「なんなのあいつ! もう頭にきた! 絶対に塔を制覇して悔しがらせてやる!!」
今、もう顔も見たくないって言ってたのでは、と疑問符が浮かんだが、美歌はあえて何も言わなかった。対立ごとは苦手で黙っていた方が無難に過ごせることも多い。
部屋が目まぐるしく変わるなかで、突然赤いランプのようなものが点滅を繰り返す。左右に顔を振って状況を確認しようとする美歌の不安な心を察知してナビが起動した。
『エラー発生。エラー発生。ステージが変わり、ダンジョンが変異します』
「な、何言ってるの!?」
『緊急事態です。何らかの原因により誤作動が生じました。ダンジョンの中へは入らないでください』
瑠那の持つエレクトフォンからも無機質なナビの音声が流れた。
「ダンジョンに入らないでって……もう、私達ダンジョンの中にいるんだけど!」
『不具合が解消されるまで、ダンジョンから外へは逃れられません』
「そんな、じゃあ、ダンジョンでエラーが直るまで待つしかないってことですか?」
その質問には、美歌のナビが答える。
『美歌様。その作戦は推奨しかねます。むしろ、積極的に前進することをお勧めします』
「え……じゃあ、外から誰かが来てくれるとか」
「それはできないよ、美歌ちゃん。一緒にダンジョンに入ったプレイヤー以外は、同じだけど別のダンジョンへ転移される仕組みなの。つまり、同じ塔でも別空間の塔へ転移されて、それぞれが攻略していくことになるから、助けは期待できない」
そう言った瑠那の声が弾んでいることに気がつき、美歌は後ろを振り返った。緊急事態にも関わらず、いや、緊急事態だからこそなのか、ワクワクしたような笑顔が、美しい顔に浮かんでいた。
転移が完了し、記憶に新しいレンガで組み立てられた塔へと全面が変わると、さっそくその異変が現れた。
入り乱れた足音が迫ってくる。
「え? えっ?」
戸惑う美歌の前に杖を手に持った瑠那が躍り出た。
「美歌ちゃん演奏を始めて!! 大量のモンスターが来るわ!!」
そう言うやいなや、二人の前に大小様々なモンスターが、姿を現した。
前回倒したバイコーンのほかにも、双頭の犬やマンモスのように長い牙を持つ象、そして色とりどりのスライムなど形も大きさも様々なモンスターの群れのなかに、瑠那はまた雷を落とした。本物の落雷のように一瞬だけ発光するそれは、しかしたったスライム一匹だけを仕留めることしかできなかった。
(一般の魔法スキルは、基本的に単体にしか効果を及ぼさない。これだけのモンスターを相手にするには、やっぱり美歌ちゃんの魔法スキルが不可欠。少しでも長く時間を稼がないと)
瑠那は、後ろで奏で始められたギターの音色に耳を済ませながらも、杖を斜めに勢いよく振るった。
「『ヴェント』!!」
剣を振るうようなその行動から生まれたのは風の刃。飛びかかろうとした二つの頭を持つ灰色の犬が切り裂かれる。
(次!)
続いて下から上に杖を振り上げ、火柱を起こす。水球、土壁、そしてまた落雷を落とすも、敵の勢いは全く削がれる様子はなかった。
美歌の掻き鳴らす曲はまだ半分くらいの地点だった。このままだとどう計算してもモンスターの群れに襲撃されてしまう。前衛がいればまだ余裕は生まれるんだろうけど──と思考を巡らせたところで瑠那の脳裏に軽薄そうな色黒の顔が浮かんだ。
「いや! 絶対いや!」
『瑠那様、余計なことを考えている状況ではありません』
「わかってるわ!」
(敵の数がいくらなんでも多すぎる。それにこの先のことを考えると、魔法の回数制限も気になるし──あれを使うしかない!)
ピンクの杖を高く掲げると、瑠那は少し乱れた息を整えて、振り向き様に美歌に杖を振り下ろした。
「『ラピダ』!」
途端に美歌の演奏スピードが上がった。だが、美歌はその様子に気づくことなく一心不乱に機械のように正確に指を動かし続けている。
(この曲、いいダンスナンバーになりそう)
そんなことを思いながら、瑠那も自分自身に魔法をかけてそのスピードをアップさせた。美歌の演奏に合わせて踊るように、舞うように魔法を続けざまに発動させていく。演奏がピリオドに達した瞬間に、毛むくじゃらのマンモスの鋭い牙が瑠那の身体を確かに抉った。
「ぐっ……ろ、『ロブ』!」
「瑠那さん!!!!!」
そこで、魔法が出現した。モンスターを襲う巨大な火の玉が、地獄にあるという業火のように、呻き声も叫び声も含めてその全てを呑み込んでいく。
敵が殲滅するのを確認すると、美歌はすぐに瑠那の元へ移動した。
「瑠那さん!! 大丈夫ですか!?」
継ぎ目の荒い煉瓦の床の上に倒れ込んだ瑠那の体に触れると、パチッと目を開けて何事もなかったかのように瑠那はすっと立ち上がった。美歌の目には、瑠那のその柔肌は、明らかにモンスターの牙に貫かれたはずなのだが、その痕跡はどこにもなかった。
「瑠那さん、大丈夫、なんですか?」
返事の代わりに瑠那の胸が顔に押し付けられる。柔らかくて温かくて良い匂いで、一気に美歌の体温が上がった。
「あ、あの!」
なんとかその罠から抜け出すと、美歌は赤くなった顔を両手で隠しながら目線を上げた。悪戯っぽい笑みの瑠那の顔がすぐそこにある。
「も~そんな可愛い目でじっと見つめられたら抱き締めたくなっちゃうよ! 大丈夫! 咄嗟にロブを使ったから!」
「ロブ……?」
「うん! マルチソーサリーの『二つ名』を持つプレイヤーだけが使える魔法! 対象を攻撃すると同時に別の対象を回復する魔法。それで傷も瞬く間に回復したの!」
美歌は胸を撫で下ろすと、浮かんだ疑問を口に出した。
「あの、二つ名ってなんですか?」
『二つ名は、ダンジョンにおいてある条件を満たしたプレイヤーに与えられる称号です。様々な種類が存在し、今もプレイヤーの行動によってその数が増え続けていますが、たとえば、比較的簡単に入手できる『マジカルファイター』という二つ名は、初級一般魔法の三種以上、一種類以上の武器装備スキル、初級技の三点を満たすと、その二つ名が与えられます』
「私のマルチソーサリーは、マジックとクレリックの扱う基本魔法スキルを全て修得したことでもらえたの! 二つ名にはボーナスがあって、このマルチソーサリーのボーナスの一つが、ロブの習得! この魔法が使えるのは、今のところ私しか見たことないわ! さて──」
落とした杖を拾い上げた瑠那が車椅子の後ろへと回り、そっと優しくかつ力強く押し始めた。
「行こう! 何が起きるかわからないけど、最上階のボスを倒せばきっと元へ戻れるはず!!」
瑠那さんは、こうしていつも勇気づけてくれる。自然と内側に入り込んで、かたくなになった心を解かしてくれる。大丈夫、最後まで戦える──瑠那の心地良い声に耳を傾けながら、美歌は密かに決意を固めていた。