(葵さん、素敵な人だったなぁ。大和さんも思ったより怖い人じゃなかったし)
美歌がフィッティングルームの鏡の前で髪の毛をセットしていると、ふとデビューを決めたその日の出来事が浮かんだ。
ここ数日、デビューを決意した以上、瑠那の隣に立つ以上、外見にも気を使わなければ、と鏡の前にいる時間が母親である伊織にも言われるほど増えていた。
今日の冒険の服装にしたってそうである。普段は寒色あるいはモノクロのシンプルなファッションが落ち着くし、好みだったが、頑張ってバラの刺繍が施された赤いニットのセーターに辛めの細身パンツを組み合わせた。どうにも瑠那と比べて下半身の肉付きが気になるが、しょうがない。
髪型も一週間前くらいに美容院に行ったばかりだったが変えた。とは言ってもショートで髪型を大胆に変えるのは難しかったために、何のひねりもない黒髪にカラーリングをしようと思ったのだが、瑠那とマネージャーの葵に「そのままでいい!」と止められた。仕方なしに美歌は全体にゆるくパーマだけをかけた。
(瑠那さんと並べば、明らかに観客の視線は瑠那さんに向かうだろうけど)
だが、それでよかった。新しく二人組のユニットをつくることに決まったものの、今のところメインヴォーカルは瑠那で、美歌はコーラスとギターだ。目立つのは瑠那の方だった。
最初の打ち合わせでデビュー日も、デビューシングルのスケジュールも全ての予定がパッと決められた。プロデューサーの大和から出された目標は、初週売上20万枚。最低でも10万枚。
CDが売れない時代ととっくの昔に言われても、「浦高」は最新シングル『サマーズショット』は初週売上が50万枚。瑠那が卒業したときのシングルは70万枚の売り上げだった。トーク券付きではあるが。
新たなユニットだとしても、「浦高」を牽引してきたトップアイドルの瑠那の楽曲であるため、それくらいの売上でヒットさせて次につなげたいという意向だった。
美歌は壁に立て掛けたギターを手にした。
(そのためには、もっとギターを上手く弾けるようにならないと)
そして、それを実現するためには、レッスン代、そもそもいくつかリアルでギターも購入しなければならず、お金が必要だった。デビュー後にはリアルもオンラインも含めてトーク会やイベントも予定されており、服も大量に必要になる。
さらに美歌は、デビューのことをまだ両親に伝えていなかった。「どこで瑠那と知り合ったのか?」「なぜ急にデビューという話になったのか?」──その経緯を話すのがめんどくさいという理由もあったが、何より反対されるのが怖かった。
(だから、このダンジョンでお金を稼がないと!)
まずは「ダンジョンでのお金はダンジョンの中だけ」と約束した瑠那に相談し、了解を得なければならない。決意を新たに美歌は、フィッティングルームを後にした。
*
外に出ると、なぜか口論が始まっていた。瑠那と、また筋肉質の有門だった。なぜか二人の間に挟まれた形のスラッグがプルルンと震えている。
「だから、あんたなんて仲間にしないって! 知ってるでしょ? 私と美歌ちゃんでベル塔を制覇したこと! あんたの助けなんかなくたって、私達は最強なの!」
「だから、少し落ち着いて話聞けって! 二人で気絶してダンジョンから帰ってきたんだぞ? どんなに魔法が使えても、前衛がいないとモンスターの攻撃を誰が守るんだ?」
「うるさいわね! 攻撃される前に倒せばいいのよ!」
「今度いつダンジョンに異変があるかわからないんだ! エラーは回復したって言うけど。それに次のダンジョンがどんなモンスターが出てくるのかわからないだろ!」
「しつこい! 少なくともあんたの助けは借りない! 美歌ちゃんを馬鹿にしたやつとなんて組めるわけないでしょ!!」
「だから、それは誤解なんだって! あの子にあったらしっかり謝ってだな──」
「もう二人ともうっるさーーーーーーい!!!!!!!!!!!」
放っておけば時間の限りいつまでも続いていそうな言い合いを、最大限の跳びはねと大声でもってスラッグが止めた。
「もう! 言い争ってる場合じゃないんだよ! ルナとミカの二人にはボーナスを渡さないといけないし、それにほら!」
スラッグが美歌の方向へ身体をぶるんと動かす。
「ミカだってもう来てるんだから!」
瑠那はパッと笑顔になり、有門は気まずい顔でそれぞれ美歌に目を向けた。二人と一匹から一斉に視線を浴びて曖昧な笑みを浮かべる美歌。
(き、気まずい。なんか最後は私の話、してたよね……?)
瑠那がいつものように駆け寄ってくる。
「美歌ちゃん聞いてよ、こいつがしつこ──」
「すまん!!!!!!!!!」
突然、大きな声で謝罪の言葉を述べると、有門は頭を下げた。準備を済ませた多くのプレイヤーが 、その様子を遠巻きに見てダンジョンへと向かっていった。
美歌がハッと気がつくまでに数秒がかかった。こんな大きな男の人が頭を下げてまで謝るのは初めてのことだったから、思考回路が繋がるまでにそれだけの時間が必要だった。
「あの、えっと、頭上げてください」
(こんなドラマでしか見たことのないような台詞をまさか自分が言うなんて……)
「なんで、謝ってるのか教えてもらってもいいですか?」