0時きっかりに当然のように小さな自室から大広間へと転移した美歌は、酒場の入口で腕を組んで待っていた瑠那の姿を見つけた。
「瑠那さん!」
満面の笑みを浮かべると、瑠那は腕組みを解いて抱擁するように車椅子へと駆け寄っていった。
「こんばんは、美歌ちゃん! 待ってたよ!! まずは、フィッティングルームへ行こう!」
「フィ、フィッティングルーム?」
それは初耳だった。美歌の後ろへと回り、車椅子を押し始めた瑠那によると、ダンジョンで購入した武具やアイテムのうち、アプリで出し入れできないものがそこに収められているらしい。たとえば美歌の場合、ギターがそれに当たる。
言われてみれば、酒場の横隣りには前回はなかったはずの建物が設置されていた。酒場と同じくらいの大きさのそれは、フィッティングルームと言うには大きすぎるが、プレイヤー全員の所得物を管理するには小さ過ぎた。いつもの重苦しい鉄扉の前に移動した美歌は、首を傾げてしまう。
『問題ありません。美歌様。フィッテイングルームは、プレイヤー一人ひとりに与えられた仮想空間。中に入れば、必要な面積が自動的に構築される仕組みとなっています』
美歌のエレクトフォンに搭載されたナビが美歌の心中を察して起動した。
「えっと、どういうこと?」
『……つまり、美歌様が必要と思われる広さの部屋がその鉄扉の向こうにある、という説明ではいかがでしょうか?』
一瞬、間があったのち、ナビは丁寧に答えた。
「その扉はそれぞれプレイヤーの部屋につながっているの。私が入れば私の部屋。美歌ちゃんが入れば美歌ちゃんの部屋、というようにね。私も準備はこれからだから、準備が終わったらここで待ち合わせしよう!」
「はい!」
嬉しそうな返事につられて微笑むと、瑠那は先に美歌をフィッティングルームへと通した。おもむろに開いた部屋の奥の暗がりへ美歌が吸い込まれるように入っていく。
再び閉まった扉の中へ瑠那が入ると、途端に暗がりが切り替わり、パステルピンクの部屋へと変わった。
瑠那は、正面へヒールの音を立てながら向かうと、クローゼットを両手で開き、数十着あるうちからシンプルな白のノースリーブのトップスと8分丈の黒パンツを選んで着替えた。長い髪は前回と同じように後ろで三つ編み団子にまとめ、両耳に8分音符型のシンプルな金のピアスをつける。
続いて木製の収納棚に立て掛けられたピンク色の杖を取り出すと、下に置いた青のデッキシューズに履き替えて瑠那は部屋を後にした。
外へと出ると、すでにギターをその手に抱いて待っていた美歌が、困った表情を浮かべて誰かと会話をしている。
(あいつは、確か――)
見覚えのある顔だった。浅黒い肌に、半分金髪で半分黒髪の特徴的な――そう、酒場で美歌に迫っていた、名前はなんだったか。
「有門さん、だから、瑠那さんに確認してみないことには……」
(そうだ、有門……優とかいうナンパ男だ)
こういう輩は、美歌のように「良い人」対応では付け上がるだけ、そう思った瑠那は有門と美歌との間に立って、杖を突きつけた。
「また、あんた? 私の美歌ちゃんに指一本でも触れたら、今度こそ、消すわよ」
「いや、待て! そうじゃない! ただ、仲間に入れてくれないかって相談してただけで――」
慌てたように両手を体の前で振る有門の後ろから、ポーンと青い物体が飛んできた。それは、瑠那の頭を踏み台にして後ろの美歌の柔らかそうな髪の毛の上へと着地した。
「だ・か・ら、対人戦は禁止だって! 魔法や技はあくまでもモンスターに対してだけだよ!」
「へぇ~、じゃあ、スラッグになら魔法を放ってもいいんだ」
真っ青な顔がさらにブルーになった。
「い、いや、ダメだよ。僕は……ほら!」
「悪いスライムじゃないから、でしょ? もう聞き飽きたわ、その台詞。そんなことより――」
瑠那は、白い無地のTシャツ一枚だけを身に着けた、いかにも前衛職らしき有門に向き直るときつく腕を組んだ。
「私たちの仲間になりたいって?」
「そ、そうだ。マルチソーサリーのルナと組めば、ガンガンモンスターだって倒せるし、稼いだお金で一気にお金持ちにだってなれるだろ?」
瑠那は興味ないとでも言いたげにそっぽを向くと、手をひらひらとさせた。
「ハッキリ言うけど、そういうの嫌いなの。私と美歌ちゃんは他の大勢のプレイヤーとは違って、お金儲けのためにこのゲームやってるわけじゃないし。じゃ、行こう美歌ちゃん」
踵を返すと、邪魔が入った腹いせにスラッグの頬を引っ張ろうと伸ばした瑠那の腕が乱暴に引っ張られる。
「いった! ちょっと、何するのよ!」
「あっ、悪い……」
パッと手を離すと、有門は瑠那の後ろにいる美歌に視線を向けた。
「美歌とか言ったな。お前、その脚で本当に戦えるのか?」
「えっ……?」
「ちょっといくらなんでも失礼じゃない! 美歌ちゃんはね、バードなの! このギターの演奏で広範囲魔法を起こしてモンスターを一掃するんだから、あんたみたいなねぇ、前衛で武器を振るうことしかできないプレイヤーとは違うのよ!!」
「あ、あの、瑠那さん──」
「もう、行こ! 時間もないし、こんなのに構ってる暇ないよ!!」
赤ら顔になった瑠那は、美歌の後ろに回るとすぐに車椅子を発進させてダンジョンの扉へと向かった。
「ちょ、ちょっと待てよ!!」
(何!? あいつまだ付いてくんの!?)
「まだ話は終わってないだろ!」
「付いてこないで!!」
険悪な様子に周りのプレイヤーも視線を向けてくる。瑠那は視線を振り切るように、様々に衣装を凝らしたプレイヤーの間を肩を切らせて歩いた。
スラッグが後ろへ飛び上がると同時に素早く扉を開けて中へ入ると、瑠那と美歌はそのまま奥の青扉へと進む。その後ろで再び扉が開き、有門が侵入してきた。
「待てって!! 少しは俺の話を聞いてくれ!」
「しつこい! 言っとくけど私はね、あんたみたいな自分勝手な男が一番嫌いなの! その脚で戦えるのかって!? あんたより何十倍も美歌ちゃんの方が強いわよ! 仲間にする気はないし、もう顔も見たくないわ!」
啖呵を切ると、瑠那は扉の先へと吸い込まれように入っていった。
──だが、そのとき二人はまだ気づいていなかった。
突如、暗闇に赤い照明が、けたたましいサイレンのような音とともに部屋の中を明るく染める。
「なんだ!? おい、本当に待て!!」
叫んだ有門の声は、ダンジョンへ転移した二人にはもう届いていなかった。騒ぎに気づき何人ものプレイヤーがなだれ込むように集まる。そのうち、弓矢を携えた緑のベレー帽が似合う女性が声を上げた。
「な、何あれ!?」
有門が指をさされた方を見上げると、宙に浮か二つのディスプレイの画面が消えて代わりにプログラミングのような英語と数字の羅列が表示されていた。
(なんだ、一体何が起こっている?)
有門の黒い瞳が心配そうに細められた。