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第39話 サードダンジョン

「おはよう」


 いつものスタート地点で待っていたのは有門だった。時間は真夜中の0時であるため、夜の挨拶が時間的には正しいのだろうが、これからダンジョンの時間が始まるとすると、おはようは適切な挨拶な気もする。


 美歌は頬を緩ませると同じ挨拶を交わして、ゆるりと有門へ近付いていく。


「おはようございます。瑠那さんは?」


「瑠那ならもうフィッティングルームだ。サードダンジョンに合わせた服装に着替えている」


「服装?」


「ああ」


 有門のがっしりとした大きな体が美歌の後ろへと回り、車椅子の背を押した。


(あっ──)


 瑠那とは違う力強さが感じられた。安心して任せられるような、不思議な感覚が背中を包み込む。


「サードダンジョンは、氷河だ。ディラック氷河。仮想空間とはいえおそらく寒さはリアルだからな。プレイヤーはみんな厚着やコート類を買い求めに行っている。美歌もまだ持ってなかっただろ?」


 レッドカーペットの上を一緒に歩く。顔に似ず穏やかな声が頭上から聴こえてくるのが、なんだか不思議だった。


「うん。まだ持ってない。有門、さんは──もう買っているんですね」


 首を後ろに向けば、ブラウンのダウンジャケットをガッチリと着込んでいた。フードのモコモコが気持ち良さそうだった。


「そのおかげで余計な出費がかさんでしまったんだけどな。現実世界にも持っていければいいのに」


「ホントですね。もらえるお金も多いけど、払うお金も多い。スキルだけ買えばいいのかとか思ってたんですが」


「そのスキルも高いんだけどな。せっかくのクリア報酬も、もう半分以下になってしまった」


「あっ、そうか。スケールさんのところにも行かないと。まだほしい曲がたくさんあるから。敵をやっつけるだけじゃなくて、みんなを守れる魔法もほしいんです」


「バードは曲を揃えるだけで強力になれるからいいよな。シンプルでわかりやすい。まあ、普通は職業の選択外に置かれてしまうんだけど。スキルや楽器の金額は高いし、熟練度の関係では、初心者だと戦いで十分な効果を発揮するまで時間かかるしな。使いこなせるのは、今のところ美歌くらいじゃないのか?」


 ふるふると首を横に振る。緩くパーマを当てた髪の毛が揺れる。


「私一人じゃ無理です。瑠那さんや有門さんが隣にいてくれるから、演奏に集中できるんです。前回の戦いだって私一人じゃ進むこともできなかった。今日だって、二人がいるからなんとか戦おうって思えてるんです」


 嫌がおうにもあの言葉が思い出される。あれから丸一月経ったというのに、ライブを通してまた前を向こうと決意できたのに、あの言葉がまだチクリと胸を刺す。思い出すたびに心臓の音が乱れてしまう。


「だけど、決めました。負けないって。私、未熟だけどアイドルだから。負けないって。みんなで勝って、今度こそなんであんなに──あんなこと言うのか、あの人の思いをちゃんと聞きたいんです」


 有門の細い眉根が上がる。


「……美歌、まだそんなこと。あんな攻撃的なやつお前が相手をする必要はないんだ。過去のことだって美歌が気にするようなことじゃないだろ。確かに前は話ができたらいいとも思ったが、あいつは話を聞くようなやつじゃない気がする。瑠那が逆恨みって言ってたが、悪いのはあいつの父親であってお前が悪いわけじゃない。あいつが何かしてきても、オレや瑠那が必ず止めるから──」


「ダメなんです。それじゃ。……あの人が何を言ったか覚えていますか? あの人は、私が目障りだって、なんでそんなに楽しそうなんだって、そう言ったんです。私はただ歌いたくてうたっているだけ、演奏したくてしているだけ。それがあんなに否定されるなら、その思いをちゃんと聞かないといけない。それは、アイドルを選んだ私の責任でもあるんです」


「…………わかった」 


 何かを決意したように有門は小さく頷くと短く息を吐いた。


「何か考えがあるんだな? そこまで言うならもうなにも言わない。だが、あいつが美歌に何かしようって言うのなら、オレが必ず──潰す」





「来ましたね」


「ええ。待たせたわね」


 ダンジョンの鉄扉の前でそれぞれに準備を整えた二つのチームが向き合う。襟元や両袖を分厚い真っ白な毛皮で覆った薄ピンクの甘めコートを羽織った瑠那が、威圧するように作り笑いを見せた。


 対する松嶋すずがニコリと微笑み、真っ赤なチェスターコートをアピールするように前へと進み出る。


「この間のライブ話題になってましたね、瑠那さん。でも、心の準備はOKですか? 最後の勝負です。悔いのないように全力を出した方がいいですよ」


「心の準備はとっくにできてるよ。それより、今日は配信しないんだ? いつもファンに応援されているのに」


「ええ。今日は全力を出すために集中したいですから。瑠那さんたちの悔しそうな顔をみんなに見せられないのは残念ですけど」


「それはお互い様だな。負ける可能性があるのは、あんたたちも同じだろ」


「いや──」


 拳がポキポキと鳴る。睨み付けるようなその猛禽類のような鋭い眼光は、有門を、そして美歌を見据えた。


「負けない。負けるわけにはいかない。そのために、俺はここにいるんだ」


「わ、私──」


 美歌は、全身もこもこのオフホワイトのコートの袖を内側から掴んでいた指をパッと離す。床をさ迷わせていた視線をぐーっと上げて、その顔を見上げた。


「私だって、負けません! いつまでもうつ向いてなんて、いられないから!」


 レッドカーペットを挟んでそれぞれが睨み合う。あまりの迫力に他のプレイヤーは通り抜けることができずに、停滞を余儀なくされていた。


 そんな空気を変えたのは、ポーンと飛び上がったスラッグだ。もはやお気に入りの瑠那の頭に乗ると、スラッグは小さい体を左から右に動かして両チームの顔を見回した。


「こら! また騒ぎを起こして! いいかい! 何度も言うけど対人戦はきん──」


「禁止なんですよね。何度も言われたのでもはや脳味噌にこびりついてますよ」


 真っ黒なフードのしたから見える口がにへらと笑った。


「大丈夫です。スラッグさん。対人戦なんてするわけないじゃないですか。ただ、言わば私たちと、あなたのお気に入りの齋藤さん達とは、ライバル関係なわけです。だから、六人でダンジョンに入ってどちらが先に中間地点までたどり着けるか競争をしようと、そういうわけです。前回のダンジョンの日にあなたが伸びていたときに、すでにそういう話に進んでいたわけですよ」


「本当に~?」


「もちろんです」


「絶対に~?」


「はい。神に誓って」


 う~ん、と体を凹ませて唸り声を出すと、スラッグは急に瑠那の頭の上で跳びはね、レッドカーペットの上へと着地した。


「わかった! じゃあ、行っていいよ! でも、いい! くれぐれも戦いはダメだからね!!」


「ええ。じゃあ、行きましょう。後ろが詰まってるし」


 有門と車田の二人が分厚い鉄扉を開けて他のメンバーを先に通らせる。その間を通り抜ける美歌の目に温かい視線と冷たい視線が同時に突き刺さった。それに気づかない振りをしてただ前を見据えたまま、美歌の車椅子はダンジョンの入口へと進んでいく。


「ダンジョンに転移したらすぐに戦闘開始としましょう。車椅子の齋藤さんには不利でしょうが、ダンジョンにおいてはそれが平等というものです。なぜなら、ダンジョンは、お金さえあればなんでもできるマネーダンジョン、なのですから」


 六人全員が青の扉の中へと入る。扉が閉められたその直後、世界の構造が変換していき、瞬く間に広大な氷河へと変わっていった。


「さて、それでは始めましょう」


 開始の合図と同時に美歌の目の前に3本の赤い矢が飛んできた。

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