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第7話 ダンジョン前の深呼吸

 美歌は、プレイヤーが行き交うなか大広間の正面に設置された一際大きな鉄扉の前にいた。


 その手には、購入したばかりのクラシックギターが握られていた。ダークブラウンのそのギター(R-ex)は、リザードマンの店主リーマン曰く一本一本丁寧に手作りされた文字通りこのダンジョンに一つしかない逸品らしく、すぐに美歌の手に馴染んでくれた。


 唯一の問題は、その値段が10万エレクトロンを超えていたことだ。現実世界においても、10万円するギターなどなかなか手が出せないので、嬉しいことは嬉しいのだが、それが「貸し」であり、しかも扉を前に大きく息を吸い込み目を輝かせている瑠那からの貸しであることが、重くのしかかっていた。


(ギターが10万でしょ。ギタースキルが5000で、魔法スキルが10000、15000、20000で合計15万! 公立高校の授業料とたいして変わらない……)


 思わずため息が出てしまった。このダンジョン、お金がかかりすぎる。


『お金を借りますか?』


 美歌の心の声を察してエレクトフォンが起動した。さきほどギターを購入するついでにダウンロードしたナビゲーションアプリだ。声に反応して起動するだけでなく、持ち主の動作や仕種からその心理状態を把握して適切な情報を提供してくれる優れもの──らしい。


(ちょっと怖いけど……)


 首を横に振ることでナビは終了した。ちなみにこのナビゲーションアプリにもお金がかかるが、一回の冒険使い放題プランが500エレクトロンだったため、こちらは自分のお金で購入することにした。


「大丈夫だよ、美歌ちゃん。最初は緊張するけど、何があっても死ぬことはないから。ゲームを面白くするために痛みはあるけど、ま、敵の攻撃が当たらなければ意味ないから、気にしない、気にしない!」


(いや、少しでも痛いのは、嫌だなぁ)


 ナビ並みに美歌の心理を察したのか、瑠那は明るい声で付け加えた。


「大丈夫! もしケガしても私がすぐに回復するし、なんなら自動回復魔法かけとく?」


「いえ、それは、大丈夫です。たぶん……」


「大丈夫だって! 習うより慣れろ! だよ!」


 元気づけるように高い声を出したスラッグは、美歌の上で跳ねると赤いカーペットの上へ着地した。


「僕はダンジョンに入るまでの案内人だからここまでなんだ! じゃあ、ダンジョン楽しんできて!」


「そうだよね~騒がしかったからちょっと寂しいかも」


「うん、けっこう気持ちよかったのに……」


「うん?」


「いえ! な、なんでもないです!!」


 変な性癖だと思われたらどうしよう──そんな不安をよそに美歌の車椅子はダンジョンの入口に向かって進んでいく。近付いてよく見ると、両開きの扉の中心には、球体の周りを複数の楕円が囲むような謎の模様が描かれていた。


(うーん、宇宙みたいな……?)


「ちょっと待ってね」


 瑠那は車椅子の前に出ると、扉を両手で押し開けた。扉の奥にはただ、暗闇が広がっているように見える。


「ここだけは自動じゃないのよね。たぶん、これからダンジョンに入るぞっていう演出なんだろうけど」


 再び車椅子に手を置くと瑠那は滑らせるように美歌の背を押し始めた。暗闇に向かうその後ろからスラッグの声援が聞こえる。たぶん、ぷにぷにと体をくねらせているんだろう、と美歌は想像した。


 二人が完全に扉の中へ入ると、扉は重々しい音ともに閉ざされた。同時にスラッグの声援も消されたように聞こえなくなる。


「ここが、ダンジョン」


「いいえ、まだよ。ここはダンジョンへ向かう最後のフロアみたいなところ。ほら、見えづらいけど真っ直ぐ奥にもう一つ扉があるでしょ?」


 指をさされた方向を目を凝らして見ると、確かに今までと同じ形状の扉がぼうっと暗闇の中に浮かんでいる。


「だけど、色が違う? なんか、青っぽいような」


「そう。あそこだけ違うの。なんかいよいよダンジョンに向かうっていう感じがするわよね。プレイヤーはみんなここでクラスやスキル、持ち物などの確認をするの。ここならまだ引き返せるから。あっ、それから扉の上の方を見て!」


 言われたままに見上げると、そこには2つの巨大なディスプレイが暗闇のなかに浮かんでいた。


<5階のモンスター強すぎないか!?>

<5階とかザコ乙>

<そんなことより、すずちゃん、今日もかわいすぎる!>

<は? 天下のルナ様が最強だろ!>


 左側のディスプレイにはユーチューブのチャット欄のように言葉が羅列されている。そして、右側にはモンスターと戦うプレイヤーの映像がランダムで入れ替わっていた。


「これは、チャットですか?」


「そっ、元々はシステムメッセージしか表示されてなかったんだけどね。プレイヤーの誰かが配信アプリを開発して、アプリを購入すれば誰でも使えるようになったの。プレイヤーの映像はランダムで流れるからね。そこでファンになる人もいるみたい」


「そんなこともできるんですか?」


「うん。戦闘職ではないけどサポートのクラスもいくつもあるからね。……それより、さっそく美歌ちゃんのことも書かれているよ」


「えっ……?」


<新しくプレイヤーになった車椅子の子、誰か知ってる? めちゃくちゃ清楚系でかわいいんだが>


(車椅子の子って、私しか……いない、か。でも、知らないところで見られているとか、ちょっと怖いかも……)


 美歌の肩を瑠那がそっと触った。


「大丈夫だよ。美歌ちゃんは私が守るから。さて、時間もないからさっそく行こう! 心の準備はOK?」


 美歌は、笑顔をつくると大きく深呼吸をしてうなづいた。


「はい。大丈夫です」

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