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第36話 詠唱省略

 ──しかし、魔法が発動する気配はなかった。


「瑠那!?」


 前方から困惑の声が聞こえるが、答えている余裕は今の瑠那にはなかった。すっかり濡れてしまった長い髪を苛立たしそうに掻き上げた。


「なんで発動しないの? 条件は合ってるはずじゃない! いったい何が必要だっていうの!!」


 精霊魔法【サラマンダー】は、名前からして火の魔法と連想された。だとするならば、最上位の火の魔法【ファジュログローブ】の習得と、そして熟練度が一定以上が発動条件だと推測したのだが。


「熟練度が足りないっていうの? それともまだ何か? 早くしないと美歌ちゃんの音楽が終わっちゃう! ああ、もう! ナビ! 何でもいいからヒント教えてよ!!」


『先ほども申し上げた通り、明らかにされていないシステムについてはお答えできません』


「だから! そこをなんとかさ! ヒントでいいからヒント! 上手いこと機密事項を潜り抜けて教えて!!」


『潜り抜けて。了解です。購入していたスキルは戦闘中に追加可能です』


「スキルの追加!?」


 雨が上がった上空には虹が掛かっていた。身体を突き動かす躍動的なバックミュージックに合わせて、はやる気持ちそのままに頭に浮かんだアイディアをことばに乗せていく。


「ってことは! 私が持っているスキルの中に! いろいろあるけど、どれ!? どれ!?」


『魔法は詠唱が必須です』


「そんなの知ってるわよ! 美歌ちゃんの音楽魔法は別として、他の魔法は詠唱が必要! 当たり前のことじゃな……い……」


 雷が、落ちた。せっかく築き上げていた音が途切れる。


「瑠那!!」


 精霊魔法はまだ一度も使われたことがない魔法。法外なお金と特殊な条件が必要な魔法。


「魔法には詠唱が必要。精霊魔法にも──だけど、その詠唱は……そっか」


 特殊な条件の中に詠唱があるとするならば、単に名称を叫ぶ一般魔法とは違うのかもしれない。だとすれば。


(詠唱のステップをすっ飛ばせばいい!)


『スキルの変更を実施しますか?』


「もちろん!」


『スキルを追加します。特殊スキル【詠唱省略】』


「よっしゃ、発動! 行くよ、美歌ちゃん!」


 曲に合わせるように、大きく杖を振るった。耳をつんざくような尖り声が、瑠那の後ろから発生する。


 引き続いて巨大な火球が天から落下し地面の下へ潜り込む。


 弾かれたギターの音色とともに、焔をその身に纏う四足の物体が、大理石のような硬い床を砕きながら姿を現した。


『精霊魔法火属性スキルサラマンダー、発動しました』


 その口から炎の塊が噴き出す。火山の噴火のように見る見るうちに火炎が空を埋め尽くしていく。アレグロの音に合わせて美歌の火柱をも呑み込み、燎原の火のように部屋中を舐め回した。


「あっつ!」


「我慢して!!」  


 火は、対象へ向かってほとばしる焔を伸ばして駆け上がっていった。まるで、蛇を捉える触手のように。


 四方から迫る触手に危機を感じたのか、2匹の蛇は目にも止まらない速さで回転する。


 しかし、その現象が起きるよりも早く、焔の塊が蛇を丸ごと呑み込んだ。音楽が鳴り止み、炎が解ける。残されたのは、ところどころ黒焦げになった白い部屋だけだった。


「やったーー!!!!!」


 勝利の歓声が上がる。姿をなくしたモンスターの代わりに金色の華奢な装飾が施された宝箱が3つ現れる。


「美歌ちゃーん!!!!」


 それよりも美歌へと飛び付くと、瑠那はまた両手を合わせてイチャイチャしながら喜びを爆発させた。二人の様子に重たい溜め息を吐き出すと、有門は苦笑混じりに口を開く。


「あのな、瑠那」


「ん? なあに?」


 手はそのままに首だけを有門の方へと動かす。濡れた髪の毛が重たそうに細い首へと引っ付いていた。


「あれは反則だろ。詠唱省略。魔法は詠唱が必要だから、技よりも速さに劣る。魔法よりも速く繰り出されるからこそ技の利点があるのに、その詠唱をスキップするなんて──」


 反論はすぐさま返ってきた。


「でも一つの魔法につき一回しか使えないのよ。詠唱を省略する、その代償として該当の魔法回数をゼロにするんだから。技みたいに連続攻撃はできないし、何よりめちゃくちゃ高かったんだから!」


「い、いくらだよ」


「えっと……2000万エレクトロンくらい?」


「「2000万エレクトロン!?」」


 有門と美歌の口から同時に驚きの声が上がった。


(おいおい2000万あれば、なんでもできるぞ。トップアイドルとはいえ、こいつ、どんだけ……)


「美歌ちゃんまで……まあ、いいじゃん! それで勝てたんだから! それより早く戻ろう!」


「あ、ああ。そうだな」


 三人で同時に写真を撮る。エレクトフォンの画面に宝箱が現れてゆっくりと開いていった。中には大量の金貨とファーストクリアギフテッドと書かれた羊皮紙が一枚入っている。


(換算すると、100万エレクトロンか。新しいスキルの購入その他で諸々引くと、手元には50万くらい。これだけあれば、しばらくは持つ)


 安堵の息が吐き出された。エレクトフォンを閉じると、視界が歪み、周囲が変化していく。気がつけばまた、ダンジョンの入口に戻っていた。





「ただいま」


 ざわめく人込みの最前列に松嶋すずの顔を見つけ、瑠那は勝ち誇ったような微笑みを見せた。 


「お帰りなさい。瑠那さん」


 小首を傾げながら目を細めて微笑む。テレビで見せるアイドルスマイルだ。


「以外に、落ち込んでないみたいね。私と同じで負けず嫌いかと思ったのに」


「もちろん、悔しいですよ。だけど、感情を表に出さない術は仕事で嫌というほど身に付けていますから。私のファンの方がたくさん来てくれていますし。……それより、彼の方が──」


「彼……?」


 人込みの中が騒がしい。そちらの方へ目を向けると、ポーンと高く青いスライムが跳ねた。


「ダメ、ダメダメダメだって!」


「うるさい! ここで戦う! あんなやり方で負けなんて認められるか! 俺は! 俺は!!」


「ぎゃーーーーー!!!!!」


 ポーンと飛ばされたスラッグは、くるくると回転しながらちょうど美歌の頭の上へと落ちた。


「スラッグ! 大丈夫!?」


 目をくるくる回したままのスラッグは何事か言葉にならない声を繰り返していた。


「な、なんでこんなことを?」


 恐る恐る見上げる先には、怒りを隠そうともしない車田の顔があった。


「齋藤美歌! 許せないんだよ! 何でお前はそんなに楽しそうなんだ!?」


「……えっ……?」


「テレビでも雑誌でもネットニュースでも! いつもお前は笑っている! このダンジョンでもだ! どれだけお前のファンがいるのか知らないが、俺にとっては目障りなんだよ!!」


「!!!!」


(目障り? 私が?)


 美歌の視線が下に落ちる。敷かれたレッドカーペットが、目に痛かった。


「もう、やめな──」


「『車椅子の女子高生デビュー』、『車椅子のアイドル』──全部、『車椅子』が枕詞まくらことばにつく。お前は実力でアイドルになれたと思っているのかもしれないが、世間はただ、珍しいから、面白いから、お前を取り上げているだけじゃないのか? 体が不自由なのに頑張っててすごい、障害者なのにこんなに頑張って、そんなイメージで売れただけなのに、何がそんなに楽しいんだ!」


「! てめえ! いい加減に!!」


「やめて! やめて……やめて……ください」


 下を向いているはずなのに、向けられる大勢の視線が突き刺さっている気がした。『可哀想』というあの目だ。逃れたくて目を強く瞑っても、視線はどこへもいってはくれない。


「……美歌ちゃん」


「はいはいはいはい!! じゃあ、こうしましょう!」


 手を叩きながら平然と割り込んできた声は聞き覚えがあった。確か、白いローブの。


「いや~申し訳ないですね。彼、怒ると少し我を忘れるところがあって。いくらなんでも言い過ぎです。頑張っている人は、応援しようというのが人の心だと思いますが。ただ、ちょっと確かに今回の対決、やり方に問題がありましたよね」


「やり方ってなに? そっちがそういう条件を提示したんじゃない。そして、その条件を呑んで勝負して私達が勝った。文句あるの?」


「文句はありません。ですが、やはりお互いが見えないところで戦う、というのはなかなかスッキリしないというか、本当の勝負とは言えないのではないかなと。それに、前回は私達が勝ったわけなので、実質一対一で引き分け状態なんですよ」


「それはそっち側の理屈だ。こっちは挑まれたから勝負を引き受けて、ルールに則って勝った。スッキリと勝利の気分を味わっているが」


 ローブの男はポンっと手を打ってわざとらしく「なるほど」と呟いた。


「そうなりますよね~ですけど、彼は納得いっていない様子で、ついつい暴言を吐いてしまった。貴方も金木さんも、もちろん齋藤さんも反発したのではないですか? だから、もう一度、もう一度だけ次のダンジョンで決着をつけるのはどうかなと」


「次のダンジョンで決着?」


「そうです。6人で一緒にダンジョンに入って、中間地点まで進んだチームの勝利。これで金木チームが勝てば、私が責任を持って彼を齋藤さんには近付けさせません。そして、今の発言を撤回させます。齋藤さんの実力を認めてさらにお二人のファンに──」


「そこまでする必要はないわ。嫌々ファンになられても迷惑だから」


「おや、では……?」


 瑠那は腕を組んだまま、美歌を守るように一歩前へ進んだ。キリリと鋭い眼光がローブの男と、隣の車田に注がれる。


「受けて立つわ。私はね、車椅子だからとか可哀想だからとか、そんな理由で美歌ちゃんをパートナーに選んだわけではないの。美歌ちゃんには実力もあるし才能もある。そのことをこの戦いで証明させてみせる!」


 やや沈黙が場を支配したあとに、ローブの下の口角が怪しく上がった。


「なるほど──それでは、また来月ですね」


「ええ。次も絶対に負けないわ」


 一連のやり取りの間も、美歌は一度も目線を上げることはできなかった。

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