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第40話 システムの穴

「なっ……!」


「なにしてるの!?」


 それは、炎を纏った矢だった。矢の先端に火をつけたようなちゃちなものではなく、全体が炎に包まれているような、赤々と燃焼する矢が、認識するのがやっとなほどの猛スピードで美歌の足元の氷の上へ刺さった。


「なにしてるのって聞いてるのよ!!」


 三人の視線は、赤い矢と同じ色のコートを着込んだ人物へと集中する。隠すこともなく堂々と木製の弓を構えたままの松嶋すずへ。


「外れたからよかったけど、当たってたら美歌ちゃんの顔が火傷するところだったじゃない!!」


「火傷じゃすまないですよ、瑠那さん。この矢は頬をほんの少し掠めでもすれば、皮膚細胞を焼ききり、ケロイド状に顔が膨れ上がります。急所に当たれば……まあ、これまでは怪物相手にしか使ってこなかったですけどね。それに、私の狙いは外れてません」


「なんだって……!! おい、後ろ!!」


 松嶋が放った火の矢が美歌の足元の氷の塊を貫いていた。ギャリリリリと固い氷を削っていく。


「私の弓は、上級火魔法の【ファジュログローブ】を纏った弓です。氷なんて簡単に融かしてしまう。知ってますよね? 瑠那さん。ここが氷河だってこと」


「!! 美歌ちゃん後ろへ逃げて!」


 瑠那に言われるよりも早く、美歌はその危険に気づいていた。透き通った綺麗なライトブルーの氷が左右に大きく揺れて、崩れ落ちそうになっている。


 ──だが。


「ダメ! 上手く動かせない! わっ、わっ!」


 タイヤが滑って思い通りに動かすことができなかった。スケートリンクのような平らな氷河なのだ。何の対策もしていないタイヤはつるつる滑ってコントロールが効くはずがなかった。


「美歌ちゃん!」


「待て、オレが行く!!」


 杖を引き出そうとした瑠那の体の前に左手を突き出して制すると、有門は一直線に走った。揺れが一層ひどくなり、美歌の車椅子が不安定に揺さぶられる。


 つかまっているだけでも精一杯なのか、声すら上げられずに目を瞑っていた。


(頼む、間に合え!)


 亀裂が走った。繋がっていた分厚い氷が音を立てて切り離されていく。亀裂から覗く深い藍色の海中へ崩れた氷塊が落ち、冷たい水飛沫が上がった。


 ぐらりと、海に浮かんだ氷の板が一方向に傾いていく。同時にタイヤが支えを失い滑降を始めた。


 美歌が、底の見えない暗い海色に向かって真っ逆さまに落ちていく。


「きゃああああああ!!!!」


「今だ、ラピダ!」


 有門は、右手を自身の胸に向けて補助魔法を詠唱する。一気に加速すると飛び上がり、車椅子ごと美歌を押し出した。タイヤが逆回転して後ろ向きに傾斜を掛け上がっていく。


 減速することなくそのまま崩れ落ちる氷塊の頂点へ達した美歌の車椅子は、宙を飛んで後ろの氷河へと勢いよく着地した。回転が止まり、美歌の目がパッと見開かれる。


「有門さん!!」


 有門の姿はその視界には映っていなかった。大きな飛沫を上げて切り離された氷塊がひっくり返る。


 数瞬後、波のざわめきが静まり返った頃にようやく中指に指輪をはめた大きな手が波の中から上がった。


「残念。一人くらいはノックアウトできるかと思ったんだけど」


 声色一つ変えない物言いに瑠那は背中からピンクの杖を引き抜く。


「すず! あんたいったい何をしたのかわかってんの!?」


「わかって、いますよ」


 答えたのは別の声だった。振り返った先、上空高くから黒いフードの男が舞い降りる。美歌の前に立ったその男の口元が意地悪く歪んだ。


「だから戦闘開始と言ったでしょう。わざわざ『すぐに』とも付け加えて」


「そういうことじゃ、ねぇだろ!!」


 起き上がった有門が怒号を発した。水分を含んで重たくなったダウンジャケットを脱ぎ捨てる。


『居合い斬り』


 無機質なナビの声とともに投げたジャケットが真っ二つに切り裂かれる。有門の頭上を車田の細身の体が飛び越えていった。


「……対人戦は、認められている」


「どういうことだよ……! さっきあれだけ言われてただろう! 禁止だって!!」


「そう、禁止。あのスライムはそう言っていましたね。これまでも何度も何度も、脳味噌にこびりつくくらい。ですが──」


 黒いフードの下に隠された目が光った気がした。野生の猛獣のような獰猛さを感じて、美歌は気が付けば後ろへと下がり、その男と距離を取っていた。


「禁止、禁止と口うるさく言わなきゃいけないくらいなら、システムで禁止すればいいんですよ。対人戦──いわゆるPVPができないように。ですが、それはなぜかされていない。つまり、システム上は対人戦を禁止していないんですよ。システムの穴なのか、あえてそういう仕組みにしたのかはわからないですけど」


「だからって! こんなこと、許されないじゃない! 死にはしないかもしれない。だけど、戦いで痛みは感じるのよ!! 美歌ちゃんが海に落ちていたら、どんなことになっていたか!?」


「おや、今ご自身で言われたじゃないですか。『死なない』って。そう、もし海に落ちてもがき苦しみ、酸素が足りなくなって気を失ったとしても、死にはしません。ゲームオーバーになるだけ。だから安全安心で『殺し合い』ができるのです」


「てめえ! この!」


 飛び移ろうとした有門の動きを飛んできた矢が封じる。動作を制止させたその瞬間。衝撃音とともに有門の体は宙を舞った。素早く移動した車田の拳がクリーンヒットして、有門を突き飛ばしていたのだ。


「お前の相手は俺だ」


「有門!!」


「ファジュログローブ!!」


 杖を降ろうとした瑠那に向けて、直線状の真っ赤な熱線が注がれる。


「瑠那さん、危ない!!」


 美歌の声に反応して瑠那は真横へとダイブした。今さっき自分がいた場所を熱線が通過していく。身体は無事だが、綺麗に整えた髪の毛の先から発せられる焼け焦げた臭いが鼻をつく。


「瑠那さん。もちろん、瑠那さんの相手は私ですよ」


 肩で息をしながらも瑠那はその形のいい口を開いた。


「すず……まさか。最初の攻撃は、私達を分断するため?」


「そうです。一人くらいはノックアウトできたらよかったんですけどね。一番の狙いは、瑠那さんチームの分断です。チームワークはすごいかもしれないですけど、個々の力はこちらの方が上だって話になって。実際そうですよね。瑠那さんの精霊魔法も、車椅子のあの子の音楽魔法も、守ってくれる誰かがいるから発動できる。だから、分断しちゃえば使えなくなる」


「なんで……なんで、すず、あなたがこんなことするのよ!?」


「──それは私が答えますよ。簡単なことです。戦闘不能にしてしまえば、安心して進行できますからね」


 さも当然というように黒フードの男は松嶋の代わりに答えると、黒いコートの下から光る得物を取り出した。


 有門や車田の持っているそれと比べると遥かに丈の低い小刀が眩しい太陽の光を反射して、鈍色に輝く。


「もう説明はいいでしょう。私達はさっさとあなた方を潰して、先へ進まなければ行けないんですから。行きますよ、齋藤さん」

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