秋らしいライトブラウンのゆったりとしたスカートに、これまた幅広のネイビーのトップスがかわいらしい美歌にピッタリ似合っていた。柄のないシンプルなセレクトは、とても15歳の高校一年生には見えない。
「毛先、少しパーマあてた?」
待ち合わせの駅前で美歌を見つけた第一声だった。当たり前のように後ろへと回り、車椅子を押す。
「あっ、はい。そのちょっと……瑠那さんみたいに……」
(か、可愛すぎる!!)
後半はほとんど何を言っているのか聞き取れなかったが、全ての仕草が瑠那の心臓を鷲掴みにした。
思い切り抱き締めたくなる衝動を押さえて、瑠那はあくまでも平静を装いながらいつものカフェへと急ぐ。注目を浴びれば、誰かに自分の正体がバレてしまうかもしれないからだ。
「本当~? でも、私はショート好きだよ! 美歌ちゃん超・小顔だからすごいショート似合うし、逆にうらやましいけどな~」
他愛もない話をしながら店内へ入ると、昔ながらの鐘の音が出迎えてくれた。一分でも二分でも、こういうゆっくりと過ごせる時間が、今はとても大事だ。浦高に入学したばかりの頃は何もない時間があることにメンバーみんなで焦っていたくらいなのに。
人は、きっかけがあるだけで変化することができる。
いつもの個室へと案内されメニューを渡されると、美歌は「うーん」と唸りながらメニューと向き合う。
「美歌ちゃん、そんなに悩まなくてもいいんだよ?」
急かしたくはないが、大事なお願いがあった。美歌の性格ならば、いや、きっとたいていの人が躊躇してしまうだろうからなるべく早く切り出す必要がある。
「……だって、瑠那さんと、またいつ来れるかわからないから。今日だって一カ月のなかでようやくスケジュール空けられたって聞いて、次はもしかしたらって」
飲み込んだ水を吹き出しそうになる。無理矢理堪えたから少し咳が出た。
「だ、大丈夫! そんなふうに考えてくれてたんだね! でも、大丈夫だよ!」
(美歌ちゃんがそれを望むのなら、今の関係性は変わるから)
「そうですか……? うーん、じゃあ、やっぱりミートカルボナーラにします!」
美歌が選んだのは、ミートソースとカルボナーラがミックスされたボリュームもカロリーもとんでもないパスタだった。
「……美歌ちゃんって、細いのにけっこうがっつり食べるんだね」
「そうですか? 瑠那さんは?」
そんなボリュームあるメニューは食べたくても食べられなかった。
「そうだね。この、トマトとナスのヘルシーパスタ、かな?」
──私も高校生のときはこんなに食べてたんだろうか。今は本能のままにいつでも思う存分食べる、なんていうことはできない。
嬉しそうに頬をいっぱいにして食べる美歌の様子を見ているだけで、瑠那はお腹がいっぱいになりそうだった。
「でも、瑠那さんが元気そうで本当によかったです」
レタスをフォークでさした美歌は、ふと手を止めて瑠那の顔の辺りを見た。
「あのとき、瑠那さんダンジョンから大広間に戻っても全然動かなかったじゃないですか。スラッグとか他のプレイヤーの方が慌ててたって」
「それは美歌ちゃんもでしょ? 『も~二人とも気絶してたから大変だったよ~』ってスラッグが言ってたから」
笑い声が上がった。いつも美歌は手を当てて笑っていたのに、今日は小さな口を開けて笑ってくれている。
「そっくりですね! スラッグ、割とのんびり話すから」
「そうそう! あのしゃべり方ちょっとかわいいよね!」
小さく巻いたパスタを口へと運び、ウーロン茶を飲む。あっさりとしつつもバジルの風味が効いていて美味しかった。
「……それにしても、なんであんなふうになっちゃったんでしょうか?」
美歌は眉をひそませて視線を上へ向けた。
「一時的なシステムエラー、としか聞かされてないよね。そのためにダンジョンが変異して、レベルが想定のものよりも極端に強力なモンスターになってしまったって。本当のボスはあんなのじゃなかったみたいだし。まあ、美歌ちゃんのおかげでボスは倒して、塔はクリアしたことになったけど」
異常事態だったために実感が沸かないが、瑠那と美歌の二人が塔のファーストクリアプレイヤーとして、その名を刻まれることになった。エラーの修復が優先されたため次のダンジョンの日となったが、クリアボーナスももらえるらしい。
「それよりも、体に異常が現れたのが気になるんです。今まではゲームだ、ゲームだから大丈夫と思ってたけど、ゲームやるだけでお金ももらえて……お金も現実世界で使えるし……もしかしてゲーム自体が何か現実世界に影響があるんじゃないかって……」
「大丈夫だって! ほら、ゲーム依存症っていう病気があるらしいけどさ、ちょっとはダンジョンの出来事だって心に影響するんじゃない? 楽しいとかさ、美歌ちゃんが言ってたけど、自由だって感じるんだからマイナスの気持ちを感じることだってきっとあるって! 気にしないでいこ! スラッグみたいにさ」
「は、はい」
ダンジョンの話が一段落着いたところで、瑠那は静かにフォークとスプーンを置いた。
「ところで、美歌ちゃん、大事な話があるんだけど」
改まったその言い方に美歌も食べるのを中断して、両手を膝の上に置いた。明らかに緊張しながらも、視線はしっかりと瑠那に向けられていた。
「結論から言うとね、美歌ちゃん、デビューしてみないかなって」
美歌の開いた口はしばらく塞がらなかった。ようやく声を発したのは、瑠那がウーロン茶を飲んでバスタとサラダを食べた後だった。
「……デビューってあの、歌手とかアイドルのデビューってことですか? じょ、冗談ですよね?」
「冗談じゃないよ! 本気でそう思ってる。一応、私もプロとして歌わせてもらっている身だから、音楽に関することで冗談は言わない」
生唾を飲み込む音が聞こえた。
「前も言ったけど、美歌ちゃんの奏でるギターの音は本当に素敵なの! この前のダンジョンのときだって、私、美歌ちゃんのギターで踊りたいって思った。繊細でいて、でも大胆で、美歌ちゃんの音は心を響かせてくれる。私と一緒に新しい音を創ろうよ!」
「む、無理ですよ! 私、しばらく練習だってしてなかったくらいだし、人前で弾いたことも数えるほどしかないし、それに、そんな、瑠那さんと一緒にステージに立つ勇気だって」
瑠那は相づちを打ちながらも安堵していた。いろんな無理な条件を挙げてはいるが、「やりたくない」とは一言も言っていなかった。
かつての浦高メンバーみんながそうであったように、人前で音楽をする、ステージに立つことを夢見ていることに変わりはない。
「美歌ちゃん、今言ってくれたなかにやりたくないって言葉はなかったよね。ありきたりな台詞かもしれないけど、美歌ちゃん私のことすごいって言ってくれるけど、私だって最初に浦高でデビューしたときは、すっごい緊張してたし、いろんな壁があったんだよ」
──美歌はもちろんそれを知っていた。デビュー当時の瑠那は、決して中心メンバーだったわけではなかった。ハーフ「過ぎる」顔立ちや髪の色などからファンからは敬遠されることも多く、はっきり言ってしまえば人気はなかった。
「だけどデビューしてよかったと思う。私ね、これも誰にも言ってないけど、デビューしたきっかけは不登校だった自分、人の目ばかり気にしていた自分を変えようと思って浦高を受験したの。そんな私が変わることが証明されれば、同じように自分を隠して生きている人も一歩踏み出せるんじゃないかって」
──自分を変える。自分を……。
美歌は、その姿を想像した。自分が瑠那の横に立ちステージに立つ姿を。想像したことは簡単だった。何度も数えきれないほど、妄想していたからだ。自分がステージに立ち、歌い踊る姿を。でも、それは車椅子の自分ではなかった。
「ま、後者のは付けたしみたいなものだけど、でも、ちょっぴりでもそんなことを思っていたのは本当だよ。たぶん、浦高のメンバー、アイドルに憧れる子の多くは同じような気持ちを持っていると思う」
美歌は真っ直ぐに瑠那を見つめていた。涙を溜めて。
「瑠那さん。私も変わりますか? できますか?」
(一度は諦めた夢を、瑠那さんとダンジョンは叶えてくれた。一度は諦めた自由を、瑠那さんとダンジョンは教えてくれた。この不自由な現実も、私自身も、本当に変えられるんだろうか)
「できるよきっと。美歌ちゃんの自由なあの音なら。もちろん、私もいるし」
瑠那のその飾らない笑顔が決め手となったのか、美歌は大きく息を吸うと、「よろしくお願いします」と店中に響いたんじゃないかと思ってしまうほどの大きな声を出した。
「美歌ちゃん声大きいって! でも、そうだね。こちらこそよろしくお願いします」
──朝からずっと聞こえていた雨音は、瑠那にはもう聞こえなかった。