はっと思ったときには、バイコーンが飛び掛かってきていた。同時に美歌のギターの音がミュートになる。
その瞬間。瑠那の目の前に、自身の身長ほどの大きな火の玉が出現した。荒れ狂う波のように蠢くその焔の塊は、バイコーンを網に掛けたように包み込み、苦渋の声を上げさせる間もなく呑み込んでいった。
炎が消えたとき、今襲ってきたはずの獣の姿は、それこそ影も形もなかった。
間があった。4分休符が4回ほど続く長い沈黙の後、瑠那は杖を放り投げて大歓声を上げた。
「やったぁーーーー!!!!」
ポカンと口を開けたままの美歌の手を強引に引っ張るともみくちゃに動かし、最後に美歌の頭の上で手を止める。
「え、あの、え?」
「ハイタッチ!」
パンッ、と小気味いい音が余計な構造物のない塔内に響き渡っていく。美歌は、その余韻にすら耳を傾けるほど、離れた手の感覚を味わっていた。
「あ、ほら、エレクトロン金貨と、お、珍しい! 角を落としていったよ!」
美歌は、瑠那に言われて車椅子を前に進めると、今しがた火が起こった場所に大量の金貨と長い角が落ちていた。
「これをね、エレフォンで写真を撮ると、データ化されて所得物として保存されるの。めんどくさいからこの過程を自動化するアプリもあるけど、美歌ちゃんまだ持ってないでしょ? はい、撮ってみて」
後ろに回った瑠那が耳元でささやくように言う。
美歌は恥ずかしさを隠したまま、言われた通りに写真を撮った。エレクトフォンの画面に所得物という装飾された文字が表示され、エレクトロン金貨5000枚とバイコーンの角が画像とともに現れた。エレクトフォンの先にあったはずのそれらはどこかへ消えたかのようになくなっている。
(というか金貨5000枚っていくらくらいなんだろう?)
その疑問には無機質なナビが答えてくれた。
『1エレクトロン金貨=10エレクトロンに換算されます。つまり、計算すると5000×10=5万エレクトロンとなります』
思わずギターをその手から落としそうになって美歌は両手でつかんだ。
「5万エレクトロン!? 5万円ってこと!?」
(買うのにもすごいお金かかるけど、もらうのもすごい額!)
瑠那がヘアバンドを取りながら、その先を継いだ。
「今の敵は強敵だったからね。まあ、それでも普通に冒険してるだけで結構なお金が貯まるよ!」
スラッグの言う通り、夢のようなダンジョンだなと美歌は大きく息を吐いた。
(大量のお金がもらえて、魔法が使えて、モンスターも出てきて、なにより夢にまで見た瑠那さんと一緒に冒険ができて)
「あっ!」
知らず知らずのうちに美歌は、最も大きな懸念事項をクリアしていたことに気がついた。それは──。
(普通に戦えるのか……)
──脚もろくに動かすことができず、弱虫で、引っ込み思案で、迷惑かけたらどうしようと思ってたけど、何も気にすることなく振る舞えることができていた。
そのことに気がついたとき、美歌の目から、また涙が零れ落ちた。いつの間にか前に移動していた瑠那が、それを人差し指で拭ってくれる。
「楽しかったね、美歌ちゃん!」
「はい……とっても……」
至近距離でくしゃくしゃな顔を見られて火が吹きそうなくらい顔が熱かった。それでも溢れ出てくる涙は止まらず、しばらくの間二人はその体勢のままでいた。
『間もなくあと一分で時間です』
ナビの声が二人を慌てさせた。
「あっ、そうだった! 今日は時間短いんだったね! えっと、はい、これ、急ぐからとりあえず私のリアルの番号!」
「え!? いえ、もらえないですよ! だって……」
「いいから! そこで連絡取り合おう! 私、もっと美歌ちゃんのこと知りたいし!」
押し付けられた紙を両手でしぶしぶ受け取ると、美歌は遠慮がちに手を振った。瑠那が、最高の笑顔で手を振ってくれていた。
また景色が歪んでいく。見慣れた美歌の部屋が現れ始めた。
「あっ! そうそう! 美歌ちゃんの演奏! とっても心に響いたよ! ファンになりそう!! じゃあ、またね~!!!」
弓で射抜かれたような衝撃を心に受けたまま、美歌は小さな住み慣れた空間に戻っていた。