回り込むように音が接近してくる。隠れる気のない乱暴な音だ。
その音に対峙するように体の向きを変えると、美歌は両腕で抱えていたギターの6弦全てを掻き鳴らした。
音の連なりから曲を察知し、ナビが自動で楽譜をエレクトフォンの画面へと表示する。
『アレグロ・アッサイ』──音楽魔法火属性中級スキル。対象全体に帯状の火焔を浴びせる強力な魔法だが、演奏を通じて発動するためにどうしても演奏と現象の出現までにタイムラグがある。その隙を生めるのが、瑠那の魔法や有門の剣だ。
ピックを立てて弾く硬質な音に合わせるかのように、瑠那は美歌の前へと歩み出ると杖を振り上げながら、大きく息を吸った。
「ヴェントキリング」「トンドロタンブロ!」
詠唱と同時に杖先から風と雷が連続して放出された。
狙いは煉瓦の家々から抜け出してきた2体のモンスター。
躍動的な四本足。赤と黒の色違いの狼に似た個体が、少し雪の積もった茶系の煉瓦が敷き詰められた地面を唸り声を上げながら疾駆してくる。
魔法が創り出した風は、飛び上がった赤色を弾き飛ばし、雷は、黒色を囲む電気の檻を現出し、その身を灼いた。
音楽魔法とは違い、基本的に一般魔法は単体が対象範囲だった。詠唱を連発することで空間内に特異な現象を連続して引き起こすことはできるが、やはりどうしても隙が生じてしまう。そして、その隙を埋めるためにこそ、有門のような前衛職の役割がある。
一際大きな唸り声が
『
機械的なナビの声が冷たい空気を切り裂く。成す術がなくただ目を大きく見開くことしかできなかった瑠那の前を大きなブラウンのダウンジャケットが割り込む。
触れるだけで食いちぎられそうな鋭い牙と、有門の持つ白金のロングソードとが火花を散らした。
一瞬の時間の中に互いの力と思いが凝縮される。黒皮の狼は白目のまるでない真っ黒な双眸で睨み付けると、奇襲を断念したのか寒空のなかをくるりと華麗に回転して後ろへと下がっていく。すかさず、燃えるようなリズミカルなバックミュージックに合わせて、有門は剣に降り注いだ太陽の光を反射して追撃する。
『
魔法と違い、剣や槍、弓といった主に物理的なダメージを狙う攻撃スキルを総称して『技』と呼ぶ。
武器種ごとに細分化されている技は、特定の動作をナビが感知し発動するだけでなく、技と技を任意に繋げることができる。それが基本技3種、奥義1種しかない技の、魔法と違う大きな特徴。
上段から風とともに剣を振り下ろす。次いで逆側へと切り返す。2つの動作は素早い狼になんなく回避されてしまったが、それは想定内のことだった。
『秘技・スティング・クラッシュ《篠突》』
一歩右足を後ろへと下げると、剣を地面と水平に突き出す。急加速して、降り頻る雨を正確に一突きするような速度で獲物に向かって突進していく。
その様は、獲物を狩る大型獣のよう。分厚い皮を貫いたことを確信すると、有門はすぐさま刀身を抜いて真横へと転がるように避けていく。
──1拍ののち、その音が弾けた。
瞬間的に周囲の温度が上がった。空気そのものが燃えているかのように。
素早く指を動かし、一粒一粒構築される音の波が、世界に真っ赤な花のような火焔を出現させた。火焔の波は揺らめきながら、有門が今さっきまで戦っていた煉瓦を呑み込んでいく。屋根伝いに、道なりに駆けてきた狼の群れが、その危険性を知らずに飛び込んでくる。
四肢が鼻先が、舌が赤波に触れた瞬間。沸き上がる高温の炎に全身が包まれる。いや、包まれるなどと生易しいものではない。全身が炎に絡め捕られ、燃やし尽くされる。赤波に触れた先から、その鍛え抜かれた筋肉が剛毛の皮が、丈夫な骨が、唸り声とともに消滅していく。あたかも消化したかのように。
「こっわ……」
押し寄せてきた狼が全ていなくなった後、演奏が終わり赤い川面が消えたのを見て、有門が絞り出した一声がこれだ。
「怖い、じゃなくてスゴいでしょ! 美歌ちゃんのギター聴いてなかったの?」
「ああ? いや、聞いてはいたけどそれ以上にこの魔法がだな……。巻き込まれなくて本当によかった」
「美歌ちゃんが攻撃するわけないじゃん! ねぇ、美歌ちゃん!!」
「は……はい」
肩から大きく息を吐くと、少し伸びた前髪を直しながら返事をする。ギターを掻き鳴らしているときとはまるで別人のような柔和な微笑みが有門に向けられた。
「有門さんに攻撃はしないですよ。仲間なんですから」
「ああ、わかってるよ。それより──」
キョロキョロと辺りを見回す。剣はまだ握ったままだ。敵の気配は消えたはずだが、いつどこで出てくるのか、わかったもんじゃない。
ダンジョンも4つ目ともなると、敵だけじゃなくダンジョンそのものの難易度も上がっていくのが自然なことだった。
「これだけ広大なステージだ。家の隙間とか、罠が潜ませてあってもおかしくない」
美歌も瑠那も周りの様子を伺った。確かに予想もしない真上から狼が現れたわけだが、今のところは戦闘前と同じ静寂が街中を支配しているようだった。
「とりあえずは大丈夫そうね。ただ、とにかく移動しないと!」
言いながら瑠那は杖を背中へと戻して、瑠那の元へ駆け寄っていった。
「どこへ行けばいいのかわからないんだけどね……。広すぎるわよ、この
「そう、だな」
有門も剣を背中の鞘へと収めると、考え込むようにひげを剃ったばかりの顎を厚手のグローブをはめた手で擦った。
(──今まで気づかなかったが、ウチには探索系のスキルが使えるプレイヤーがいない。たとえば、モンスターの位置が正確に把握できれば、敵の多い方向にゴールがあると推測できる。あるいは、高地へ短時間で移動したり、空を飛べるようなスキル持ちがいれば──)
「有門! 行くよー!! どこに何があるか簡単にわかるわけないんだから、適当に進むしかないって!」
瑠那はその一回り大きな背中を急かすと、美歌とともに有門の横を通り抜けていこうとする。
「いや、ちょっと待て、それだ!」
「それって、どれ?」
「ダンジョンの地図があるわけじゃないが、ナビにはマッピングシステムがある!」
正確に言えば、『ギフテッドマッピングプログラム』。セカンドダンジョンから導入された同じ時間帯に同じダンジョンを探索しているプレイヤー同士の進捗率が把握できる機能だ。ダンジョンの地図が表示されるわけではなく、左端の0%から右端の100%まで、あくまでも『進捗率』がわかるだけだが。
「あれを応用すれば、進んでいるのか戻っているのか、把握することくらいはできるはずだ!」
瑠那はパステルピンクのコートからエレクトフォンを取り出して、マッピングプログラムを起動した。黒く縁取られたシンプルな白い横軸に、数十個の黒丸がバラバラに並んでいる。左端にある3つの赤い丸が今の自分たちの現在地だ。
「……地味にアップデートされてる。前は、自分しか赤くなってなかったよね?」
『要望が多数あったので改善されました』
「ギルドも作られてきてるから、必須だよな。自分しか色分けされてないんじゃ、味方が進んでいるのか、敵が進んでいるのか判別がつかなくなってしまう。だが、この様子を見ると──」
「みなさん、苦戦しているみたいですね。中間地点の半分くらいのところで一番多く止まってる。ここに強い敵が配置されてるとか?」
「うーん……どう、かな?」
エレクトフォンから視線を上げると、少しだけ高くなった陽光に建物がすっぽりと包まれていた。早朝から昼に向かって時間の流れが存在しているようだ。季節は現実に合わせているのか、まだまだ冷たい風が結わえた髪の毛を揺らしていく。
「わからないけど、どっちにしても先に進むしかないよね。まだ私達は0地点にいるのだけは確かなんだから」
車椅子の背に力を込める。冷え冷えとした空に息を乗せると、掛け声を上げて街並みを進んでいった。