな独り言を漏らした美歌は、ぐっと伸びをして手元に置いたミルクへと手を伸ばした。その手をすずのもちもちっとした真っ白な手が阻止する。
「ダメ。また逃げようとしてる。さっきから何かはぐらかそうとするときにミルク飲んでるでしょ。お腹壊すよ」
「え……」
見つめる視線がまるで別人みたいに真剣味を帯びている。耳につけたシンプルな赤いピアスが光った。
「実はね、瑠那さんからメッセージが来たんだ。『美歌ちゃんの話聞いてほしいって』。あっ、だからって言ってムリに聞いているわけじゃないから、美歌ちゃんの話聞きたいから聞いてるし、話したいから話してるから。私も美歌ちゃんのこと好きだから」
「う、うん。わかった」
「あのトーク会のこと聞いて、間違いなく傷ついただろうなって思ったし、ダンジョンの出来事もさ、ひどいなって思った。正直に言うけど、そんなね、無理をして前を向けば頑張れば、解決するって問題じゃないと思う」
「お、おう……」
「さっきの瑠那さんとの会話だって、『うわーこいつ無理してる』と思ったもん。だから瑠那さんだってあんなにウザいくらいに心配してさ。だけど、自分が頑張らないといつまでも瑠那さんが心配しちゃうって、だから頑張らないとって思ったんじゃない? 結局なんだかギクシャクした感じになって。美歌ちゃんの体が、もう拒否してるんだよ。頑張ること。頑張りすぎなんだよ」
一気にまくし立てると、すずはミルクをガードしている手を離した。さあ、しゃべってという合図のように。
「う……うん?」
(そんなに言われると逆に何をどうしゃべったらいいのか……)
「図星? 全部」
「はっ、はい。言われてみればたしかにそんな感じだったような。なんだかこう瑠那さんが悪いわけじゃ全然ないんだけど、抱き締められてるときは早く離してくれないかなって。体が拒否してるって、ことなのかな?」