「──じゃあ、間違いないの?」
瑠那はダンジョンに入ったにも関わらず、未だに小刻みに震えたままでいる美歌の手を擦りながら、腰を落としてその顔を見上げていた。
明らかな怯えの色がぱっちりとした大きな瞳に浮かんでいた。
「……はい。車田……あのときの運転手の方の名前です……でも」
「そうね。その子どもだからって何であんなに美歌ちゃんを恨んでいるのか──」
「そいつ、トラックの運転手だったんだろう?」
有門が口を挟んだ。二人を守るように腕を組んだままの体勢で辺りを見渡す。
「……うん」
か細い声が同意した。
「事故を起こしたんだ。それも、その、相手をケガさせるような。だとしたら仕事をクビになるだけでなく、慰謝料も払っているかもしれない。それも膨大な」
「何それ! ただの逆恨みじゃん!!」
「そうだな。逆恨みだ。だけど、あいつのあの態度、何かこう必死だった。ただ、美歌に恨みを持っているってだけじゃなく──」
三人のナビが一斉に起動したことが、会話がストップする。
『一分経過まで残り10秒。カウントを開始します。9、8、7、6──」
有門は、背中から剣を抜き取ると、真っ暗な洞窟の先を見据えた。奥にはまだ大勢のモンスターの気配がうようよしていた。
「時間だ。どっちにしろあんな奴らに負けたくはない。こっちだって腹が立つし、美歌を守るためにも。行けるか? 美歌」
瑠那の細長い手が冷えきった手にぎゅっと握り締められた。
「……うん。大丈夫です。私も、なんであんなに怒っているのか知りたい」
「よし! だったら行こう! 私もこう見えて負けず嫌いだからね! 完、全に負かしてやる!!」
『一分経過しました』
エレクトフォンのアラームが鳴り響くと同時にナビが戦闘の始まりを告げた。三人は有門を先頭に進み始める。
自然につくられたと思われる階段を車椅子を補助しながら一段一段慎重に降りていく。暗闇の先からはすでに殺気とともに複数の威嚇の声が聞こえる。
(あれは、蛇か。だとしたら厄介だな)
前回の冒険のことを思い出して、有門はちらりと後ろを歩く瑠那の顔を窺った。暗闇のせいで顔色まではわからないが、ずいぶんと強張っている様子だった。
「な、なによ?」
「言わなくてもわかるだろう。お前、前回のように──」
空気に潜ませるように静かに言葉を発した。突然の大声は敵を驚かせ、一気に飛び掛かられる恐れがあったからだ。そんなことは、言わないまでも『マルチソーサリー』そして『ダブルウィッチ』の二種類もの二つ名を持つ瑠那なら当然わかっているものだと思ったのだが。
「だ、大丈夫よ! 同じ失敗はしないし、今回はダブルウィッチの効果で魔法回数が20もプラスされているから、だだだだた大丈夫!!」
「バカ!! 急に大声出すんじゃねえ!!」
(──と、しまった! 釣られて声を大きく──!!)
失敗を嘆くよりも早く、モンスターの集団が飛び掛かってきた。
「くそっ! やるしかねぇ!!」
『
有門の攻撃意図を読んで、ナビが技名を読み上げる。敵の刃が顔に届く直前に一閃を放った白金の剣が攻撃を弾き返し、間を置くことなく切り返し胴体を抉る。その手応えをしっかりと確認した上で次の動作に移った。
(今のは牙だ。蛇に牙とくれば、とりあえずの攻撃方法は一つしかない!)
『
再び襲い来る敵に対して剣技の基本技である【リポスト】を見舞った。瞬間、さらに後ろから重なるようにして飛び掛かってきた2体の蛇に対して、素早く上下に剣閃を振るう。
『秘技・ダブル・カット』
同時に体を真っ二つに斬られた蛇は、4つに分かたれ、ゴツゴツした硬い岩盤へと堕ちていく。目の前に迫った計4体の蛇を切り捨てたころで、ようやく有門の動きが止まった。
「さ、さすがっ! 前衛職はたた、頼りになるね! ねっ! み、美歌ちゃん!」
「は、はい……」
振り返れば、反射でまだうにょうにょと蠢いている蛇に釘付けになっていて、ろくに杖も構えられていない瑠那の姿があった。
逃げ出したりムダに魔法を連発されるよりはマシだが、これではまともに戦える状態ではない。短く溜め息を吐くと、剣に付いた血を払う。
「こいつらは、
「尾で体が? か、考えただけで気持ち悪いわ!!」
(実際に巻き込まれたら気持ち悪いですまないと思うが…まあ、いい)
「そういうわけだ。身を守るためには、頼むから戦いに集中してくれ! ダブルウィッチの瑠那!」
瑠那はムッと頬を膨らませると、お手製のピンク色の杖をくるっと回転させて杖先でトンッと地面を叩いた。
「わかってる! もう、大丈夫だから! 近付かれる前に絶対消滅させるわ!」
「そこまでやらなくても――それと、美歌」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれてうつむき加減だった美歌の顔が上がった。
「まだ、あの男のことを考えてるのか?」
「えっ……いや、その……」
「悪いけど、悩んでいる暇はないぞ」
「ちょっと! そんな言い方――」
「確かにあんな言い方されたら腹が立つし、気になるとは思う。だけど、あっちは迷いなく進んでいるんだ」
黒ジャージの後ろポケットからエレクトフォンを取り出すと、マップを表示させる。3つの黒丸が、現在位置より遥か遠くを移動していた。
「見ろ。奴らもうかなり遠くへ進んでいるじゃねえか。ここで負けたら、あの車田とかいう男、きっと何も話さないまま終わってしまうぞ。勝って、話を聞かないとそのモヤモヤはずっと続いてしまうんじゃないか?」
(俺が言うことでもないが……)
黒と金の髪を手で掻きながら語った有門の言葉を受けて、美歌は背筋を伸ばした。腕に抱えたギターに力がこもる。
「そう、だよね。うん、わかった。まずはこのダンジョンを一番でクリアして、話を聞いてみる。怒るとかではないけど、なんであんなに私のこと嫌っているのか、聞いて、ちゃんと謝らなきゃ!」
謝るの前提かよ、というツッコミを呑み込んで有門は踵を返した。再び対峙した暗闇のその先へと急ぎ足で進んでいく。
「有門」
「ん、なんだ?」
「ううん。あんたチャラいだけじゃないんだなって」
「……スーパーアイドルが見た目で判断したらダメだろ。それより、あいつら――なんだったっけ?」
「松嶋すずさんチームです! 浦高の現センターですよ! 私と同じ高校1年生なのに! すごい人なんですから!!」
美歌が勢い込んで説明した。
(敵を褒めてどうする)
「その松嶋チーム。いくらなんでも進むのが早すぎると思わないか?」
「そうかも。いろいろあってちょっと足止めされただけだから、離れたとしてもほんの少し先くらいかなと思ってたんだけど、あんなにはっきりわかるくらい離れてるなんて」
「運よくモンスターに出会わなかったのか、それとも【速攻型】なのか。パッと見た感じだと、松嶋とあのフード被った男が後衛かつ魔法使いタイプで刀を持っていた車田が前衛タイプだと思ったんだけど」
「うーん。見た目だけじゃなんとも。でも、自信満々だったから、勝算はきっとあるはずよね――っと」
有門が急に立ち止まったのを見て車椅子の背から手を離すと、瑠那は杖を取り出した。いつでも魔法が発動できるように態勢を整える。
「敵だ。それも、今までのやつとは違う。単純にはいかないな、きっと」
まるで今しがた暗闇から生まれ出たように音もなく現れたそれは、蛇のようにしなる二本の手に曲刀を携えていた。