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第6話 バード=吟遊詩人

 瑠那は車椅子を押して、その鉄扉の前に立った。またドアが自動的に開き、中には古代ギリシャの宮殿のような巨大な柱に囲まれた空間があった。


 汚れ一つとしてない真っ白なドーム状の天井を、ぐるりと360度がプロジェクションマッピングのように群青色が支えている。空みたい、と現実世界でも久しく外に出たことのなかった美歌の心は躍った。


 部屋の中央には、灰色のローブで全身を覆った二本足で立つ「何か」がいた。


 きっとあれも人じゃないんだと思いながら、瑠那に車椅子を押されて少しずつ近づいていく。


 近づく度に、一見人にも見えるその存在の人間との相違点が見つかる。宙に引っ張られたような異様に縦に長い身体に、ボロボロの着衣、細長過ぎる手足──真正面から恐る恐る見上げると、ローブの下には骨だけの顔と身体が。


(……骨の標本?)


 などと疑問符を浮かべる美歌を見据えるように、オレンジ色の光が両目の窪みに現れた。


「ようこそ、我が宮殿へ。初めて見る顔だな。私は、スケール。言っておくが、悪いスケルトンではない。職業を司る神官だ」


(職業を司る神官……)


「また悪いなんちゃらじゃないって、ちょっと飽きちゃうよね、その決まり文句」


 こそこそと耳元でささやく瑠那に曖昧な微笑みを返すと、美歌は骸骨の次の言葉を待った。頭の上でスラッグが傷ついたように伸びていたからだ。


「ここでは、クラス・スキルの購入やクラスの変更が可能だ。基本的にはクラスの変更はここでしかできない」


「つまり、ダンジョンの中ではクラスの変更ができないってこと。スキルの追加や組み合わせはアプリをダウンロードすればエレクトフォンでもできるんだけどね」


 瑠那は、また小声で囁く。唇が耳たぶにくっつくんじゃないかと落ち着かない気分にさせられた。


「さあ、クラスの変更といこう。『コモン』のままではあまりにも貧弱だからな」


「あ、あの。私のクラスってバードだってさっき……」


(バードってことは、鳥みたいに空を飛んで戦うのかな。それとも口笛かなにかで鳥を呼んで戦うとか。どっちにしても楽しそう)


「ぬ?」


 スケルトンはフードを外すと空中で右手に携えていた杖を振った。急にディスプレイが現れ、画面上をそのピアニストのように長い指が滑らかに触る。


「む。確かに初期クラス、バード。これは実に珍しい」


「私も言われたわ。たいていのプレイヤーはコモンから始まるんだって。コモンは、全てのスキルが使用可能らしいんだけど、初期スキルはないし、スキル習得のボーナスもないからほとんどのプレイヤーは最初に好みのクラスに転職しちゃうみたい。それからもう1つ言われたのは、最初からクラスが決定しているプレイヤーは、そのクラスが宿命なのかもしれないってこと」


 今度は堂々と聞こえるようにしゃべる。美歌はホッとしたようなもったいないような複雑な気持ちに襲われる。


「ふむ。金木瑠那は確か『シャーマン』であったな。その通り、最初からコモン以外のクラスに就いているものは非常に珍しい。そしてそのようなギフテッドは、ゲームの最初から、備えている特長とクラスが噛み合っている。そう、お主が車椅子であるというようにな。だから、何かしらの宿命、運命を背負っていると私達は考えている」


(車椅子の私と噛み合ったクラス? やっぱり鳥を呼んで戦うとか……)


「バード。すなわち吟遊詩人は、歌や楽器を奏でることで様々な現象を起こすスキルを使える後衛職。まさに、お主にピッタリな職業と思えるな」


「え? 歌や楽器を奏でる?」


「そうそう。ん? もしかして違うのを想像してた?」


 さも当然というように言う瑠那の視線を向けられて、美歌は慌てて首を横に振った。恥ずかしくて今まで自分が想像してたことなんて言えなかった。


(でも、歌や楽器を奏でて戦うことができるとしたら)


 美歌はぎゅっと手を握った。


「バードの初期スキルは、対象に火の玉を浴びせる『アレグロ』。これだけでもまあ、そこそこ戦えるが、もう1つスキルを発動させるために楽器スキルが必要となる。他にも必要なスキルがあれば、お金の許す限りいくつでも購入していくがよい」


 スケールが杖を払うと、ディスプレイが美歌の前に移動した。「バード・スキル」と書かれた項目の下には、黒い背景に浮かび上がるようにズラっとスキルの名前が並んでいた。その横には使用回数とスキルの説明が書かれている。


 ディスプレイの上にほっそりとした白い指が置かれた。


「私もいろいろ調べたんだけど、バードは他のクラスに比べるとやや特殊なクラスみたいなんだよね。まずは歌も含めて楽器を選んで、その上で魔法スキルを覚えて初めてスキルが使えるようになる。美歌ちゃんは何か楽器とかやってた? もし、難しそうなら他のスキルも覚えられるから、無理にバードを選ばなくてもいいんだよ。お金なら全然私が──」


 瑠那の言葉は半分くらいしか美歌の耳には入ってこなかった。その脳裡には過去の映像が流れていた。まだ脚を自由に動かすことができていた頃、毎日歌やダンス、楽器のレッスンに明け暮れていた日々。


 人前で音楽を披露することは数えるほどしかなかったが、一回一回が緊張して楽しくて、充実して、最も生きていると実感することができる時間だった。


 ──美歌の目から一筋の涙が流れ、頬を伝う。


「美歌ちゃん?」


(本当は、車椅子になった自分を見て、一番ショックだったのは自分なんだ。今までみたいにステージに立つことなんて、もう一生ないと思っていた。だけど、ここでなら、もう一度音楽をできるかもしれない。──瑠那さんもいるし)


 美歌は涙をぬぐうと、動揺した様子の瑠那に向けて思いっきり笑顔を見せた。


「私、バードでいきます!」


 瑠那は一瞬面を食らったような表情を見せたがすぐにまた微笑み、美歌の車椅子の背をぐっとつかんだ。


「じゃあ、それでいこう! お金は私があげるから好きなスキル選んでいいよ!」


「えっ? いやいやいいですよ! 自分で払います!」


「でも、ほら、このギタースキルだけでも5000エレクトロンだよ? 対象に氷のつぶてをぶつけるっていうこの『グラッセ』が10000エレクトロン。それにギタースキルを手に入れてもギターも購入しなきゃいけないし」


(たしか1円=1エレクトロンだから、これだけ買っても1万5千円……お、お小遣いが……)


 困惑した美歌の顔を見て瑠那は声を出して笑った。嫌みが1つも感じられない快活な笑い声。


「だから、お金あげるって! ゲームのお金なんだから気にしないで」


「で、でも、実際のお金と交換できるわけだし、そんな、瑠那さんからお金もらうなんて」


「うーん。じゃあ、こうしよう! エレクトロンは貸すってことで! モンスターを倒して手に入れたお金でそのうち返してもらえればいいよ! あと、エレクトロンはこの世界でしか使わない! それなら安心でしょ? 私もこのダンジョン、遊びで楽しんでるだけだからさ」


「それなら……いいです」


 渋々承諾すると、美歌はギタースキルと3つの魔法スキルを購入して教会を出た。瑠那からはもっと買っても大丈夫と勧められたものの、これ以上はとても美歌のなかの罪悪感が許してくれなかった。


 美歌の頭の上に乗っていたスラッグがぴょんぴょんと跳ねる。


「うん! やっと、口が挟めるよ! あとは武具を買って、エレクトフォンをセットして、ダンジョンだね!」

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