事態は緊迫していた。
主にカナリアを裏切ったヘイムのせいだが。「アイゼンさんは僕に約束してくれたんだ。今よりも良い暮らしを!」月並みの条件だが、それでもヘイムにとっては魅力的なものだったらしい。
この世界の現状を聞けば、それも無理はないことだと思う。
「役員補佐のアイゼンか」
「そういうお前は第四騎士団の副団長。鉄剣のカナリアだろう?」
カナリアとアイゼンが互いに視線を交わす。「金に汚いレイヴン社らしいやり口だな」と、吐き捨てるように言い切るカナリア。どうやら、彼女はレイヴン社も気に入らないようだった。
まぁ、勢力争いに俺は関係ない。
俺はどの勢力にも所属しない大魔王勢力なわけだし……(今は勢力と言えるかも怪しいレベルではあるが)だが、自分たちを裏切られたカナリアが面白くないのはその通りだと思う。
「副団長の生真面目さにも、B.U.Gと戦わされるような過酷な職場にも、僕はほとほとうんざりしてたんだ。これからはレイヴン社でより安定したお金と仕事を――」
ヘルムの演説が始まる。長々と自らの鬱憤を余すことなくぶちまける彼。そんな彼の背後で倒れていたトロルから――ノイズが迸った。「あ、やべぇ!」その言葉と共にバイクをふかすアイゼン。
そのまま、ぐるんと向きを調整したかと思えば剛速球で俺たちのところまで加速した。「え、アイゼンさん!?」「逃げろ、ヘイム!」呆気にとられるヘイムに声をかけるカナリア。
しかし、時既に遅し。
広がったノイズに取り込まれてしまうヘルム。それは丁度、俺がエラルダの森に到着したばかりに見た、あれによく似ている。つまり、取り込まれるということは――。
「あーあ、アイツはもう助からねぇだろうな。まだ使えると思ったんだが、残念だ」
「貴様、ヘイムは捨て駒だったと言うのか……!」
「当然だろ」
サングラスをかけて、ため息を吐くアイゼン。
彼はただヘイムを都合の良い道具としか思っていなかったように見える。「ひ、ひぃ! た、助けてぇ!」そんなアイゼンがヘイムを助けようとするわけもなく――「俺様たちのチームの合い言葉を教えてやろうか?」バイクをふかしながら、アイゼンは冷たく言い放つ。
「テメェの道はテメェで拓く。頑張って生きて帰って来たなら、ポストは約束してやるよ。さぁ、野郎共! さっさと聖堂に行って正門を開けようぜ!」
そんな言葉を残して、アイゼンとその仲間たちはそれぞれの乗り物を用いて走り出していってしまった。「ヘイム、掴まれ!」アイゼンに見捨てられたヘイムをカナリアは見捨てなかった。
「何じゃ、主を裏切った小童を助けるのか?」
「裏切りがどうした! 確かに罰は与える必要はあるが――だからといってB.U.Gに身を落とすことを見過ごす理由にはならない!」
「カナリア……」
俺の脳裏に過るのはエラさんの姿。
そうだな。カナリアが言うことは正しい、この上なく。例え、ヘイムが彼女たちを裏切った相手だとしても、今ここでB.U.Gになってしまう理由にはならないんだ。
「俺に任せてくれ」
駆け出して、俺はノイズの中に足を踏み入れる。「エイジ!? き、貴殿そんなことをしては!」「いや、俺は大丈夫なんだ」ノイズの中で暴れるヘイムの手を掴んで――俺はノイズから彼を連れ出した。
身体がノイズに汚染されたヘイム。
浅い息を見る限り、状態は悪い。これは……どうすれば。「くっ、変異抑制剤が手持ちにない――もっと持って来るべきだったか」カナリアが悔しそうに呟いた。
ヘイムの身体を覆うノイズは、どんどんと増えていく。
これを止めることはできそうもない。
「う、うぅ――うぅうう!」
「離れろ、エイジ!」
カナリアの言葉と共に、ヘイムの身体に走るノイズが一気に増大。「ぐ、ぐあああああ!」ヘイムの叫び声が耳を劈いていく。俺は急いでヘイムから離れる。「この反応――大魔王様、気をつけてくれ。これは、グリーチャーだ!」「グリーチャーだって!?」
思わず俺は声に出して召使いの言葉を反すうした。
「グリーチャー!? それは、不味い!」
と、正面を見据えるカナリアが剣を構えた。「大魔王様、グリーチャーというのはB.U.Gの上位個体さ。それぞれ特異な能力を持っている。例えば、今目の前にいるそいつは――」
ノイズが迸り、一つの形へと収束する。
ヘイムが元々身に着けていた鎧がねじ曲がり、ダンゴムシのような装甲へと変貌する。「来るぞ!」カナリアの言葉が耳を打った、瞬間――俺の視界がグチャグチャに吹き飛ばされた。「っ!?」回転する視界。何が起こったか理解できなかった。激しい痛みが一足遅れて俺の身体を走る。
地面に倒れ込む俺が視界に収めたのは、球体に丸まった変異したヘイムが――恐ろしいほどの速度で、突撃をかましている姿だ。
「B.U.G……グリーチャー! 004、クロックアップか!」
脳内で召使いが名付けた名称が反すうされた。
クロックアップ?
なるほど、その名前の通り……あの速度が売りなのか。「大丈夫か、エイジ……くっ!」俺を心配するカナリアだが、ヘイムの突撃によって弾き飛ばされてしまう。彼女は剣で受けてダメージを抑えているようだが、あのイカサマ染みた速度の前ではジリ貧でしかない。
回転速度が速すぎて、移動すら途切れ途切れでしか目で追えない。
「ふむ、これは厄介じゃな」
紅葉が見事、片腕でヘイムの回転を受け止めた。ギュルギュルギュルという音を出しながら、止められたとしても回転を続けるヘイム。
流石は紅葉だ。
あの速度を見切っているとは。「悪戯が過ぎたな、小童」そう言って、残る片方の手で握りこぶしを作る紅葉。彼女の拳から放たれる圧が――どんどんと膨れ上がっていく。「これで、鎮まれい」
紅葉が拳を振り下ろせば、ぐしゃりとヘイムだったB.U.Gは叩き潰された。
「紅葉……貴殿は一体」
紅葉を怪訝な表情で見るカナリア。
その気持ちは分からなくもない。強すぎるのだ、紅葉は。
「儂抜きでも勝てたじゃろうが、辛かろう。見知った相手を手に掛けるというのはな。特に――カナリアは」
「私だって――覚悟はしていたさ。だが、今じゃなくて良かったと安堵する浅ましい自分もいる。それが、たまらなく悔しい」
「浅ましくなんかないさ」
俺は立ち上がって体勢を整えた。「カナリアは裏切られたっていうのにヘイムを助けようとしただろう。俺は、カナリアを立派だと思う。何の慰めにもならないかもだけどな」
「……」
カナリアは目をぱちくりとさせて黙ってしまった。
ちょっと踏み込み過ぎたか? そんな気不味い沈黙が流れること数秒。「エイジも紅葉も気遣い、感謝する。だが今はアイゼンを追うことに集中したい」
剣を鞘に戻したカナリアは淡々とそう告げた。
確かに彼女の言う通りだ。
「恐らく彼の狙いは正門を開けた上でレイヴン社を呼び寄せることだろう。そうなれば、ここに派遣された騎士団では対処ができない。正門は開けさせても構わないが、本社への連絡だけは避けなければならん」
「分かった、じゃあ急ごう」
「そうじゃな、儂はああいう男は嫌いじゃ。顔面に一発馳走してやらねばのう」
俺たちはアイゼンたちが先に行った聖堂を目指して駆け出した。