「本当、珍しいわね。自分から外出するなんて言い出して、何かあったの?」
「だから、たまには外に出たいなって思っただけ。言っておくけど、絶対ついてこないでよ!」
「はいはい。ついていかないから」
そう言って美歌の母──
引きこもり気味だったとはいえ、中学生の時までは友達に誘われ、なんとか休みつつも学校へは通っていた美歌だったが、中学を卒業し、通信制高校へ進学すると途端に外へは出なくなってしまった。
学校の授業は真面目に受けているようだったが、親心的にはもう少し外の世界へ興味を見てほしい。そう少し心配していた矢先の外出希望に、伊織は喜んで準備を手伝っていた。
「で、何があったの?」
「な、何でもないってば!!」
きっと気になる男の子でもできたのだろう──と伊織は内心当たりをつけていたが、実際はその予想を超える事態が進行していた。それはまた、美歌にとっても同じこと。
着替えを終えた美歌は、鏡に自分の姿を写す。この日のためにとネットで購入した夏らしいブルーのリネンタッチのティアードワンピースに、薄手の白いカーディガンを羽織っている。
最後に、水色の大きなリボンが目立つ麦わら帽子を、カットしたばかりのショートヘアの上にかぶった。
(……これなら夏っぽいし、スタイルも目立たないし、子どもっぽくは見えないかな?)
瑠那の服装を想像してみる。
まず浮かぶのは細長くキメの細かい白い脚。目立たないが実はボリュームのあるバストラインに細くて長い首、小さな顔をキラキラとブロンドヘアが輝く。
でも、横に並ぶのは、こうして車椅子に乗った自分。どうしたって落差が生まれてしまう、と思うと自然とため息が出た。
美歌にとっては、瑠那と、ダンジョンではなくて、現実の世界で、それも二人きりで会えるのは、まさに天に昇るほどの信じられないくらいスゴいことだった。
が、同時に、私なんかが二人きりで会うのを許されていいのかという気持ちと、他のファンの人に申し訳ないという気持ちがしつこく付きまとっていた。
瑠那に会うと決意できるまでには、もう一カ月ほどが経過していた。
その間、日常生活で変わったことはほとんどなかった。客観的に見れば。
変わったことと言えば、トップアイドルの金木瑠那と日常的にメッセージアプリでやり取りするようになったくらいだ。ただ、その変化は、もちろん美歌の生活を一変させた。
きっかけは、ダンジョン一日目の最後に瑠那から渡された番号に電話を掛けたことだったが、それが実現するまでにもいくつかのためらいを乗り越えなければならなかった。
第一点目。今起きたことはリアルなのか。これは大事に握り締めていた手の中に瑠那から渡された紙があったことですぐに証明された。
……大好きな気持ちが強すぎて自分で架空の番号を書いてしまったという可能性も否めなかったが。
他のギターや車椅子など、ダンジョンで購入、もらったものは無くなっていたのが謎ではあったが、ダンジョンはどこか電子的な世界。たぶん、データ的な何かなのだろうと深く追及するのはやめておいた。
そんなことよりも、瑠那に実際に会い、会っただけではなく言葉を交わし、一緒に歩き、冒険をした事実に驚く。「浦高AFTERSCHOOL」を見逃すくらいには、その事実は美歌に興奮を与えた。
第二点目。渡された番号は、本当に瑠那の番号なのか。
ふと我に返った美歌は、手の平にある番号をしげしげと眺め、瑠那がイタズラをしたのではないかと不安に駆られた。
逆にその方が自然な気もしてくる。瑠那のようなトップアイドルが、自分のような何の取り柄もない人間にプライベートな連絡先を渡すはずがない──と。
しかし、同時に頭に浮かぶのは、あの無邪気な笑顔。テレビや雑誌で披露するのとは違うあの自然体な笑顔。あんな笑顔をする人が、嘘の番号を伝えるだろうか。もし、違う人に繋がったらその人に迷惑をかけるのだ。
それを確かめたいと心積もりをつくったときに立ち塞がったのが第三の問題だ。
(もし、本物だとしたら、ほんとうに連絡をしていいのだろうか)
瑠那のファンは老若男女大勢いる。そのみんなが大なり小なり瑠那に会いたい、話したいと思っているはずで、そんななかただのファンの一人である自分がプライベートな連絡を取るのは、ルール違反な気がするのだ。
やめよう。何度そう思っても、瑠那の笑顔で頭の中がいっぱいになって勉強が手付かずになる。次のダンジョンに備えてギターの練習をしようとするも、すぐに集中できなくなる。そんなこんなを繰り返して2週間目でようやく、決意を固めた。
いよいよ毎日のルーティンであった瑠那のblogチェックすらできなくなっていたある日。ノートパソコンのふたを閉じると、引き出しから番号を書いた紙をその上に取り出し、一つ一つ確認しながらスマホで番号を打った。スマホを耳に当てると通話音が鳴る。すぐに相手は出た。
「もしもし! 美歌ちゃん!? やっと電話来たよ~も~ずっと待ってたんだから!」