目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第56話 絶叫

「……どうして?」


 血が噴き出した。今まさに、鋭利な刃物が美歌の右手の甲を貫いている。日常生活ではまず味わうことのない強烈な痛みが襲っているはずなのに、ピックは正確に弦を弾いている。


「そんな理由で、すずさんも有門さんも瑠那さんも刺したんですか?」


 滲む血に声を震わせる代わりに、美歌は弦を震わせる。ピアニシッシモの小さな音の下に怒りを潜ませて。音の連なりを感知して、ナビが起動する。


『音楽魔法雷属性中級スキル。ヴィオレンタメンテ』


 曲名が紹介されるやいなや、剣を振り下ろすように弦が激しく掻き鳴らされる。放出された音は、空気を痺れさせるようにギュンと前方に怒りを飛ばした。


「はー、意外に根性っていうかあるんだね」


「……そんな話してる暇ない……行って」


「はいはい」


『スローイング・ナイフ』


 再度、白刃が投げられる。音を蹴散らして突き進む刃は正確に今度は美歌の左手を貫いた。


 再度血が舞い落ちる雪のように飛び交うが、これは現実の痛みではないと無理矢理自分を納得させて、美歌はカッと目を見開いた。


「音は、絶対に途切れさせない!」


 なおも旋律を紡ごうと、落としかけたピックをつかみ直す美歌へと、何かが飛び込んでくる。


 敷き詰められた煉瓦の上を颯爽と滑り込むように走り寄るそれは、猫そのもの。


「君とはもっとお話したかったけど、終わりだよ」


 水平に構えていた剣が地面に向けて下ろされる。先端が地を削り、火花が散り、一息のもとに美歌の眼前へと振り上げられた。


リポスト切り返し


 狙いは明らかだった。目を潰す気だ。血は出ずとも眼を抉られればその痛みは手の甲の痛みの非じゃない。


 おそらくは気絶するほどの。だが、今、気を失うわけにはいかなかった。


「負けません!」


 指が忙しなく動き回る。ピッチを上げて雷の放出を導く。


 鋭い刃が大きな瞳の中へと吸い込まれていく一歩手前のギリギリで、もう一度全ての弦が掻き鳴らされて魔法が発動した。


 怒りに満ちた雷が、落ちる。遥か上空から一筋の光が現れて対象の身体を頭から爪先まで一直線に貫いた。


「くぉ!? こ……このぉぉぉぉ……しびれ……!!」


 剣が振り上げられたときに発生した風が美歌のまつげを揺らした。少しでも動けば即座に切られてしまうほどの超近距離で物部の剣が止まる。


 電気が身体中を駆け回ったからだ。しかし、美歌の音が創り上げたヴィオレンタメンテは、それだけではすまなかった。


「……うそ……まずい」


 ふと、空が暗くなる。早朝だったはずなのに夜になったかのような。上空高くにいつの間にか雷雲が発生し、見渡す限りの空を覆っていた。


 全ての色を混ぜ合わせたようなドス黒い雲から、真下に整然と幾何学的に揃えられた街並みへと、何十もの雷が落下していく。


「……う、うそぉぉぉぉ……!!」


 イェティを焼き付くすほどの破壊力を持つのが音楽魔法の特徴だ。それに範囲は単体ではなく広範囲に及ぶ。逃げることは不可能に近い。


「ヴェント……」


 小さな詠唱が呟かれると、風魔法を纏ったダガーが放出された。


 急に音が止まる。どうしても美歌は演奏を続けることができなかった。なぜなら、ピックを握っていた手がスパンっと腕から切り離されてしまったからだ。


 一瞬の静寂のあと、絶叫が響き渡った。






「うるさいよお前ら! どうせ美歌も俺のこと覚えてないんだろ! そんなんでギター弾いてるんじゃねえよ!」


「違う、違うよ! 私は──」


「うるせぇ! もう死ねよ!」


 鋭い痛みが走り、血飛沫が舞う。


「やめて……やめっ──」


「自分で演奏できないやつがアイドル気取ってんじゃねえーよ!!」


「違う、私は、私は! やめて、やめて、やめてぇぇぇぇぇぇぇ!!」





「やめてぇぇぇぇぇぇぇ!!」


「美歌ちゃん!」「美歌、落ち着け!!」「大丈夫です! 大丈夫です、美歌さん!」


 淡い照明に照らされた瑠那の顔が美歌の顔を見下ろしていた。心配そうに見つめるブルーの瞳は濡れており、柔らかな手がしきりに美歌の髪を撫でていた。


「そう、大丈夫。もう大丈夫だから……」


 舞い降りた天使かと疑ってしまうほどに透き通った瑠那の顔の後ろには、眉を潜ませた有門の顔と、もう一人小さなベビーフェイスが特徴の松嶋すずの顔があった。


「松嶋さん? 私──」


 ゆっくりと起き上がる。見渡せばつい最近見たばかりのオレンジ色の天井に赤茶色の煉瓦の壁。真下から聞こえてくる賑やかな談笑が、「悪いウェアウルフじゃない」ウルフガイの酒場に戻ってきたことを教えてくれた。


「みんなやられたんです。あの変な二人組に。美歌さんだけが、まだ意識が戻らないって聞いて、ここに居させてもらっていました」


 松嶋はうなずくと、パーフェクトなアイドルスマイルを浮かべて美歌の横に置いた椅子へと腰かけた。じっと、美歌の大きな瞳を見つめる。


「大変な一日になってしまいましたね。聞きました握手会のこと。実際現場で何があったのかを。それにダンジョンでもこんな……」


「美歌ちゃん。ダンジョンで何があったか話せる? 私たち、美歌ちゃんよりも先に倒れてしまったから、できれば知りたいっていうか」


「はい……大丈夫です」


 慎重に言葉を選ぶ瑠那に心配かけまいと、美歌は笑顔をつくると木製ベッドの背もたれに寄りかかって瑠那が倒れてからの戦いの様子、襲ってきた二人組との会話の内容、そして、自身の手が切り落とされたことを詳しい描写を省いて説明した。


 あまりにも語りすぎると、あの手の痛みが甦ってくる気がしていた。


「──それで、気がつけばここにいたんです」


 絶句だった。誰もがすぐには言葉を発することができなかった。松嶋も有門も、瑠那ですら俯いたままの顔を上げることができなかった。


「大丈夫です!」


 見かねて美歌は声を張り上げる。口角を上げて三人の顔を順々に眺めた。


「……大丈夫、じゃないよ……」


「瑠那さん?」


 ようやく絞り出したような声は震えていた。


「大丈夫じゃないよ! そんなひどい! いくらゲームの中だって言っても、大事な手を!」


 呻きながらぶわっと勢いよく上げたその顔には、堪えきれなくなった涙が溢れていた。涙を両手で拭いながら、瑠那は何度も「ごめんね」と呟く。


「私が油断してなければ、先に倒されてなければ」


「違います! 私がもっと力があればよかったんです! 瑠那さんだって有門さんだって、痛かったはずですよね。瑠那さんが謝ることじゃない! 謝らないでください! もう大丈夫ですから。なんともないですから!」


 大きな笑顔を見せながら手をヒラヒラとさせる。そんな仕草も強がりに見えたのか、瑠那は急に抱きついてきた。


「美歌ちゃん。無理する必要はないんだよ」


 無理をしているわけじゃない。全く気にしていないと言えば嘘になるかもしれないけど、今はもう大丈夫なのに──。いつもは感じるはずの温もりが、今はきつく抱き締められているように感じられた。


「瑠那さん。本当に、私大丈夫なんです……」


「でも、悪夢を見てたんでしょ? 叫んじゃうくらいの」


「そ、それは、そうですけど……でも──」


(なんて言ったらいいんだろ? なんて言えばわかってもらえるのか──心配されるのが嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃないんだけど……)


「…………」


 的確な言葉が出てこない。胸の奥でもやもやとした何かがチロチロと燃えている感覚はあっても、それが何を指すのかわからずに、美歌はただされるがままでいた。


「瑠那さん。少し離してあげたらいいと思います。美歌さん、苦しそう」


 助け船を出してくれたのは、じっと二人の様子を窺っていた松嶋すずだ。離れるジェスチャーも交えながら、気持ちを代弁してくれたすずに美歌は心の中で感謝を述べる。


「あっ、ごめん!」


 パッと離れると、瑠那はかわいく照れ笑いを見せてすずの横に並べた椅子へと座った。


「すみません……」


「いやっ、なんで美歌ちゃんが謝るの? 私がちょっと感情的になって強く抱き締めてしまっただけで」


 そうなんだけど、どうしてか今は──。


「瑠那さん。今後のことはあるにしても、まずは美歌さんを休ませた方がいいんじゃないんでしょうか。瑠那さんと有門さんとで例の糸や二人組、今話されたバックにあるギルドに関する情報収集をしてもらって。その間、私が美歌さんの側についていますから」


 突然の提案に戸惑うような素振りを見せる瑠那。対して有門は壁に立て掛けていた鞘を手にして立ち上がった。


「行こうぜ、瑠那。美歌はもう大丈夫だ。このまま引き下がるわけにはいかねーだろ?」


「うん……だけど──」


「瑠那さん。私、許せないんですよ。いえ、私も前に同じようなことしたけど、あんな、人の努力を嘲笑うようなやり方絶対許せないって」


 すずの小さな手が固く握られる。なおも心配気味に唇を尖らせる瑠那も、その怒りに震える姿を見て納得したのか、ふっと笑みを溢した。


「そう、だね! 負けてられない! 絶対に負けられない! よし、行こう、有門!!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?