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第10話 ひらひら、紅葉


 暗い。

 苦しい。

 恐ろしい。


 視界は黒に塗り潰されていた。

 耳には誰かの呻き声やすすり泣く声ばかりだった。

 鼻を突き刺すのはむせかえるような焦げ臭さと吐きそうになる腐臭だ。


 周囲は嫌に熱くて。

 息も苦しくて。

 怖くて。


 死ぬと思った。

 ――いや、ここで死ぬのが正しかった。


「……こ、ここは?」


 瓦礫じみた天井が俺の視界にあった。確か……俺は……ああ、そうだ。カナリアに投げられて、多分気絶したんだ。見事にやられてしまった。

 敗因は明確だ。

 スペックにばかり頼って、それ以外が全く追いついていなかった。


 思えば当然だ。

 彼女たちは今の今までずっと鍛えてきた。それは身体能力だけじゃない技術や戦い方という様々な部分を含めて。ただ身体的な強さを手に入れただけの俺が一朝一夕で勝てる相手ではない。


「目が覚めたか。死んだかと思ったぞ」


 声が聞こえた。

 視線を向けた先にいるのは真紅の髪が印象的な女性だった。「同じ穴のムジナ同士、仲良くしようぞ」笠を頭に被った彼女は、酷く落ち着いた様子でベッドに腰掛けていた。「酒でもあれば馳走するんじゃがな」

 なんて、牢屋に入っているとは思えない程にマイペースな様子でそう語る。


「えーっと、俺は……エイジだ。あなたは?」

「エイジか。儂は紅葉じゃ」

「モミジ?」

「そうとも。短い間かもしれんがよしなに」


 立ち上がって、俺は紅葉に頭を下げた。

 そのまま、周囲を見る。

 俺たちが入れられたのは、遺跡の設備を利用した牢屋だ。より正確には、遺跡にあった牢屋をそのまま牢屋として使用しているのだろう。


 なんだかジメジメとした雰囲気で、虫やらネズミやらがうようよと姿を見せている。衛生的にも気持ち的にも、待遇的にも、状況的にも、こんな場所に長居したくはない。


「その、俺がここに来てどれくらいが立ちましたか?」

「そうさな、ざっと一時間くらいか」

「一時間、良かった」


 俺はホッと胸をなで下ろした。

 こういうのは早い方がいい。これで二日とか一週間とか言われてたら、色々と絶望的だった。「それで、エイジはどうして捕まったんじゃ?」

 笠を人差し指で押し上げて、紅葉は俺を見据えた。彼女の茶色い綺麗な瞳がやけに印象的だった。


「俺は怪しいから……らしい」

「なんじゃ、儂と一緒じゃな」

「紅葉もそうなのか?」

「ああ、そうじゃ。儂はただアイアン・レイクに帰りたかっただけなんじゃがな。無駄な争いはしたくないんでな、大人しく従っておるんじゃ」


 片肘ついて、暇そうに紅葉は言う。「酒でも出れば、まだ良いんじゃがのう」なんて、愚痴も付け足していた。気のせいか、さっきから酒の話ばっかりしてる気がする。

 いやいや、俺が気にするべきなのは酒がどうとかじゃない。

 もっと大切なものがあった。


「紅葉もアイアン・レイクに行くのか? 俺も用事があるんだ、アイアン・レイクに」

「ほう、それは奇遇じゃな」

「一緒に行くっていうのはどうだ?」

「それは構わんが、ここから出られんなら一緒じゃろ?」

「もし出られるとしたら?」


 俺の一言に、ピクリと紅葉の眉が動いた。「ほう?」どうやら興味はあるようだ。「座って待つのにも飽いておったんじゃ。渡りに船とはこのことじゃな。見返りは?」ゆっくりと立ち上がる紅葉。

 そこで初めて気がついたのだが、彼女には立派な尾が生えていた。


「腕は立つか?」

「腕か、ちぃとばかりはな」

「なら、協力して脱出してアイアン・レイクまでの道も助けて欲しい。目的地は一緒なんだ、構わないだろ?」

「交渉成立じゃ」


 よし。

 俺は手を差し出して「決まりだな」紅葉と握手を交わした。

 というわけで、後はここから出る方法だ。


「それで、どうするんじゃ? まさか膂力でこじ開けるとは言うまいな?」

「いや、それはダメだ。これは古代技術で作られた牢だからな。例え世界最強の力を持っていたとしてもゴリ押しじゃこじ開けられない」

「ほぉ、だからか」


 もしかして紅葉は膂力でこじ開けようとしたのか?

 ……いやぁ、まさか。「しかし詳しいな。どこでそんな知識を手に入れるんじゃ?」「まぁ、色々とな」本当は丁度ゲームのストーリー内に同じような状況が合っただけだ。

 牢屋がこの遺跡で幸運だった。


 ここはストーリー中に捕まった牢屋その場所である。


 だからこそ、プレイヤーキャラだった頃の俺がムービーシーンで作った抜け道が使えるはずだ。


「昔、ここにとある盗賊と捕まった人間がいたんだ。盗賊とその人間は協力して三日三晩抜け道を作り続けた。そして、見張りにバレないように秘密の合い言葉で隠蔽したんだ」


 こん、こん、と壁を叩く。

 確か一部分だけ響く音が違う場所があるはず――あった。「大盗賊ドルガーナの恵みを、今ここに!」俺は合い言葉を伝えた。

 この言葉をチャットで言わされたな、懐かしい。


「……何もおきんぞ?」

「あれ?」


 何も起きない。

 まさか500年の月日で仕掛けが消えてしまったのか?

 そんな、大魔王領の転移装置は動いたのに!「……もっともらしいホラだったのかのう?」なんだか、背後にいる紅葉の視線が痛い!

 冷や汗が俺の頬から垂れていく――ぽちゃりと、地面に落ちた瞬間。


 壁が、緑色に輝き始めた。「ほぉ!」

 これだ!

 地響きにも似た音が響き、壁が組み変わっていく。丁度、人一人が通れるほどの大きさの穴が出現。


「な? あっただろ? 抜け道」

「確かに、こりゃ驚いたわ。エイジ、お主は一体何者じゃ?」

「ただの通行人さ。よし、バレる前に行こう」


 こうして、俺たちのプリズン・ブレイクが始まった。


 ◆


 抜け道を使った脱出劇は順風満帆だった。

 そもそも通る道が抜け道ばかりということ、そして見張りが手薄ということもあり、肩透かしと言ってしまえるくらいには簡単に抜け出すことができた。


「牢から出さえすればこうも簡単だったとはな」

「聖騎士団は古代技術の牢屋を過信しすぎだ」


 紅葉と共に、この拠点の警備の薄さを指摘する。

 まぁ、逆に厳しかったら困るのは俺たちなんだけどな。「よし、アイアン・レイクへいこう」そうして拠点の出入り口を目指すが――ざん、と剣が出口を目指す俺たちの進路を塞ぐように突き刺さる。


「残念だな、私が信じているのは古代技術ではない。私の強さだ」

「カナリア――!」


 剣の後を追うように着地。深々と突き刺さった剣を引き抜いて、切っ先を俺たちへと向けるカナリア。「お前たちのお陰で全体のスケジュールに10分以上の遅れが発生している」片手で懐中時計を確認して、大きなため息を吐いた。

 カナリアは強敵だが、紅葉と二人でなら倒せるか?「丁度いいところにおったな。儂の得物はどこにある?」「それを聞いてどうする?」「ここを離れるならば持って帰らねばならん」


 紅葉のやり取りはやっぱりマイペースな雰囲気を拭えなかった。


「ならば気にする必要はない。お前たちがここを離れることはないのだからな」


 カナリアの言葉を証明するように周囲に騎士たちが集まってくる。カナリアほど強くないにせよ多勢に無勢。これはかなり不味いか?

 群がる騎士たちを見回して、俺の額から冷や汗が垂れていく。


「ふむ、周囲の騎士たちか頭領。エイジの戦いたい方を譲ってやろう」

「え? えーっと……それなら……」


 1VS1か集団戦か。

 正直どっちも勝てるとは思えない。でも、カナリアには少し試したいこともある。リベンジだってしたい。「じゃあ、俺がカナリアと戦っていいか?」「おうとも。じゃあ背中は儂に任せると良い」

 お互いに背中を合わせる。


 あの量の騎士を任せたが紅葉は大丈夫なのだろうか?

 彼女の自信満々な立ち振る舞いから考えれば、大丈夫なのだろうけど……そうだ。紅葉のステータスを確認しておこう。


【ステータス

 ・筋力:A

 ・耐久:A

 ・敏捷:A

 ・魔力:A

 ・技量:C

 ・幸運:A】


 た、たか!?

 こんなにステータスが高いのか……。な、なら大丈夫だろう。安心して彼女に背中を預けることができる。


「懲りずに私と戦うのか。良いだろう、何度来ても実力の差を示すだけだ。来いっ!」

「言われなくても!」


 俺は地面を蹴って加速する。

 間合いを詰めて狙うのは渾身の一撃――ではない。


「馬鹿の一つ覚えだな」


 俺の拳を片手で受け止めようとするカナリア。やっぱりだ、彼女は俺を侮っていた。

 付け入る隙があるとすれば、そこしかない。

 彼女が俺の拳を受け止めることに合わせて俺は手を広げて――逆に彼女の手のひらを掴む。「!」少しだけ、カナリアの表情が動いた。


 彼女のステータス――筋力はC。つかみ合いや力押しが通じるなら俺の筋力Bの方が強いに決まっている。そして、俺の勝機はそのゴリ押しのみ!


「なるほど、少しは頭が回るか――だが」


 そのまま力を押しつけようとするが、瞬間俺の視界が逆さになった。「え?」一瞬遅れて、思考が追いついた。どうやら俺は足払いを受けてしまったらしい。


「悲しいほどに、技術が伴っていないな」


 俺を見下して、カナリアはそう告げた。これでもダメか。「まずは一人!」そうして、肘が俺の首を目掛け振り下ろされる。


「――副団長! 急ぎ、伝令です!」


 ピタリと動きを止めるカナリア。「なんだ」俺へのマウントポジションを維持しつつ、カナリアは視線を伝令にやって来た騎士へと向けた。

 俺の戦闘技術ではこの状況を覆すことはできない。

 つまり、今俺は詰んでいる。

 でも、それはあくまでも戦闘技術の話だ。もしかしたら、逆転のきっかけは他の場所にあるかもしれない。


「アイアン・レイクへ向かった偵察部隊、全滅とのことです!」

「そうか――」


 報告を聞いて苦虫を噛みつぶしたような表情を見せるカナリア。


 ……この状況を覆す光明が見えた!「アイアン・レイク関連で困ってるみたいだな?」俺は頭上にいるカナリアに話しかけた。

 まずはこれで会話ができるかどうかだな。


「だからなんだ? 邪魔だ、その口を閉じろ。それとも、私の手を煩わせるつもりか?」

「でも、困っているんだろう」

「……」


 黙って肘を振り上げるカナリア。「ちょっと待てよ! 対話するつもりはゼロか!?」「当然だ、アイアン・レイクに入ることすらできていない。作戦に大幅な遅れが出ている。貴様のような木っ端に関わっている時間はないんだ」なんて、吐き捨てるように言うカナリア。

 でも、良い情報を俺にくれた。

 これぞ、付け入る隙って奴だ。しかも、俺しか知らない……な。


「アイアン・レイクに入りたいのか? なら、俺が方法を知っていると言ったらどうする?」

「世迷い言を」

「本当だ! 俺たちもアイアン・レイクに用事がある。ここは協力しよう」

「……」


 肘を構えたまま、黙るカナリア。

 さて、彼女の審判はどうだ?

 時間にしてはおよそ数秒だろうけど、俺にとって何よりも永い沈黙が続いた。


「各員戦闘終了!」


 マウントポジションを解いて、カナリアは騎士たちに告げる。

 どうやら俺が見た光明は正しかったらしい。「貴様の妄言が真実か、私が同行して確かめる」「え」思いもしなかった宣言に俺は凍てつく。


「もし、偽りだと分かれば――その場で首を落とす」

「冗談だよな?」

「冗談に見えるか?」


 真っ直ぐと俺を見つめる蒼の瞳が、本気だと暗に伝えてきていた。

 どうやら、見つけた光明は更なる地獄へ繋がる入り口だったかもしれない……。俺の苦難は、まだまだ続きそうだった。


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