そのまま二人は順調に塔を上っていった。時折現れるモンスターも二人のコンビネーションを活かして撃破していく。
戦えば戦うほど、二人の戦い方は洗練されていき、このペアしか考えられないほどに無双状態で道を切り開いていった。──1つの懸念を除いて。
(まずいわね。魔法の使える回数がもうあと少ししかない)
「瑠那さん、これだけお金があれば、戻ったらすぐに借りたお金返せますよ。新しい楽器や楽譜も買えるし、服とかも」
戦闘に慣れてきて緊張感が和らいだのか、美歌は嬉しそうな笑みを瑠那に向けた。
『現在、50万エレクトロンがあります』
「50万!? そんな大金持ったことないですよ! これだけあったら、あっ、ギターがあと2本は買えます! ね、瑠那さん」
「う、うん。そうだね! なんでも買えるよ!!」
そう、瑠那はあいまいな返答しかすることができなかった。相変わらず異常事態を知らせる赤い点灯はつきっぱなしで、ダンジョンが元に戻る様子は見受けられなかった。
敵は階を上がることに強力になっていき、このままでいけばボスはいったいどんな化物なのか。
(美歌ちゃんの魔法は強力だけど発動までタイムラグがある。私が戦えないと戦況は一気に悪化する。……私が頑張らないと、いけないんだ)
「瑠那さん、私、ダンジョンに来てよかった」
瑠那の焦りを解いたのは、美歌の予想外の告白だった。こんなに柔らかな笑顔を見たのは、出会ってから初めてだったかもしれない。
「瑠那さんと一緒にいれる奇跡みたいなことが起こったのも嬉しいんですけど、ここだと、私のように脚がろくに動かない人間でも、みんなと対等にいられる気がして。私、嬉しかったんです! 瑠那さんが、あの男の人に怒ってくれて。今なら私、足手まといなんかじゃないって、自分の言葉で胸を張って言えると思う」
そこで言葉を切ると、美歌は前を向いた。
「ここでなら、私は自由なんです!」
唇を噛み締めると同時に、背中を押す瑠那の手に力がこもる。美歌の小さな背中が、どこか窮屈な檻に囚われていた自分と重なったのかもしれない。
「ハーフだからって調子にのってるよね」「ちょっと顔が可愛いからってさ」「お前には大した力はないだろう」──何気ない言葉の、視線の鎖に気づかないうちに縛られていた自分を。
「美歌ちゃんの音は、とっても綺麗な気持ちになるんだよ」
瑠那は心の底からそう思っていた。
歌もダンスも演奏も、練習すればするだけ上達はする。だけれど、それ以上の付加価値を与えられる人間というのは稀だ。それはもう天性の才能というしかない、と瑠那は思っていた。
その人の人生の喜怒哀楽に裏打ちされたどこか確信めいた音だけが、きっと「上手い」以上の感動をオーディエンスに届けることができる。自分にはないそれを美歌は持っている。
(無事にダンジョンから戻れば、現実世界でその話を──)
「瑠那さ──」
突然車椅子が止まったのを不思議に思って美歌は後ろを振り返った。
──ゲームのお約束通りにボスが最上階でのんびり待っているとは限らない。しびれを切らしたそれが自ら向かってくることだって有り得る。だが、二人はその可能性を無意識の間に除外していた。
突如現れた、見るからに禍々しいその姿を見たときに、美歌はすぐにブラックホールを連想した。空間とその実体とが混ぜ合っているような、境界線が明確でないその黒のフォルムに、真ん中に大きく開けた空洞。
その口から放たれたエネルギーを凝縮したような暗黒の球体を目の前にしても、そんな連想をしてしまうほどに美歌は平静さを失っていた。
「ラピダ!!」
瑠那の魔法をその身に受けるものの、黒の塊は元々が速すぎた。自分の名前を叫ぶ声が耳に届き、車椅子が押し出される。
地面に投げ出されたと気づいたときには耳元を豪速球が通過していった。
何が起こったのか確認する前に美歌は弦を弾いた。しかし、それは宙を弾くだけで何の音も発しない。ギターは落ちたときの衝撃で遠くへ飛ばされていた。起き上がろうにも手の届かないところに転がっていた。そして、それ以上の衝撃が目の前にあった。
「瑠那、さん?」
地面に顔を伏して横たわっている瑠那は、怪物が迫ってきているというのにピクリとも動かなかった。
「瑠那さん!」
自分を助けようとしてかばったのはすぐにわかった。それと同時に絶望的なこの状況も。
『美歌様、このままだと大変危険な状況です』
言われなくてもわかっていた。だが、ギターを取りに行くことも車椅子に乗ることも簡単にはできない今の状況では、事態を変えるのが難しいこともわかっていた。
(だけどこれはゲームのようなもの。痛みはあるって言ってたけど実際の影響はきっと──)
『いいえ。ダンジョンに異常事態が発生している以上、どんな影響が起こるかわかりません。最悪の事態としては、死、も考えられます』
美歌の顔に明らかに動揺が走った。