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第46話 メッセージアプリ

 そっと息を吹き掛けただけで切れそうな儚い糸だった。


 しゅるしゅるしゅる、しゅるしゅるしゅると伸び続ける透明に近い真白な糸の先端は、まるでまさぐるように対象を探して月も届かぬ深い闇のなかを音も無くさ迷い歩く。


 静かだった。ひどく、込み上げるほどに静かだった。その静寂が鳴り響くなかで糸は伸び続ける。どこかへと導かれるそのままに。流されるそのままに。やがてぶつかるそのときまでに。


 しゅるしゅるしゅる、しゅるしゅるしゅる、しゅるしゅるしゅる。


 コツン、と何か硬い物質へと当たる。静寂の中に生まれた一つの音。それは蝶だった。真黒の、触角も羽も全てが黒の筆で塗り潰されたような蝶だった。




<誕生日おめでとう!! あと、遅くなったけど明けましておめでとうございます! デビューシングル『Voice up!』を聞いてファンになりました! 美歌ちゃんの歌を聞いてると癒されるっていうか元気が出ます! 今年ももっともっと活躍できるといいね!!>


「ありがとう。頑張ります!」


<Happy birthday! いつもメッセージありがとう! 勉強頑張ってるの偉いね! 今度の握手会楽しみ、美歌はコスプレとかしないの?>


「うーん……しない、かなぁ。でも、しないとダメかなぁ?」


<あけおめ&誕おめ! いつも美歌ちゃんのこと考えています。今日の写メは、少し疲れてる? 少しでも癒せたらい──>


「えっ?」


 スマホが急に取り上げられた。一瞬疑問符が頭に浮かぶが、見上げるとその先には呆れたような微笑みがあった。


「……えっと、瑠那さん?」


「なぁに、美歌ちゃん」


 小さな口には化粧を直したばかりなのか、ベージュピンクの口紅が品よく主張していた。金木瑠那自身が最近のお気に入りと話していたから、よく覚えている。


「私のスマホを返し──」


「ダメ」


 一言。


 被せるように一言だけ発すると、瑠那はテーブルの向かいの椅子へと座り直した。


 背中まで流した長いブロンドヘアが波打つように揺れる。綺麗という言葉を体現したような切れ長の瑠璃色の瞳が、鋭く齋藤美歌の大きな丸い瞳を射抜いた。


「また、ファンからのメッセージ見てたんでしょ?」


「! なんでわかっ──」


「スマホにすっごい笑顔でお礼の言葉を掛けていたと思ったらあからさまに嫌そうに眉毛を潜ませて、誰だってわかるよ! 美歌ちゃんがアイドルだって知っていれば、だけど」


 早口で並べ立てられた指摘は全て当たっていた。最後の一言まで正確に。アイドルでもないのにスマホの画面に向かって格闘していたら、心配されてしまうかもしれない。


(うーん、でも、ナビと会話してたりとかそういう可能性も……?)


 って、そういう問題じゃないよ!


「瑠那さん返してください! 今日のトーク会の前に全部読まないといけないんですから!」


「ふーん。美歌ちゃんは、パートナーである私とランチをするよりもメッセージを優先するというわけ?」


 瑠那は「キレイな」笑顔をつくると、わざとらしく首を傾げた。


「いえ、そうじゃなくて! うーあの……すみません」


 その指摘も間違っていなかった。


 下げた目線の先では、デザートとして頼んだカタラーナとお汁粉が早く食べてくれと言わんばかりに美味しさをアピールしていた。


 瑠那の悪戯な笑い声が漏れて、美歌はポカンとした表情のまま視線を上げる。


「冗談だよ! はい、返すね!」


 触り心地のいい滑らかな木机の真ん中に置かれたスマホを急いで回収すると、瑠那は表示されたままの文字を読まないように注意しながら画面を消してカタラーナの横へと置いた。


「だけどさ美歌ちゃん。前も言ったけど最近頑張りすぎじゃない? ファンからのメッセージ全部読むのは大事だけど、毎日、しかも一気に読むのは無理なときもあるよ。美歌ちゃんにはアイドルの仕事だけじゃなくて学業もあるし、時間が足りないでしょ。それに、変なメッセージも来るんでしょ?」


「なんで──」


「だから顔に書いてあるって」


 またもや図星をつかれてしまう。


 瑠那はフーッとコーヒーカップに息を吹きかけると、入れられたばかりのブラックコーヒーを口へと運んだ。


 それを見て美歌も自然にカタラーナにフォークを入れる。サクッからのスッ、という感触がすでに脳に甘さを伝えていた。


「ん。おいしい!」


「だよね。ミントやクリームがのっていないシンプルなのがいいよね」


「はい!」


 続いてフォークをお皿の上に置くと、今度は箸を手にして美味しそうな湯気を漂わせているお汁粉に挑んだ。


 お椀を片手で持ち宇宙のそれのように無限の可能性を秘めた汁をすする。濃厚な甘味が舌先から脳と頬をとろけさせていく。


「美歌ちゃんって意外に食べるよね。まだ高校生だから?」


 恍惚に浸る美歌の様子をうかがいながら、瑠那は小さく呟くと、ほろ苦いコーヒーを飲んだ。


「それで、美歌ちゃん。メッセージ全部読むのはいいと思うし、そうできるのなら一番なんだと思うんだけど、メッセージアプリを開設してからずっと忙しくしてるでしょ。少なくとも……言葉を選ばないで言うと気持ち悪い、ストーカーみたいなメッセージは、読むのやめた方がいいよ。一応、葵さんがチェックしてるけどさ、私もチェック漏れのうぇって感じのメッセージ見たことあるし」


「ダメです!」


 今度言葉が遮られたのは、瑠那の方だった。美歌は、スイーツを頬張っていた幸せそうな表情から一転して真剣な眼差しで瑠那を見つめる。


「どんな方でもファンはファンです。せっかく送ってくれたメッセージなんだから、全部読まないと!」


「美歌ちゃん! でも──」


 そこから先の言葉を遮るように、美歌は一心不乱に食べ続けた。


「美歌ちゃん……」

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