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第42話 そよ風のような小さな声

 金属音とともに剣が弾き飛ばされたそのときだった。有門の顔目掛けて飛び上がった『刀』の動きが鈍くなったのは。


 反射的に後ろへと下がろうとした足を前へと進め、技でもなんでもない体当たりをかます。車田の細身の身体がのけ反るのを確認すると、落ちた剣を拾って駆け出した。


 状況はすぐに判別できた。おそらくは瑠那が倒れる直前に車田の動きを遅くして、隙を作ってくれたこと、そして氷河を飛び越えた先にいる美歌の身が危ないということ。状況を頭の中で並べると、取るべき行動は自ずと限られてしまっていた。


(あの黒フードをぶっ飛ばすか、美歌を守るか)


「迷っている暇はねぇ!」


 走り幅跳びの要領で断絶された隙間を飛び越えると、がむしゃらに前へと突き進む。加速の魔法を改めて自身にかけて一気に距離を縮めた。


「行かせない!!」


 火炎の矢が容赦なく次々と降ってくる。隙間なく降り続ける矢の雨をすり抜けるために、無我夢中で剣を振るう。


フレッシュ刺突』×『リポスト切り返し』=『スティング・クラッシュ』


 そして。


リポスト切り返し』×『リポスト切り返し』=『ダブル・カット』


「これだ!!」


 自分の中に生まれたリズムに身を任せて、有門は大きく矢の塊に向かって跳躍した。


『秘技ライトイン・カット五月雨斬り


 降り頻る矢が瞬く間に切り刻まれて地面へと落とされていく。最後の矢を切り捨てると、そのまま有門は守るべきその対象に向かって落下していった。


「美歌! 声を上げろ!!」


 その低音の野太いバスに、美歌と黒フードの男はほぼ同じタイミングで顔を上げた。


 降り注ぐ光が眩しくてハッキリとその姿を目でとらえることはできなかったが、やや乱暴とも思える指示に従って美歌は目を瞑った。


「なるほど……チームワークとやらですか。ですが、もう遅いんですよ」


 有門が二人の間に割って入り、氷雪の上へと着地する。見計らったように赤い鮮血が火花のように飛び散った。


「痛みはやはりあるんでしょうね。リアルな痛みとはまた違うのかもしれませんが。でも大丈夫です。そのまま気を失えば、気がついたときには綺麗さっぱり傷口は消えていますよ」


「……うる……せぇ」


 身に染みる冷たさの氷の上へ膝がつく。滴る血が宝石のような透き通ったブルーを汚していく。


 一見すると神秘的にさえも見えなくもないその様を、黒フードの男は勝ち誇った笑みで眺めていた。


「強がりですね。どんなにチームワークが良くても、結局個人の強さが勝るんですよ。組織チームの穴をつけさえすれば、チームワークなんてものはただの弱者の助け合いなんです。これでもうチェック・メイトで──」


「うるせぇって言ってんだろ!!」 


 腹の底からの怒声が、澄み渡った青空の中を響き渡った。


 訪れた束の間の静寂の中をピアニシッシモよりも遥かに小さなそよ風のようなウィスパーボイスが、確かに音を紡いでいた。


「これは──そんな……」


「だからうるせぇって言ったんだよ。せっかくの美歌の声が聴こえねぇじゃねぇか」


 場に似つかわしくない柔らかな音だった。朗らかで、それでいて全てを包み込んでくれるような、深い優しさを湛えたような。


「これは、風か? あるいは水か? いや、いずれにしても、なんで仲間が血を流しているのに悠々と歌っていられるんだ? 齋藤美歌は、泣き虫で臆病で、独りでは何もできないような脆い人間のはずでは──」


「それは、弱いって言わない。優しいって言うのよ!!」


 倒れたはずの強気な声が後ろから現れて、動揺したような声がフードの中から漏れた。


「なぜ、倒れたはずの金木瑠那が!? ──ま、まさか!!」


 引き続きクラシックギターの弦が弾かれ、有門は起き上がった。その体には半透明の碧色がまとわりつき、流れた赤色を洗い流すように確かに貫かれたはずの傷口を元に戻していく。


「回復魔法だと! 攻撃じゃなくなぜ!!」


「コートを買うときに美歌は言ってたんだよ。『敵をやっつけるだけじゃなくて、みんなを守れる魔法もほしい』って。オレらが回復できるのを知っているんだから、あんたの凶器で刺されても動揺するわけがないだろう」


「そういうこと! そして、おしゃべりしている間に準備は整ったわ! 美歌ちゃんの分も私が攻撃してあげる!」


 巨大な火球が晴天の外側から氷の塊に向けて落下した。焔をその身に纏う四足の精霊サラマンダーは、大きく首を振っていななくと、その口から特大の火炎の渦を吐き出した。


「くそっ!!」


 近付くだけで全身が火傷しそうなほどの焔の柱が氷河を蒸発させながら、黒フードの男目掛けて急速に進み行く。


 男は、助けを求めて左右に首を振るが、すずは戦う気が削がれたのか膝をついて座り込み、車田は走り寄るもののまだ減速の魔法の効果が解けていなかった。


 一人でなんとかするしかない──そう悟ると、すぐに足を動かし火の精霊サラマンダーの火炎から逃れるために真横へと懸命に飛び込む。


 白い蒸気が全身を包み、息苦しさと熱さが一気に押し寄せた。咳き込みながらフードの奥の目を開くと、新鮮な空気とともに重い拳が視界の中に飛び込んできた。


「お前に技を使うまでもない」


 殴られた男は唸り声を上げたが、その一度きりで、もはやピクリとも動くことはなかった。


「よし、これで終わった」


「いや、まだ終わってなんかいない!」 


 車田は声を張り上げると、氷河の上へ乱雑な足音を響かせた。その音はまっすぐ美歌の元へと疾走する。


 が。


 途中で音が途絶えた。


「上か!?」


 有門は叫ぶとともに顔を上げた。しかし目の先に映るのは雲一つない空のみ。すでに足音は地面へと落ちて、有門の横を通り過ぎていた。


(速すぎる! さっきまでのは本気じゃなかったっていうのか!?)


 剣を構え振り向いたときにはもう遅かった。車田の長い髪が風になびき、鞘から得物が引き出された。


『居合い抜き』


 ナビが淡々と技の名を呼ぶ。引き抜かれた刀が、美歌の目の前で青白く輝いた。


「ファジュログローブ!!」


 その一閃を止めるために、瑠那の杖から熱線がほとばしる。車田は舌打ちをすると、後ろへと引いた。


 足元の氷に魔法で現出された焔のワイヤーが当たり、輝く氷を融かしていく。苛立たしげに刀で空を斬ると、鋭い瞳をカッと見開き、細い糸の上を背を後ろにして舞った。


『袈裟斬り』


 音も無く綺麗な着地を見せると、そのままの勢いでダッシュして技を発動する。抜き身の刀身が獲物に向かって伸ばされる。


リポスト切り返し


 有門の剣がすんでのところでその牙を止めた。


「邪魔だ、どけ!」


「どくわけないだろ! 音楽がなければ丸腰の相手だぞ! なんでそんなに美歌を憎む!」


「お前には、関係ない!」


 有門の剣が弾かれる。車田は、一歩右足を後ろへと下げると、すかさず下から右上へと刀を振り上げた。


『逆袈裟』


 対する有門も剣を盾にして刀の切っ先を逃がすと、続けざまに一撃を見舞った。


フレッシュ刺突


 相対する二つの刃が、身体の動くままに交わる。


『鶴返し』『スリード・レイン』


 何度目の打ち合いか。圧縮された冷気が渦となって両者の前髪を乱れさせた。


 互いに一歩も引くことなくにらみ合いを続ける。


「……教えて、くれませんか?」


 二人の間の緊張感を切り裂いたのは、震える美歌の声だった。車田の漆黒の瞳が僅かに揺らめく。


「…………」


「美歌、下がってろ! やっぱりこいつは話が通じるような相手じゃねぇ。今、オレと瑠那でこいつを戦闘不能にする!」


 横目で遠くで魔法のタイミングを見計らっている瑠那へと合図を送る。後ろへ跳んだときに魔法で仕留めれば、倒すのは容易だった。


「……よし、い──」


「ダメです! 絶対にダメ!!」


「美歌! もう無理だ! こいつはここで倒さないとお前に何をするか。いや、もうお前だけじゃない。オレたちにとってこいつは障害以外の何者でもない。こいつらが仕掛けてきたことだ。やるしかないだろう」


「! ……障害なんかじゃない! 一人の……人間です!!」


 突然の美歌の大声に驚いたのか、有門の剣が弛んだ。


 車田の瞳が獲物を見つけた鷹のそれのように光る。


「しまっ……」


 有門の体勢が崩される。倒れゆく身体の真横を、車田がすり抜けていった。


「終わりだ! 齋藤美歌!!」


 刀を構えて跳び上がったそのとき。赤色の矢が、その身を貫いた。


「!! お前……!!」


 矢が飛んできた方向へ顔を振り向けば、赤いコートを着た仲間が弓を抱いたままうなだれていた。そして、その横にいるもう一人の杖からも赤い一線が射出された。


「くっ……そっ!」


 二つの矢に射抜かれた身体は姿勢を保つことができなかった。


 飛翔する羽を射たれた鳥のように、車田のその長身は海の中へと引き寄せられるように落ちていく。


 あえない最期に両の瞼が閉じていった。


「……また、裏切り、か」


 波間に落ち行く体が、急ブレーキを掛けられたかのように急停止する。自分の手が誰かに引っ張られている感触に閉じかけた瞼を開けると、眩しい光のその中に美歌の顔があった。


「行かせない!」


「お前! 何を!!」


「このまま終わりなんてダメです! あなたがそんなにも怒っている理由わけを話してください!!」


「一体、何を言っている! こんなんじゃ、お前も!! おい!!」


 車椅子は上手く制御が効かなかった。大人二人の体重を支えきることはできずに、タイヤが滑り、猛スピードで氷を滑っていく。


「あっ!!!!」


 海へ落ちた──と美歌が気付いたときにはもう息が苦しかった。


「美歌!」「美歌ちゃん!」


 完全に海水に浸かった耳は、二人の声をうまく聞き取ることができなかった。本物のそれのように足が動かせず泳げない体は、ゆっくりと下へと沈んでいく。


 すぐに車田の腕が優しく美歌の体を支えるが、急速に落ちようとする意識の中で、美歌はそのことに気がついていなかった。


 美歌が願っていたのはただ一つ。つかんだその手が離れないこと。ただ、それだけだった。

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