「ナビ! グラッセをお願いします!」
『了解。音楽魔法水属性初級スキル、グラッセの楽譜を開きます』
エレクトフォンが美歌の顔の前に移動し、画面に楽譜を表示させた。それに目を走らせ、音の流れを頭の中にイメージする。
「うん。よし、いきます!」
美歌は瞳を閉じると、背筋をすっと伸ばして大きく息を吸った。
(瑠那さん、どうか聞いててください!!)
グラッセは、対象に向けて氷のつぶてをぶつける魔法。その効果に相応しく、透き通るようなか細い高音が美歌の口から発せられた。
だが、ただか細いだけではダメなのだ。音も無くしんしんと降り積もる雪のように、小さなその音の奥には芯の強さが必要だった。一定の動作を伴い、詠唱とともに発動する一般魔法よりも格別に難しいのは、音楽魔法には、それを支える確かな技術が不可欠なためだった。
ピシッピシッ、と美歌たちを取り囲む岩石に穴が開いていく。そこから氷の塊が銃弾のように飛び出し一羽のコウモリへ命中した。そして、その穴の中から美歌の歌声が漏れ出し、洞窟内を反響していく。
──ピンクの杖を持つ手が小刻みに震えていた。動揺や恐れからではなく、驚きと歓喜が瑠那の身体全体を満たしていく。
(これが──美歌ちゃんの歌声! やっぱり間違いなかった、間違いなかった!! これはもう──そう、天使のよう!!!)
長いビブラートとともに耐えきれなくなった岩石が破散する。美歌の周囲に張り巡らした氷の円環が開放された歌声に呼応するように、一斉に弾け飛び、次々とコウモリを貫いていく。最後の一羽が力なく落ちるのと同時に、音は止まった。
そして、拍手と歓声が上がった。
「美歌ちゃん!」
何が起きたのかを確認する間もなく後ろから瑠那に抱きつかれて、美歌は「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた。歌っていたときの透き通るような、迫力のある姿とはまるで別人のような慌てふためく表情が躍る。
「る、瑠那さん! 恥ずかしいですって!」
「だって~気を失ってたから心配だったんだもん!」
「あ、あの!」
首に抱きつく腕を外して、美歌は伏し目がちに後ろを向いた。
「私の歌……どうでしたか?」
一瞬、腕が緩んだ。それを敏感に察した美歌は揺れる黒目を上に動かす。そこには涼水のような物柔らかな笑顔が広がっていた。
「よかったよ」
またぎゅっと抱きしめられる。
「本当に綺麗な歌声だったよ。ベタな言い方だけど、心が洗われるような。グラッセの言葉を体現したような。水溜まりに一滴の雨が落ちて、波紋を広げるような。言葉ではとても表現し切れないけど、私は、好きな歌声だった」
──胸が高鳴るのがハッキリとわかった。鼓動が腕を通じて瑠那にも伝わってしまうのではないかと思うほど、どうしようもないくらいうるさかった。憧れの、それもトップアイドルが後ろから抱きついて耳元で歌声をほめてくれる。こんなことが、本当に起こっていいのだろうか。
「いつまでじゃれ合ってんだ?」
そんな夢見心地な鼓動を抑えたのは、有門の冷静な――いや、少し引いたような突っ込みだった。
だが、その突っ込みのおかげで一気にダンジョンの入口にいることが思い出された。少し進めばもう闇にすっぽりと包まれた洞窟の奥からは、得体の知れない音があふれ出てくる。
温かな腕がすっと離れていった。
「そうね。早く進まないと他のグループに先を越されてしまうかもしれない! コウモリが群れをなして襲ってきたことを考えると、この先にいるのは、現実世界の洞窟にも棲息してそうなモンスターが待ち構えているんだと思うんだけど……」
なぜか言い淀む瑠那の後を有門が継いだ。
「ああ、コウモリだけじゃない。おそらく、ヘビとかムシとか、そこらへんのモンスターがウヨウヨといる――」
「やめてっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
大声が有門の言葉を遮った。びっくりして声のした方を向くと、今さっきの戦闘中よりもさらに強く耳を両手で塞いでいる瑠那が、まさに苦虫をつぶしたような顔をしていた。
「ちょっと! もう!! あえて言わないようにしてたのに~!!」
さらに瑠那は、その場でムダに足踏みを始めた。身体を揺すっていないと嫌な想像がどんどんと膨らんでいってしまう。
「……ムシ、苦手なのか?」
「嫌! 言わないで!」
「……ヘビも苦手なのか?」
「お願い! 言わないで!! もぉ~次のダンジョンが洞窟って聞いたときから嫌な予感はしてたの!」
ついには青ざめた顔で自分の両腕を高速でさすり始める『マルチソーサリー』の金木瑠那の姿を見て、有門はがしがしと頭を掻いた。
「まさか、あの金木瑠那にもこんな弱点があるとは。意外だな」
「仕方ないじゃん!! 嫌なものは嫌なの! でも、攻略のためにちゃんと進むから!」
「わかった。やっぱり先頭はオレでいいな?」