「ふぅ」
広すぎる自室のベッドに腰掛けて、俺は窓から見える夜空を眺めた。
夕食会は盛り上がったまま終わり、そのまま俺とエラさんはそれぞれの部屋に案内された。そして、俺の自室というのが……ここなわけだけど。
「慣れないな、広すぎて」
ベッドルームだけで俺が住んでいた賃貸アパートくらいの大きさはある。ベッドもキングサイズを超えた“大魔王”サイズというべきものでちょっと俺には広すぎた。
「綺麗な星空だな」
星空を眺めて、俺は呟く。
まん丸の大きな月が見える。ここはエターナル・ライフの世界で、俺は大魔王。未だに信じられない。夢のようにも思えて、俺はほっぺたをつねった。「いたい……」ただ、痛いだけ。
立てかけられた大きな鏡を見て、俺は自分の魔眼に意識を集中させた。
<ステータス>
・筋力:B
・耐久:B
・敏捷:B
・魔力:B
・技量:B
・幸運:B
「ステータスまであるんだよなぁ」
自分の身体に表示されたそれらの数値を眺めて俺はボヤいた。この力は召使いから説明を受けたものだ。「大魔王様の力として、相手の力量を測ることができるというものがあるんだよ!」という触れ込みだった。
このステータスは実際にゲーム中に使用されたものだ。ただ、本来は数値が表示されるはずなのに、アルファベットで表示される。(ちなみに、エラさんは殆どのステータスがEで、召使いは ”―” と表示されてアルファベットさえ表示されなかった)
俺のオールBというのは、まぁ悪くないと思う。エラさんがEであることを踏まえると、だけど。
この世界は明らかにエターナル・ライフのルールで動いている。でも、俺が知っているエターナル・ライフの世界ではない。ライダーズという組織、金属の船を保有する聖騎士団、魔王城を乗っ取っている召使い。
これが何を意味しているのか……そんなことを考え始めたら、寝付けない。さて、どうしたものか。
――コン、コン。
なんて、悩んでいるとノックの音が聞こえる。「あの、エイジさん。今、少し良いですか?」どうやら、ノックをしたのはエラさんらしい。
断る理由もないので、俺はベッドから立ち上がって扉を開けて出迎える。
「どうにも寝付けなくて……ご迷惑でなければ、少しお話でもどうでしょうか?」
「ああ、丁度俺もそうだったんだ。今日は色々あったからさ」
「あはは、そうですね。私も本当に色々なことを経験しました」
エラさんを部屋に入れて、俺たちは言葉を交わした。「私の人生の中で、今日が一番幸せな日でした」そんなことを、イスに座るなり言う。
「それは大げさなんじゃ」
「大げさなんかじゃありません。あんなご馳走を食べたのも、こんな凄い部屋を使うのも、召使いさんみたいな素敵な人にもてなされるのも、全部が初めてで……とっても嬉しいことでした」
エラさんの言葉は真っ直ぐとしていて、俺はそれ以上何か言うことはできなかった。彼女が過ごしてきたあの小屋を思えば、確かに……今は天国という言葉すら相応しくないほどに良い場所なのだろう。
俺にとっては(豪華過ぎるとは思うけど)ある程度普通のことだったけど、エラさんにとっては暖かい食事すら得がたいものなのだ。
「私は、この世界にまだこんな素敵な場所があるだなんて、思いもしませんでした」
「……」
胸に手を当てて、エラさんは語り始めた。「私にとって、世界は残酷で――どうしようもないものでしたから」その言葉は、どうにも俺にとって理解し難いものだった。
俺が知るエターナル・ライフの世界は、少なくとも “残酷で、どうしようもないもの” ではないからだ。でも、エラさんにとってはそうだった。それがどうしてかは分からない。軽く聞けるものでもない。
「あの時、私は生きている理由を死にたくないから――って言いましたよね」
「ああ、そう言っていたと思う」
「それは嘘なんです。本当は……したいことがあるんです」
「したいこと?」
こくりと、頷くエラさん。「でも、そんなの……できるわけがないと思って、言えなかったんです」と、心中を告白した。
「その、したいことっていうのは?」
「もっともっと、外の世界に行ってみたいんです」
「外の世界」
「はい。大魔王領を抜けた先にあるという大砂海、その先にある黄金海岸、そして大きな港町のレイヴンポートにも」
様々な場所に思いを馳せるように、エラさんは語り始めた。「他にも、西部にあるエラルダの森に、アイアン・レイクにも! まだまだ、行きたいところはあります」俺にとっては馴染み深い地名が並んでいく。
「でも、それは叶わない夢だと思っていました。私にとって世界は、あの小さな家とその周辺で……」
でも、と俺を見つめて続ける。「エイジさんが来てくれました。エイジさんは、私をあの小さな世界から連れ出してくれたんです」真っ直ぐと、そう告げる。
俺はただ、自分のために魔王城を目指していたに過ぎない。
それがたまたま、エラさんの役にも立ったというだけ。彼女に向けられる感謝の気持ちに、俺はどう応えたらいいものか分からなかった。
「それだけじゃありません。本当に、私を外の世界に連れて行ってくれたんです!」
エラさんはどうやら、俺を逃がしてはくれないようだ。だったら、乗りかかった船だ。乗り切ってしまおう。
「もっとしたいことはないのか?」
「もっと……ですか?」
「ああ、そうだ。もっとだ」
そんなこと、考えたこともなかったというような感じで、頬をぽりぽりと掻くエラさん。しばしの沈黙が俺たちの間に流れていく。「な、なら……名物料理も食べたいです!」両手で握りこぶしを作って一世一代の暴露みたいな勢いで言うエラさん。
「ああ、レイヴンポートならドラゴンの串焼き、アイアン・レイクなら鋼鉄卵、どれも美味しいと思う」俺は各地の名物料理を実際に挙げていく。(俺も食べたことはないけど)
それを聞いて、目をキラキラと輝かせるエラさん。
「エイジさんは、食べたことあるんですか!?」
「ま、まぁな……」
この勢いで、ないとは言えない。まぁ、キャラクターとしては食べたことがあるし――「ほ、他には……」エラさんも勢いづいてきたのか、色々とやりたいことが出始める。
乗り物に乗りたい、珍しい魔物を見たい、武器を持ってみたいなどなど――。
だったら。
「全部しよう」
「え、全部……ですか?」
「ああ。俺も色々と知りたいことがあるんだ。そのためには、多分……この世界を見て回る必要がある。だから、そのついでにやれることは全部やろう」
俺はそう返事をした。
多分――これは、理由がない俺が、理由を持つための取引だった。俺は俺が生きるために、大義名分が欲しかった。その大義名分に選んだのが “恩人への恩返し” だ。
でも、エラさんの……理論値装備がたまたまドロップした時みたいな――嬉しそうな顔を見たら、そんなうだうだとした自問自答は吹き飛んだ。
「い、いいんですか? そんなこと……」
「もちろん。迷惑だったかな?」
「そんなわけありません! ありがとうございます!」
俺の手を取って、エラさんはギュッと握りしめる。
なんだか、エラさんと話していたら元気が湧いてきた。新しい目的が決まったからもあると思う。
「あ……夢中に話していたら、もういい時間ですね。ありがとうございます。改めて、エイジさんと出会えて……本当によかったです」
「俺も助かったよ。本当に、ありがとう」
お互いに感謝の言葉を交わして、エラさんはイスから立ち上がった。
俺は彼女を見送るために、一緒に扉を目指す――「ゴホッゴホッ!」突如、エラさんが咳き込んだ。
「ゲホッゲホ!」
「エラさん? 大丈夫か!?」
倒れ込むエラさん。尋常じゃない血が、床に飛び散った。駆け寄る俺、今までとは明らかに違う。「は、はなれ……ゲホッゲホッ!」彼女が掠れた声でそう言ったかと思えば、周囲にノイズのような……歪みが発生した。
――ジジジ。
そんな不快な音と共に、エラさんを包み込むようにノイズは酷くなっていった。
ピーーーーッ!
耳を裂くような、音が響いたかと思えば身体に衝撃が伝わった。俺の身体は吹き飛ばされる。
黒と赤と青と緑と黄色と、様々な色のテクスチャがひっくり返されたみたいな、不気味なノイズがエラさんを覆っていた。ノイズはそのまま、ゆっくりと動き始める。まるで、バグったみたいに、不規則な動きを伴って「ギィィイイイ!」と、獣とも電子音とも取れるような叫び声が響く。
「え、エラさん……?」
ノイズが、徐々に形を取り戻していった。
そこに立っていたのは――エラさん、ではなかった。カブトムシを思わせるような、ノイズが走る甲冑に身を包み、両目から黒い涙を流す何か。
目の前で何が起きているのか、俺は全く理解できなかった。