「本当に、すみませんでした」
「ん? 何のこと?」
「えっと……」
懐かしの浦高の制服を着た松嶋すずが楽屋に訪れたのは、瑠那がお気に入りのロックを聴きながら雑誌を読んでいるときだった。
気まぐれに星座占いでもしようとしていたところへ、ノック音が聞こえて招き入れたのがすずだった。
「冗談! 困った顔しないで、困惑しているのはこっちなんだから。本番前、それも大晦日を飾る『year end 歌バトル』の生放送の前に浦高のセンターがこんなところにいていいの?」
「す、すみません!」
恐縮しきりのすずはライトブルーのチェック柄のスカートの前で組んだ両手をもじもじと動かしながら、やや早口で謝罪の言葉を述べた。先の戦いのときと打って変わったその仕草に目を細めると、瑠那はテーブルに雑誌を置いてヘッドフォンを外してすずの顔を下から覗き込んで意地悪そうに微笑んだ。
「冗談。ごめん、ごめん。まだ本番まで時間はあるからね。少し、話しようか。そこら辺適当に座って」
「は、はい……」
文字通り胸を撫で下ろすと、すずは瑠那の真横にあった簡易な木造の椅子へと腰を下ろした。
「それで要件って? あっ、待って何か飲む? コーヒー、紅茶、お茶、ハーブティ──インスタントだけどいろいろあるよ?」
「じゃあ、ハーブティー、あのローズヒップでお願いします」
「はいはい。じゃあ、お湯は自分で入れてね」
「はい、ありがとうございます」
すずは口元に微笑みをたたえながら上品にポットからお湯を注いだ。白い紙コップの中がうっすらと赤く染まっていく。
その様子を見ていても、瑠那にはやっぱりあの戦いのときの顔とは別人に見えてしまった。順調そうに、いやむしろ人よりもはるかに速いスピードで注目を集めている浦高のセンターにいったい何があったのか、なぜそんなにも自分に執着しているのか、きっとここで聞かなければいけない。
「すみません、そんなに見られていると緊張して──」
「あっ、ごめん。私けっこう人を見ちゃう癖っていうか、そんなものがあって」
「知ってます。瑠那さんのことずっと、見てきたから……」
すずは真っ直ぐに笑顔を見せた。センターの風格に相応しいパーフェクトなアイドルスマイル。そのスマイルが自嘲気味に少し崩れる。
「それに。私、人からじっと見られるの苦手なんです。何か、評価されてるみたいで。だから、瑠那さんが悪いわけではないんです。私がきっと、私のせいです……」
(あらら、随分と落ち込んじゃって。これは、切り出すしかないか?)
瑠那も手元に置いたコーヒーを一口、口に含むと滑らかになった口を開いた。
「すずちゃん。今日来たのは、この前の戦いの話でしょ? 私をあなたの燃える矢で射ぬいたわけだけど、なんであんなことしたのか、教えてくれる?」
「……はい」
と、すずはローズヒップを入れた紙コップをテーブルに置いて瑠那と向き合った。
「私、許せなかったんです。いえ、許せなかったというか、ショックだったのかも……。瑠那さんがあの、齋藤美歌さんとユニットを組んだこと」
「そっか……。それで、いいよもっと話して?」
「……瑠那さんがプレイヤーとしてあのダンジョンにいたのは前から知ってたんです。マルチソーサリーで有名だったし。でも、最初のダンジョンをクリアしたときに一緒にいたのが齋藤さんで。そのあとすぐに現実世界でもユニットを組んで、なんで私じゃないんだろうって。思ったんだけど、思いたくなかったっていうか。認めたくなかったっていうか。……すみません」
「謝らないでいいよ。でもさ、あのときも言ったけど、美歌ちゃんとって思ったのは美歌ちゃんがよかったっていうだけで、すずちゃんがダメとか足りないとかそういうことじゃないよ。すずちゃんも生で聴いたでしょ? 美歌ちゃんの歌とギター」
「あの声、旋律。全部がすごかった。なんて言えばいいんでしょうか。心が洗われる? いや、もっとこう──心が奪われるというか」
瑠那は、美歌の演奏を聴いた直後に、すずが戦えなくなったことに気がついていた。
負けた、というよりも我に返ったというように膝をついて一粒一粒の音の連なりに聴き入る様子に。だからこそ、車田が美歌を襲撃したときに弓を引いたのだ。
「無理に言葉で形容する必要はないんじゃない? とにかくすごいの! 美歌ちゃんは、それこそ魔法みたいにね!」
瑠那の輝いた表情に共感を示すと、ローズヒップをゆっくりと飲む。甘酸っぱい温かさが身体をほぐしてくれるような気がした。
「あの音は、もう忘れられません。なんか不思議なんですけど、あの音を聴いているときだけは私の悩みなんてちっぽけな気がして」
「そっか。悩み? それがもしかして、今回のことに……?」
すずは、くるくると回るコップの中の赤い螺旋を眺める。少しずつだが、平らに向かって滑らかに回る小さな渦を。
「そう、です。あの……瑠那さん、あのときまだ2年もあるって言いましたよね? 卒業まで2年もって……」
恐る恐るというように、すずは上目遣いで瑠那の顔を見上げた。
「うん」
「だけど、やっぱり2年しかないんですよ。私には、私まだ15年しか生きてないですけど、私にとって2年って早すぎるんです。時間が無さすぎるんです」
(……焦りすぎ。そう言ってしまえば簡単だけど……きっと、この子が言いたいことはそういうことじゃない)
もっと根深い何かがあるのだと感じさせるほどには、その言い回しは大人びていた。
「なるほどね。アイドルなんてやってたら悩みごとだらけだから。でも──」
悩みを聞き出すことなんでできないし、アドバイスなんてできるとも思えない。だけど、松嶋すずは何かを言いたくて私に弓を引いた。だったら一つだけ伝えるべきことがある。
「『願えば叶う』だよ。美歌ちゃんの声を聴いていると、絶対そうだって思えるの。純粋な声は、きっと誰かの心に刺さるんじゃないかって」
無理矢理に矢を放たずとも、おそらくはきっとその声は自然と向かって行くんだ。届くべき相手へ。求めている相手へ。
「……そう……かもしれないですね」
二人同時にうなずくと、それぞれコーヒーとローズヒップを口に含む。和やかな沈黙とともにそれを飲み干すと、空になったコップがトンっと置かれた。
「ありがとうございます」
「ううん。さて、一年の最後、一緒に頑張ろう!!」
「はい……ところで、齋藤さ……美歌ちゃんは?」
「ああ。美歌ちゃんなら、今頃もう一人と決着をつけているところかな?」
快活な声でそう言うと、瑠那はまた悪戯っぽい笑みを浮かべた。