さっきからポツポツと雨が降っていた。朝方から降り始めた雨音は、窓を通してピンクで統一された部屋へ入り込み、ふかふかのベッドで横向きに眠る瑠那の夢の中へと容易に侵入していった。
『信じて!瑠那!! 私は本当に瑠那のことが──』
『信じない!!!! もう、何も信じられない!! あの言葉は嘘だったんでしょ!? これまでの十数年間だって、全部、全部、偽りだったんだ!!!!』
『違う! 瑠那、聞いて……聞いて!!!!』
『うるさい!!!! お金なら全部持っていっていいから出ていって! 出ていけ!!!!』
『……瑠那……』
「結……」
それは最悪な目覚めだった。慣れた様子で涙を拭うと、雨のせいかひどく痛む額を押さえながら身体を起こした。ベッドに備え付けた引き出しから、痛み止めを取り出し一錠飲み下す。
そうして大広間で手近にあった雑誌や本、しまいにはテーブルに置いた皿やフォーク、花瓶まで手当たり次第に投げつけた。手で払いながらも哀しそうな表情を浮かべるその目には光が無かった。
悪いのは雨のせいだとわかっていた。天候が片頭痛を引き起こすように、人はどうしても自然の影響を受けてしまう。あのときと同じ雨音が自分を過去へとタイムスリップさせていた。
そんな過去の映像も、頭痛が和らいでいくと同時に少しずつ消えていく。代わりに浮かび上がってきたのは、ダンジョンで見せた美歌の純粋なあの笑顔だった。
落ち着いたアンダンテのスマホのアラームが、一人しかいない部屋に鳴り響いた。真っ白な腕を伸ばしてそれを止めると、慌ただしい1日が始まった。
シャワーを浴びてヘアメイクを整えると、常温に温めたルイボスティーを飲みながら、手帳を開いて今日のスケジュールを確認する。
(午前中は『To Girl』のグラビア撮影の合間に週刊誌や新聞社の取材で、午後からは『ミュージコ・フローティング』に『タイムマシントライアングル』の収録……またあのプロデューサーの顔見なきゃいけないのか)
あれこれ理由をつけてすぐに女性タレントの肩や背中を触ろうとする生理的嫌悪感が刺激される顔が思い出され、慌ててお茶を飲んでで打ち消した。
「でも、今日は特別」
ドラマの収録もないためか、今日のスケジュールは空き空きだった。その隙間に美歌との二時間ものランチの予定を入れている。
(……そうだ)
瑠那は忘れないうちにと、パステルピンクのスマホを手に取った。
「──っあ、もしもし、この前話したことなんですが」
「あっ、今日の夜だったよね? OK、OK! 話聞いてくれるって! 瑠那の話を伝えたら即時間割いてくれたよ!」
独特の鼻に抜けるような高い声が電話先から弾けた。浦高卒業のときからずっと一緒にやってきたマネージャーの
「葵さん! そしたら、よろしくお願いします」
「うん! またあとでね~」
電話の後ろで聞こえた子どもの笑い声に胸がキュンとなる。確か今年で4歳になるんだったっけ? 子どもってなんであんなにかわいいのだろうか。
ホーム画面に戻ると美歌からメッセージが届いていることに気がつき、すぐに開く。
(そろそろネイル新しいのにしないとなぁ)
『瑠那さん、おはようございます。今日、12時からのランチ楽しみにしています! 前オススメしていたパスタ食べてみたいです。ところで、本当に体は大丈夫なんですか?』
自然と口角が緩み、早く返信したいと指が動く。
『私も楽しみにしてるよ! 美歌ちゃんにぜひ話したいこともあるし。体は本当に大丈夫! あのあと少しダルおもっていう感じだっただけだから!!』
ダンジョンでのエラーの原因はいまだわからなかった。美歌が塔のボス──アトモスを倒したことにより、期待通り無事にダンジョンから脱出することは叶ったが、 そのときに受けたダメージがなぜか現実世界に戻ってもほんの少し尾を引いていた。
精神的なものなのだろうが、それを気楽に美歌にメッセージを送ると、すぐに心配の電話が掛かってきた。いつもは遠慮してメッセージだけに留まっていたから、嬉しくなった瑠那は、ダメージのことなんてすぐに忘れて、雑談に興じてしまっていたのだが。
『わかりました! よろしくお願いします』
スタンプつきで送られたメッセージを確認すると画面を消して大きく伸びをする。ちょうどルイボスティーも飲み終わったところだ。
「さっ! 今日も頑張りますか!!」
綺麗に磨かれたシンクに犬のイラストが描かれたカップを置くと、素早く準備を整えて外へと出る。
玄関前に迎えに来た車に乗り込むと、窓の外を見上げた。しとしとと柔らかな雨が降っていた。