美歌は大きく肩を震わせると、耐えきれなくなって笑い出した。顔を覆っていた両手はお腹を抱え、構うことなく口を大きく開け広げる。ひとしきり笑い終えるのを有門と瑠那は不思議そうな顔をして黙って見守っていた。
「ありがとう、有門さん」
目尻に溜まった涙を人差し指で拭いながら、美歌は軽く頭を下げてそう言った。
「私の笑顔ぎこちなくなかったですか?」
「いや……」
有門は首を横に振ることしかできなかった。美歌の急激な感情の変化に、まだ思考が追いつけていない。
「よかったです……あっ、すごい軽い!」
今度は腕や首を回して、何やら嬉しそうな声をあげている。
「軽いですよ! 瑠那さん、すごい軽い!」
瑠那は、落ち着かせようとでもするように、またポンと美歌の頭に手を置いた。
「美歌ちゃん、がちがちだったから。でも、私も同じような経験あるよ。初めてライブしたときかな、自分ではいつもと変わらないパフォーマンスができたと思ってたんだけど、ライブ後、教室に戻ってメンバーみんなの顔を見たとき、はぁ~って全身の力が抜けちゃってさ。手を貸してもらわないと立てなかった」
「……瑠那さんでも?」
「そう、瑠那さんでも」
二人の会話を有門は、信じられない気持ちで聞いていた。
考えてみれば、そうだ。つい先日までただの高校生だった女の子が、急にステージに上がり、1万人ものファンが押しかけて握手をするようなアイドルに変わってしまったんだ。
(大人しくていつもオドオドしてそうな美歌が、だぞ)
体も心もおかしくなるような緊張を強いられるのは当たり前のことのように思えた。
(でも、そんなこと、今のオレにできるんだろうか)
「有門さん?」
「ん? ああ、なに?」
「今日は本当に来てくれてありがとうございます。デビューが正式に決まってからたぶんずっと、緊張してたんだと思います。その緊張が有門さんの顔を見て解けたんじゃないかなって、思うんです。……たぶん」
「……たぶんかよ」
冗談っぽく言ったその突っ込みをマジメに受け取り、美歌は手を振って否定した。
「冗談だ。その一生懸命なところが、妹が好きになったんだろうな」
「あっ、そうだ妹さん。せっかくだからなにか──」
「──はい、ストップ」
瑠那が、わざわざ二人の真ん中に割って入ってまで会話を止めた。なぜか仁王立ちして有門を見下ろす。
「まだ、正式に仲間と認めたわけじゃないわ」
白いポンポンのついたイヤリングが拒絶を示すかのように毅然と揺れた。
「瑠那……さん?」
「美歌ちゃん。私は、こういうことはキッチリ決めた方がいいと思ってるの。確かに一度ダンジョンを冒険した。そういう意味では、ゲーム上とはいえ命を守ってくれた場面もあったかもしれない。だけど、有門はなに?」
「……一度冒険を一緒にしたプレイヤー」
「そう! それに男だし。アイドルにとって異性関係のスキャンダルが一番危ないことは、美歌ちゃんもわかっているよね」
「……はい」
そうだ。瑠那は間違っていない。現実世界で、今ここにオレがいることが不自然なんだ。マネーダンジョンがなければ、たぶん会うこともなかったはずのただの他人なんだから。
「だから、有門は──」
(それなりに楽しかったんだけどな。ずっと、ソロでやってきたから、誰かが隣にいる冒険は)
そっと下を向いた有門の耳に驚きの言葉が飛び込んできた。
「正式に仲間にしよう!」
「ん?」「え?」
瑠那は得意な悪戯っぽい笑顔を見せた。こいつ、やりやがったな。
「考えてみればさ。私と美歌ちゃんだってあのダンジョンで出会って今一緒にいるんだから、有門が一緒にいることはおかしいことじゃないよ! それに、あのムカつく三人組を出し抜いてダンジョンをクリアするには、こっちも三人必要だし」
美歌の瞳が輝いた。
「それじゃあ!」
「うん! 次のダンジョンから仲間ってことで一緒にパーティー組むことにしよう! あっ、だからと言って顔パスで楽屋とかに来れるわけじゃないから、何かあればまず連絡してね!」
「あっ、じゃあ、グループつくりましょう! その方が連絡しやすいし──」
*
ネットカフェに戻り、適当に空いている席に座ったあと、有門はパソコンを立ち上げた。
カウンターで買った缶ビールを喉に流し込む。久しぶりの苦味と喉ごしが疲れた脳を痺れさせていくのがわかる。
有門の手は就職サイトをクリックしていた。少し前に書いたプロフィールを読んで、採用企業や応募条件をつぶさに見ていく。自分の感情を確かめるようにゆっくりゆっくりと時間をかけて。
ふと、頭に思い浮かんだことがあった。
(……そういえば、あいつ、オレの職業聞いてこなかったな)
美歌も瑠那も職業を聞くことはなかった。先にダンジョンで出会ったいたからこそ、必要のない情報だったのかもしれない。
(だけど、これからずっとそうとは思えない。現実世界でも付き合っていくなら、今の状況はありえない。──そうでなければ俺はまた……)
有門はビールを傾けると、それ以上考えることをやめた。
「よしっ!」
缶ビールをテーブルに置くと、有門の指が忙しくキーボードを叩き始めた。
マットの上に無造作に置かれたスマホが光っていた。
スマホ画面には、「私も、美歌ちゃんのまっすぐなところが好きなの!」と、妹からのメッセージが表示されていた。