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第55話 二人組の少女

 何が起こったのかわからなかった。演奏に、ただ演奏に集中していたからだ。揺れる弦から音の余韻がまだ聴こえているというのに、有門は倒れ、瑠那までもが地面に突っ伏していた。


「瑠那……さん?」


 貫かれた瑠那の胸からは大量の血が出て雪面を赤く染めていく。有門の体から流れる血も合わせると夥しい血の量が水溜りを作り出していた。


 血が流れていなければ、ただ寝ているだけのようにも見えなくはない。だからこそ余計に何が起こったのか、美歌にはまるでわからなかった。


 ジャリ、と聞こえるはずのない何者かの足音が、急に静まり返った空間にうるさいくらいに響き渡る。


 視線を上げれば、そこには確かに二人のプレイヤーが存在していた。黒髪ポニーテールと、少し毛先にウェーブのかかった茶髪ボブの二人の女の子。


「……誰、ですか?」


「……西條凛」


 ポニーテールの背の小さな少女が小さく口を開けて呟くように名乗る。蚊の鳴くようなか細い声とは反対に、切れ長の色素の薄いグレーの瞳が存在を主張してくる。


 対照的に、隣にいるボブカットの女の子は「やあ!」と猫のように瞳が見えないほどに目尻を下げて元気いっぱいの笑顔で手をぶんぶんと振ってきた。


「僕は物部芽依! 二人合わせてリン・メイだよ!」


 西條凛と物部芽依は両手を合わせてポーズを決めた。一時、寒風が美歌とリン・メイの間に吹き荒ぶ。


「……リン・メイ?」


「そうそうリン・メイ!! かわいいし名前も覚えやすいし、最高のユニット名だろ? 君らウィスパーボイスみたいにテーマのある名前じゃないけど」


「わ、私と瑠那さんのこと──」


「もちろん──」


 そう言いながら物部芽衣と名乗った活発そうな女の子は、猫耳のついたカバー付きのエレクトフォンを美歌に向けて構えた。


「知ってる知ってる! 今、大注目のアイドルじゃないか! ライブを開けば秒でsoldout! トーク会も超満員! 今日? 昨日? のトーク会なんてすぐにトレンドになってもう大炎上! 君は知らないだろうけど、大変なニュースになってるんだよ! いやぁ感激だなこんな近くで会えてしかも直接話せるなんて。今度ライブに行きたいと思ってたんだ! 抽選で落ちたんだけどさ……。でも、生演奏も聴けたし、最高!! ってことで記念写真!」


 物部は美歌に背を向けると、パシャリと写真を撮った。


「よっし! 秘密行動だけどこれくらいならいいよね! 本当はライブ配信して美歌と一緒に映っているところなんかをみんなに見てほしかったんだけど。ねぇ、そしたらバズると思わない!?」


 快活な早口でまくし立てる物部のモコモコしたスウェットの袖を西條凛が揺らす。


「……メイ……今は……」


「あーそうだった!! もちろんダンジョンでも有名人だよ! だって、ファーストダンジョン、セカンドダンジョンともにファーストクリアギフテッドとして名前を刻まれただけでなく、金木瑠那は早々に『マルチソーサリー』を獲得して、二つ名のシステムを発見したプレイヤーとして、そして君も日が当たらなかった音楽魔法スキルやクラス『バード』の有用性を広めたプレイヤーとして『歌姫』みんなに認知されてる! 僕も憧れてちょっと音楽魔法スキルを買ったんだけど、熟練度が低すぎて全然モノにならなかったんだけどね!」


 またもやふわふわした新雪のような白地の袖を西條がポニーテールとともに揺らす。さきほどよりもやや強く。


「メイ……違う……ギルド……奇襲……」


「奇襲!?」


 不穏な単語に美歌は、掌に包んでいたピッグで弦に触れた。音を奏でようとした矢先にキラリと光る何かが風を切りながら耳の横を通り過ぎていく。


「ダメ」


 西條の手の中には小さなナイフが収められていた。それが耳元を通過していったことに気がつくと、背筋に悪寒が走る。


 ナイフの軌道が少しでもずれていれば、顔に傷がつけられていたかもしれない。


「そうそう。僕たちは、君を倒さなければいけないんだ。残念だけどさ。僕、こんな感じだから伝わらないかもだけど、本当に君のファンなんだよ。ウィスパーボイスいいよね。まっすぐで勇気をくれるっていうかさ。セカンドシングルの『背中合わせで』も毎日リピートしてるよ!」


「……メイ……」


「あーうん、ごめんってリン、そんな怖い顔しないでよ~しっかりやるからさ。気付かれぬように奇襲でって言われてたんだけど、ついつい話してみたくなっちゃって。まあ、同じだよね。ここで始末しちゃえばさ!」


 ニコニコと笑っていた物部の表情が薄れ、瞳がスッと開いた。好奇心旺盛な猫のような真円の眼に、釘付けにされる。


「リンの武器はもちろんこの小さなナイフ、ダガーって言うんだけど。そして、僕の得物はこれ」


 物部は腰の後ろに手を回すと一気にそれを引き抜いた。軽い金属音とともに引き抜かれたそれは、白銀に輝く細身の剣。


 スウェットに覆われていて視認できなかったが、どうやら腰には剣を納める鞘が装着されていたらしい。金の装飾が施された剣を左右に優雅に振るうと、切っ先が脅すように美歌の目に向けられた。


「レイピアって言うんだ。君の仲間の有門優が持っているのは、重いロングソードだけどさ、それじゃかわいくないから僕はこれ。見ての通り軽い剣だけど、速さはピカイチっていうやつだよ。だから僕は、選ばれたんだ。メイと一緒に奇襲チームにね」


(奇襲チーム……ギルド……いったい何がどうなって?)


『プレイヤー狩りです。何らかのギルド組織が裏で、詩的に言うのであれば糸を引いているのではと推察されます』


「プレイヤー狩り! ……それってなに?」


 困惑した心内を察したのか、ナビが冷静な声を起動した。が、まだダンジョンのシステムを理解しきれていない美歌にはなんのことだかさっぱりわからなかった。


『……プレイヤー狩りとは、モンスターではなく、あえて同じプレイヤーを狙うゲームスタイルのことです』


「でも、なんでそんなことを? そんなことしたら恨まれるんじゃ……」


『そ、それは……いろんな理由が……』


「……ぷっ……くっ……あはははは!!」


 ナビと美歌の会話を聞いていた物部が堪えきれずに笑い声を上げた。よほどおかしかったのかお腹まで抱えて笑っている。


「いやぁ、やっぱり! 真っ直ぐなんだね! 歌もさ、あと演奏もすっごいストレート! 王道って感じで! やっぱり本人も真っ直ぐなんだね!! 他のプレイヤーとは大違い!!」


「……メイ……」


「みんなすぐに状況を察して必死に立ち向かってきたけど──そうそうあの子も、浦高の松嶋すずも。負けそうになって誰かに助けを求めていたけど、あっさりと僕の剣に貫かれてしまった。でも、君は、なんで襲われているのかも理解できていない。簡単なことだよ。その方が『効率がいい』から」


「……メイ、話しすぎ……!!」


 突っ込みを受けて、ようやく話好きの少女の口が止まった。生まれた隙間へ美歌の言葉が割って入る。怒りが滲むような低い声だった。


「効率がいいから刺したんですか?」


 空気が震える。木々のざわめきが、氷の解ける音が耳に染み入るようにくっきりと聞こえた。


「メイ、構えて」


「も~怒らないでよ、リン。話しすぎたことは謝るけどさ、ちゃちゃっと終わらせて──」


スローイング・ナイフ白刃投げ


 風向きが変わったことに物部だけがまだ気がついていなかった。風を裂くようにダガーが飛んだ。研ぎ澄まされた小さなナイフは、弦を弾こうとする美歌の手元に伸びていく。

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