「そんな!! 私、私何もできないんだよ!」
美歌は地面に放り出された自身の脚を思い切り叩いた。何度も何度も何度も。明らかに赤くなった肌は、しかし何の痛みも伝えてくれなかった。
今まさに目の前で瑠那が突如現れた怪物に食べられそうになっている。それなのに体を動かすこともできなくて、ただ泣きわめくしかない。ここがゲームの世界ならなんでもできるんじゃないのか。お金を出せば今すぐ足が動くスキルを身に付けさせてほしい。そう願って無理矢理脚を腕で引っ張って動かそうとしても、やはり動くことはなかった。
「お金があればなんでもできる。ここはそう、マネーダンジョン」──あの言葉は嘘だった。
怪物の口があり得ないほど大きく開かれた。禍々しいその空洞は気を失って倒れた瑠那を宇宙空間のどこかへ吸い込もうとしているかのように無限の黒を塗りつぶしていた。
「ダメ! やめて、お願い!」
そんな悲痛な叫びも空しく、言葉の通わない化物は口を開けたまま迫る。
「来ないで!」
化物の身体が完璧とも思える白く細長いその脚に触れる。
「やめてって!」
バキッバキッと関節が外れるような音を発てて、化物の口がなお大きく開かれる。
「お願いだから!!」
化物の暗闇のなかに、夢にまで出てきた天使のようなその顔が吸い込まれていく。
「ダメェェェェェェ!!!!」
そのとき。美歌が叫んだ拍子に地面へと転がったエレクトフォンにメッセージが届いた。
『緊急スキル:クラスチェンジミニッツを発動しますか?』
(よくわからないけど、この危険を回避できる力なら!)
『美歌様、クラスチェンジミニッツを発動すれば、ダンジョンで得た全ての財産が没収されます。それでも構いませんか?』
美歌には何のためらいもなかった。
「構わないから、早くして!!」
瞬間、エレクトフォンから闇を照らす白い光が表れ、塔内全域を照らし出した。
『クラスチェンジミニッツ、発動します。一時的にバードの上級職【セージ】へクラスチェンジします。特殊職業のセージは直接物質法則にアクセスしてあらゆる現象を引き起こす能力を持ちます』
「な、なに? 物質法則にアクセス?」
『美歌様でもすぐに理解できるように説明すると、願えば夢は叶う!──です』
願えば夢は叶う! ──浦高のキャッチフレーズじゃないか。そうだとしたら、この状況もすぐに打開することができるはず。
光が止むと再び漆黒の化物が動き始めた。その怪物に向けて美歌は手をかざした。頭の中に怪物の右腕が吹き飛ぶイメージを形成して。
突然、化物の口から直接生え出たような右腕が見えない何かの力を受けたように無理矢理ねじ曲げられて吹き飛んでいった。
(これは……すごい)
続けて左腕も同じように吹き飛んでいく。コツをつかんだ美歌は、普段なら絶対に想像することのないイメージを浮かべた。怪物の動きが止まった。そのまま折り紙をくしゃくしゃに丸めたようにその形状があり得ない力によってねじ伏せられて縮まっていく。そしてついには、元々そこにはなにもなかったかのように空間の中へと消えていった。
『クラスチェンジミニッツ終了します』
そのナビの声とともに、美歌は安心感に包み込まれるように床に倒れ込んでいった。閉じ行くその目は、最後の最後まで瑠那の無事を確認していた。