聖堂を目指すこと数分。
もうすぐ到着するというところで、前方から見覚えのある集団が走ってきた。「むぅ、あれは」紅葉がそう零すと、集団の輪郭がハッキリと分かり始めた。
戦闘を走るのはバイク(のような乗り物)に跨がったアイゼン。一体どうしたんだろうか、もう聖堂の扉を開けたとか?
その表情は鬼気迫っている、というよりも焦っているという方が適切だろうか。「待て、アイゼン! どこへ行くつもりだ!」カナリアが剣を構えてバイクの前に飛び出すが「お前らも逃げた方がいいぜぇ! 命が一番大切なんだからなァ!」
紙一重、カナリアを避けてアイゼンはそんな言葉を残して俺たちには目もくれずに走り去っていった。
「なんだ、どういうことなんだ?」
困惑する俺たちを余所に、アイゼンの部下たちも(半泣きになりながら)凄まじい速度で聖堂から離れていく。
「聖堂に何が……?」
視線を逃げる男たちから奥の聖堂に移したカナリア。
一見すると何の変哲もない煉瓦調の洒落た建物がそこにあるだけ。
一体、彼らは何を恐れて逃げていったのだろうか。
「何にせよ、好都合ではあるな。目的地に行くとしようか」
カナリアの一声で、俺たちは警戒しつつ聖堂へと近づいていく。近づくにつれて、彼らが逃げた理由というものが――少し、分かるかもしれなかった。
「これ、俺だけか? なんか――雰囲気が変な風に感じるのは」
「――いや、私も感じ取っている。確実に“いる”な。聖堂の中に」
カナリアも目を細めて警戒を強めているようだった。「儂が一人で行って片してこようか?」なんて紅葉は相変わらずのマイペースさを見せていた。まぁ、彼女ならそれも不可能ではないだろうが――。
「勘違いするな。貴殿らの全てを信頼しているわけじゃない。中にいる何かと貴殿が繋がっていない確証はないからな」
「――それ、カナリアの言葉で心配だから一人で行くなという意味にとっても良いかの?」
「そ、そんなわけないだろう!」
「あはは――」
この二人は仲が良いのか悪いのか。
ただ、意外と会話が弾んでいるのは事実だ。「だが、真面目な話――気がかりなことがないわけでもないのう」と、紅葉が聖堂を目の前にして足を止めた。
「気がかりなこと?」
「そうじゃ。この聖堂に近づくにつれてB.U.Gの数が減っていることに気がついたか?」
「――言われてみれば、確かにその通りだ。まるで、この聖堂を避けているようにB.U.Gが群れている……のか?」
顎に手を当てて、カナリアが自問自答。
もしかして、正門などの入り口付近にB.U.Gが大量に発生しているのも、聖堂から出来る限り離れようとした結果なのか?
「もしかすると、この聖堂には……B.U.Gが避けるような存在がおるんかもしれなんなぁ」
「B.U.Gが避けるような存在だと? 待て、もしその仮説が正しければ――この先にいるのは」
そこまでカナリアが言いかけたところで「って、大魔王様!? ちょっと目を離した隙になんてものとエンカウントしているんだい!?」と、召使いの声が脳を切り裂いた。珍しく声を荒げた様子の召使い。
こんな彼女、初めて見た。
そして、カナリアの推測と召使いの焦り具合――紅葉が提示した状況証拠。それらが積み重なって俺の不安を最大限に煽っていく。
「大魔王様、今すぐ逃げた方がいい! そこにいるのは――」
「この先にいるのは……」
カナリアと召使いの声が重なっていく。「特殊個体だ!」二人が全く同じ言葉を出したと同時に、聖堂の扉が突然破裂。バキベキ、という音と共に破られた扉からベンチが飛び出した。
「っ!」
俺たち三人はそれを避ける。
避けること自体は訳ない。しかし――圧倒的な圧が、俺の身体を包み込む。
破れた扉から、僅かに……内部にいる“何か”の姿が見えた。
のっぺりとしたフルフェイスの仮面。そこに召使いが見せてくれた、B.U.Gのロゴマークのようなものが不気味に輝いていた。
その蠱惑的なボディラインを強調するような、近未来的なボディスーツがエターナル・ライフの世界観から余りにもかけ離れていた。一目見て理解できる“異質さ”。本来、この世界には存在してはいけないもの。あってはならないもの。
別のゲームからエターナル・ライフの世界に迷い込んだかと思うほどに、世界観が違うそれが佇んでいた。
「召使い! 説明を頼む!」
もう不自然かどうかなんて気にしていられなかった。とにかく、あれの情報を本能が求めていた。「あれはB.U.Gの最上位個体。特殊個体だ! 戦闘は回避した方がいい! こんなことを大魔王様に告げたくはないけど――」
扉の隙間から見える特殊個体は――両手を大きく広げていた。「今の大魔王様じゃ勝てない!」遅れて、召使いの言葉が響いた。
そして――加速。
やば。
その速度に対応できず、聖堂の壁を割り砕いて間合いを詰める特殊個体のラリアットを正面から受けてしまった。
「大丈夫か?」
「ああ、ありがとう。紅葉……助かったよ」
吹き飛ばされた俺を紅葉が受け止めてくれた。彼女のフォローがなければヤバかった。たった一撃、しかもカス当たりであの威力。
マトモに喰らったら確実に不味い。
「特殊個体はどこに!」
「上だ、エイジ!」
カナリアの言葉に俺は空中を見上げた。
そこにいるのは、(恐らく)魔力をジェットのように噴射して空中を凄まじい速度で飛行する特殊個体の姿だった。「ま、マジかよ」あんなの、小型戦闘機だろ。
俺の知る限り、エターナル・ライフであんな飛行能力を持つ生物は存在しない。というか、存在してはならない。物語の舞台、その根幹を思いっきり揺るがすような存在だからだ。
でも、現に存在してしまっている。
そりゃ召使いも逃げろという。あんなものに勝てる相手がいるのか?
ぐるりと空中で旋回をした特殊個体は――そのまま、凄まじい速度で落下。地面激突、凄まじい衝撃と土煙が視界を覆った。
「があああああ!」
そんな雄叫びと共に、風が巻き起こり粉塵が胡散。
戦闘を避けられそうもない。
それに、あんな飛行能力を持つのならば――逃げたところで追いつかれる。つまり、やるしかない。
「悪い、召使い。イベント戦は逃げられない決まりなんだ」
極めて正常な判断で、正しい選択肢を提示してくれた召使いには謝罪をしておく。「さて、どうする皆の衆。儂が主らが逃げるまでの時間を稼いでやろうか?」
紅葉が拳を構えて、落ち着いた様子でそう告げる。
そこに、今までの呑気さはない。彼女も理解しているのだ。目の前にいる相手は文字通りの別格だと。
「馬鹿を言うな。聖騎士団の副団長である私が貴殿らの逃げる時間を稼ぐ。正門さえ開けて、拠点に戻り言伝を頼む」
「――俺は正直に言って、時間稼ぎもできなさそうだから逃げろなんて言えないけれど……誰かを置いて逃げるとも言わない」
誰かを犠牲にしつづけて、生きる理由が俺には――ないからだ。「なんじゃ、じゃあ誰もここを離れるつもりはないと」嬉しそうに尻尾を立てて、紅葉は笑った。
カナリアが首を縦に振り「ああ、そうらしい。蛮勇だが、今は頼もしく思う」なんて、軽口も付け加えた。「よし、行くぞ!」
その言葉と共に、俺が地面を蹴って先陣を切った。
俺たち三人で一番弱いのは俺だ。
そんな俺を温存したって仕方がない。
俺がどうにか隙を作って、カナリアか紅葉が痛手を負わせる。それが理想的な流れだ。「うぉおお!」雄叫びと共に俺は特殊個体へと迫る。
小柄で人型。
見た目だけでいえば、か弱いとさえ言ってしまえる見た目の相手。そんな相手に対して全力で殴りかかるのは良心が痛む。
でも、そんなことも言ってられない。
拳を真っ直ぐ、彼女の腹部へ目掛け振り抜く。
命中――「堅っ!」だが、まるで鉄か何かを殴っていると思ってしまうほどに堅い。
拳が、腕が、じんじんと痺れる。
視線を腹部から頭部へ移す。
すると、お返しと言わんばかりに特殊個体が拳を構えていた。上から下へ、鉄槌とも言うべきそれが振り下ろされた。「勇み足が過ぎるぞ!」カナリアが放った刺突が鉄槌を逸らす。
怯んではいられない。
俺は合わせて、身体を回転。特殊個体の足を払った。狙い通り、特殊個体の体勢は崩れる「良し!」そう思ったのも束の間、魔力が四肢から放出されて――勢いよく空中へ飛び立って強引に姿勢を制御。
――チートだろアレ!
なんて心の中で愚痴りつつ俺とカナリアは後退して距離を取った。
「すばしっこいというか、空は反則というか……」
「対空攻撃手段がなければ厳しいな、エイジ、紅葉……何か策は?」
「得物があれば別じゃが、徒手空拳じゃ無理じゃの」
「俺も何もできない」
ぐるり、ぐるりと空中を飛行する特殊個体。お手上げ状態だった。
相手が攻撃するために降りてくる時に合わせてタイミング良く攻撃するしかない――か。当てられるかはさておき。
いや、必ずしも俺が攻撃をする必要はないな。
「よし、特殊個体の攻撃を俺が受け止める。その隙に、二人は本気の攻撃をぶつけてくれ!」
「エイジ、それは結構じゃが――主、受け止められるのか」
二人の前に立って、二人に指示を出す。
紅葉から最もな指摘が飛んでくるが――とはいえ、耐久ステータスは紅葉が一番高くて、俺とカナリアが同じ程度だ。そして、肝心の火力は俺が一番低い。
紅葉に攻撃を受け止めて貰ったら、攻撃役が俺とカナリアになる。でも、俺の攻撃はまるで聞いていなかった。そう考えると、紅葉の膂力は必要不可欠だ。そして、カナリアも剣を持っている分俺よりマシなはずである。
消去法で俺だ。
「大丈夫だ、信じてくれ」
「そうか、そこまで言うのであれば信じぬ訳にはいかぬな。のう、カナリアよ」
「ああ、信じよう。私はそれに合わせて、魔力を――練り上げよう」
剣を構えて、すぅ、と深呼吸するカナリア。
よし方針は決まった。
特殊個体の方も、攻撃する相手を決めたのか旋回を中断。ボッという加速音と共に急送落下。重力と速度を味方につけた飛行物体が、風切り音と共に地面へと迫る。
しかし、その矛先は誰に向いているかは全く分からない。まるで、誰も狙っていないようにも見えた。「どこに行くつもりだ?」まさか、そのまま地面に激突するんじゃ、そんなことさえ思ってしまう。
でも、違った――。
地面にぶつかるギリギリで魔力の噴射をテクニカルに切り替えた特殊個体は軌道を地面スレスレで鋭角に軌道を変更。真っ直ぐと、俺に向かって突貫。良かった、標的が俺で「良し、こ――」想像を絶する衝撃が、俺の身体を突き抜けた。
こ、こんなの。
受け止めるなんて、できるわけがない。なんとか、身体こそ掴んだものの止まるわけがなく。俺はそのまま聖堂の壁を突き抜けて地面に押し当てられて――放り投げられてしまった。
「エイジ!?」
視界がぼやける。
身体の中がひっくり返ってみたいな気持ち悪さと、全身が粉々になったのかとさえ思ってしまうほどの痛み。それに、口が鉄臭い。「ぐ、あ……」なんて、言葉にもならない呻き声を上げることしかできなかった。自分の耐久力を過信していた。
――いや、正しくは相手の威力を過小評価していたんだ。
朦朧とする視界に映るのは、特殊個体と戦う紅葉とカナリアの姿だった。「くっ――!」カナリアの剣も、特殊個体の攻撃を逸らすことにしか役に立っていないようであった。紅葉は、真正面から打ち合えている様子だったが、それでも特殊個体の目立ったダメージを与えることはできていない。
火力が全く足りていないのだ。
「ぐ――」
立ち上がろうとするものの、身体に力が入らなかった。
見上げれば――俺はどうやら聖堂の名物であるパイプオルガンの前に叩きつけられていたらしい。
ああ、そうだ。
このパイプオルガンは自動演奏機能がついている。
まだ、動くなら……。
特殊個体の気を引くことだって、できるかもしれない。
立ち上がることはできないが、パイプオルガンを起動することくらいはできるはずだ。残った力を振り絞って、俺はパイプオルガンのスイッチを押し込んだ。
荘厳な音楽がかかり始める。
あぁ懐かしい。
俺はこのパイプオルガンを鳴らすイベントが好きだった。ここのイベントで、俺の推しキャラが凄く良い反応をしてくれるからだ。
さて、肝心の特殊個体の反応は――霞む視界で特殊個体を見れば。
「ぐ、ぐううぅ!」
と、呻き声を上げながら苦しむ特殊個体の姿がそこにはあった。
明らかにパイプオルガンの音色が、何かしらの効力を発揮しているとしか思えない。突然動きを止めた特殊個体は、オルガンの音から逃げ惑うようにふらりふらりと緩慢な動きで離れていく。
「何が起きているんだ……?」
「きっと、エイジの奴が秘策を出したんじゃろう。吹き飛ばされた時は心配じゃったが流石じゃ」
カナリアと紅葉の声が聞こえる。
特殊個体はそのまま、魔力を噴射して空中へと飛び立ったかと思えば――そのまま凄まじい速度で彼方へと飛び立っていく。魔力の残滓が、飛行機雲のような軌跡を描いた。
そして、特殊個体が飛び去ったことに合わせてか――羽を持つB.U.Gたちが一斉に空へと移動を始める。まるで一つの生き物のような、黒い津波のようにも見える大移動が始まった。
B.U.Gたちが進む先は、特殊個体が飛び立っていった先。
それが、どこに繋がっているのかは分からない。けれど、アイアン・レイクをB.U.Gの魔の手から奪還したことは確かである。飛び立つ特殊個体とB.U.Gたちの後ろ姿を見て――安堵した俺は、その意識を手放した。