「ちょ、ちょっと、疲れた。休憩しよう!」
ぐるぐると恐らく30分ほど歩き続けた結果としては当然のことだった。
瑠那は、見つけた大きめの建物の入口階段に腰を掛けると、キャンプファイヤーほどの火を地面に出現させて暖を取る。
杖を手元に置きながら改めて空を見上げれば、美術館らしき建物が後ろに聳え立っていることに気がついた。
「どこをモデルにしているのかな?」
荘厳という言葉がピッタリな造りだった。
赤みがかったブラウンに鮮やかな空色の5階建てほどの巨大な建築物。その顔となる2頭の鋭塔に挟まれるように造られたアーチ型の入口の下に3人は座っていた。
パチパチと音を立てる炎が、それぞれの顔を赤く照らした。
「大きいですよね」
「うん、なんか不思議な感じ。ダンジョンっていうよりもヨーロッパ観光に来たみたいな。私、まだあまりヨーロッパの方には行ったことがないんだよね」
「瑠那。それは自慢にしか聞こえないぞ。オレなんて海外どころか国内だってあまり旅行したことがないのに」
と、軽くため息を吐きつつ、有門は黒一色のエレクトフォンの画面を開く。マッピングプログラムには──。
「おい! なんだこれ!?」
「何!? どうしたの!?」
瑠那も美歌も急いでエレクトフォンを起動した。
「! これって……」
赤い3つの円はさほど進んでいなかった。問題はそこではなく、さきほどまでいたはずのプレイヤーの数が激減しているということ。
「なんでこんなに減ってるんですか!?」
「わかるわけねぇだろ! 強敵に倒されたか、離脱したか」
「でも待って、この5つの黒丸だけ前に進んでない?」
瑠那の言うとおり、他のプレイヤーをぐんと抜いて5人のプレイヤーだけが前へと進んでいた。それも5つの黒丸は塊のように同じ地点にいることがわかる。
「見ようによってはこれ、この5人が他のプレイヤーを倒して先に進んでいるように見えるんだけど、まさか──」
可能性を検討することは、それ以上できなかった。瑠那の持つエレクトフォンが大きく振動する。着信だ。
「すずちゃん!?」
『瑠那さん、今、どこに!?』
電話口の相手のかん高い声が勢いよく弾ける。
「今、フォースダンジョン!! ごめん、手が離せない状態だから──」
『フォースダンジョン! ダメです!! 逃げてください!!!!』
悲鳴にも似た声がエレクトフォンを通して耳を貫いた。燃ゆる焔が突如吹いた風に薙ぎ、掻き消される。蝋燭に息を吹き掛けたかのように。
「えっ?」
その疑問は電話先にいるだろう松嶋すずに向けられたものではなかった。
どこかから降ってきた巨体に対して。キャンプファイヤーの燃えたぎる火を飛び降りた衝撃だけでもって消し去った毛むくじゃらの怪物に向けられて発せられた疑問だった。
『逃げて、やつらは危険──』
音が急に途絶えた。
だが、今はそれどころではないと沸き立つ全身の肌が告げている。
瑠那は聞いたことがあった。というよりも読んだことがあった。雪山に現れる全身真っ白な毛に覆われた怪物。あまりにも凶暴で乱暴なその怪物の名は。
「イェティだ……」
有門の呟きに息を呑む。大木ほどの腕が振り下ろされた。
「ラピダ!」
叫んだ声は、瑠那のものではなかった。
何の前触れもなく現れた白い怪物から仲間を守るために、自身の動きを加速させた有門が瑠那の前に移動し、巨腕に対抗する。
味方の盾に壁になるのが前衛職の役割の一つなのだが、今回ばかりはそうはいかなかった。
「うわっ!!」
「ちょ、きゃあああ!!」
髪が乱れるほどの風圧とともに振り下ろされた拳は、有門の剣を弾き、持ち主ごと後方へ吹き飛ばした。
後ろに並んでいた瑠那をも巻き添えにして倒れた有門は、舌打ちをすると即座に起き上がり腰を下ろして迎撃体制を取る。
「こいつは──」
(めちゃくちゃだ。というよりもがむしゃらというか。単純に力の、腕力の差がありすぎる)
5mは優に越えるイェティと思しきモンスターは、喉奥から絞り出すような唸り声を発すると、今しがた叩き付けた腕をのっそりと上げた。
岩石のようなその腕の下からは、一撃で粉砕され瓦礫と化した階段が露になる。
「うっ……くっ、大丈夫!? 今、回復を」
巻き添えを食らった瑠那も、固い煉瓦に打ち付けた肩を支えながらヨロヨロと起き上がった。痛む肩をかばいながらも突き付けた杖の先を有門の分厚い掌が制止する。
「まだ大丈夫だ!! それよりも攻撃してくれ! たぶん、この剣じゃ歯が立たない!」
「……りょーかい!」
杖を向ける対象をイェティへと変える。少しでもダメージを多く与えられそうな毛で覆われていない青黒い顔面へと狙いを定めると、瑠那は有門の肩越しに特大の魔法を放った。
「ファジュログローブ!」
一点に凝縮された高密度の焔の塊が空中に直線を描いた。太陽のコロナのように蠢くその赤の弾丸は、数秒の短い時間のなかで空気を裂いて突き進み、狙い通りイェティの顔面へと到達した。
「やった!」
地鳴りのような咆哮を発しながら、巨体が後ろへと傾く。無防備状態となった身体にさらに追い打ちをかけようと、瑠那は魔法を連発した。
「アクヴォアクティアラ!」「サブロー!!」「ヴェントキリング!!!」
ブルー、イエロー、グリーンと季節外れの花火でも打ち上げたように、空気が色彩豊かに染め上げられる。魔法が創り上げた弾幕の中ではついに呻き声すら聞こえなくなった。
「よし! これで終わり──」
異変を感じたのは、そう思った矢先のことだった。
空気が変わった。というよりも小さな世界を構成する量子の一部が変異したとでもいうような、気のせいとも思えるような妙な感覚が瑠那の白肌の表面をつるりと撫でる。
(何? この感じ──)
どこか不気味な感覚が電話の声を思い出す。電話の向こうですずはかん高い声で懸命に叫んでいた。
「瑠那さん、逃げて!!!!」
後ろにいた美歌から危険信号が発せられて、瑠那は我に返った。
気がつけば倒れていたはずのイェティの身体が宙に
「ウソ、だろ?」