蝋燭の火がゆらゆらと揺れていた。
ここにはボタンを押すだけで明かりがつくような、便利なものはない。黒く堅いパンをかじって、俺はそれを飲み下す。
まるで、乾パンみたいな食感だ。それでも、空腹という調味料のお陰で想像以上に美味しく感じられた。もちろん、このパンは俺を助けてくれた女性――エラさんのものだ。
ご厚意に甘えて、ご馳走になっていた。
エラさんは長い黒髪が印象的な人だった。
いわゆるネームドキャラみたいな特徴的な見た目ではない、けれど彼女の根の善良さが出ているような、どこか家庭的で温かみのある女性だった。
「ありがとう、ただ助けて貰うだけじゃなくてご飯まで……エラさんがいなかったら、俺はどうなったことか――」
「いえ、私も人を見たのは久しぶりだったので――つい、嬉しくて」
その言葉に少し引っかかった。確かに、ゲームの知識が通用するのなら……ここは大魔王が支配する大魔王領だ。今の時間軸は分からないけど、少なくとも大魔王領が実装されてからNPCが全くいない時期なんてなかったはず。
それについて俺が深く聞こうとする前に「それに――」と、エラさんが言葉を続けたためタイミングを逃してしまった。
「助けない方が良かったかもしれませんし――」
「それは、どういうことですか?」
「エイジさんも分かっているでしょう。こんな世界は、生きていても辛いだけだって」
「……?」
その言葉の真意が掴めなかった。
確かにエターナル・ライフの世界は過酷だと思う。でも、生きていても辛いだけの世界だとは感じない。(もちろん、それはプレイヤーの視点なのかもしれないけど)俺のピンと来ていない反応を見て、エラさんは困ったように笑う。
彼女の動きに合わせて、やや傷んだ毛先が揺れた。
「エイジさんは、そうは思っていないみたいですね。エイジさんは、こんな世界でどうしてまだ生きていようと思うんですか?」
なんて、エラさんは俺に問いかけた。翡翠色の瞳が、真っ直ぐと俺を見つめる。俺は思わず目をそらしてしまった。
――理由なんて、ない。
もちろん、この世界のことが分からないから答えられないというのもある。でも、それ以上に“生きる理由”を見つけられていない。だから俺は目をそらしてしまったんだ。
「そんなこと、考えたことなかったな……」
なんて、嘘をついてお茶を濁した。空気感に耐えられず「エラさんは?」と、俺は質問で質問を返した。
1秒程度、沈黙が流れる。
エラさんは黒髪をかき上げて、ため息を吐いた。
「私は――死ぬのが怖いんです。そんなつまらない理由で、こうして今も生きています」
「多分、俺もそうだと思う」
エラさんの理由に俺は同意した。
死ぬのは恐ろしい、でもそれと同じくらい……生きるのも怖ろしい。「ゲホッゲホッ!」口を抑えて咳き込むエラさん。
俺はテーブルから立ち上がって、彼女に駆け寄った。「大丈夫か!?」彼女の顔を見れば、抑えた手にはべっとりと血が付着している。
「ごめんなさい。心配をかけてしまいましたね……いつものことなので、気にしないでください」
ハンカチで口元を拭う。明らかに大丈夫ではない……「持病ですか?」と、俺が尋ねると、彼女は目を丸くした。「えぇ、そんなものです」こくり、首を縦に振るエラさん。
どうしてこんな場所に病人が一人で住んでいるんだろうか。
そもそも、大魔王領に出現するエネミーのレベルはそれなりに高かったはずだ。一人で暮らすにしても、もっとマシな場所があるだろうに……。
「そうだ、エイジさんはこれからどうするんですか?」
俺の思考に杭を打つみたいに、エラさんが話題を変えた。
これから……か。
エラさんのお世話になりっぱなしというのも無理のある話だ。食料の備蓄だって、一人で暮らす限界しかないだろう。
じゃあ、どこかに行く必要がある。
ただ、大魔王領という場所が悪い。MMOの舞台となガレア大陸に行くためには海を越えなければならないし、その先にはザガン大砂海がある。こんな状況ではたどり着けない。
そうなれば……俺が行ける範囲にある上で、他に人がいそうな場所というと一つしかない。
「魔王城に行こうと思います」
「ま、魔王城にですか!?」
エラさんがそのまま言葉を反すうした。「あそこにはとっても恐ろしい怪物が住んでると聞きます」さらに続けて言葉を重ねた。
大魔王がいる……というわけじゃないのか。つまり、時系列は大魔王討伐後ということだろうか。でも、俺が知る限り魔王城に新しいエネミーが出現したことはなかったはずだ。やっぱり、そのままのゲーム世界ではないということなのだろうか。
「とはいっても、他に行くアテもない……それに何も怪物の住処を奪おうってわけじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。魔王城の奥には……転送門がある」
「て、転送門?」
俺が知っている魔王城と相違がないのなら……ガレア王国の首都、ガレア城下町に繋がる転送門があるはずだ。
魔王城にいって、転送門をくぐって城下町に戻る。一番大きな町に行けば、今より状況はマシになるはず。「ああ、これで大魔王領から出ることができるはずだ」「そ、そうなんですか?」
エラさんが食いついた。
「ああ、多分……だけど」
「それ、私もついて行っていいでしょうか……道案内役も必要だと思いますし!」
「もちろん、その方が頼もしいけどエラさん大丈夫か? その、身体とか」
「は、はい。大丈夫なはずです。きっと!」
正直、エラさんの体調に関しては心配しかない。でも、エラさんは命の恩人だ。彼女の頼みを無碍にするわけにもいかない。
それに、一人で行くよりもエラさんがいた方が安全だ。
いくらゲームで知っているとはいえ、全てがゲームと全く同じではないはず。(それに、この世界がエターナル・ライフの世界と確定したわけでもない)メリットとデメリットを天秤にかける。
「お願いします!」
「分かった、でもキツくなったらすぐに教えて欲しい」
「ありがとうございます!」
大喜びするエラさん。
転送門が彼女の目当てか……だとすれば、彼女も大魔王領から出て行きたい、ということだ。余計に、彼女がここにいる謎が深まってしまった。
「では、出発は明日の早朝でどうでしょうか?」
「大丈夫だ」
「はい、では私は準備をしておくので……エイジさんは病み上がりなので、ゆっくり休んでください」
立ち上がったエラさんは、テキパキと何らかの準備を始めていった。
エラさんに言われて気がついたけど……確かに、身体の調子が悪い。病み上がり、というのは事実らしかった。情けないけど、準備はエラさんに任せて、俺は休ませて貰おう。
イスにもたれかかって、瞼を閉じる。
――色々な疑念が頭を過っていく。
どうしてゲームの世界に? そもそも、ここは本当にゲームの世界なのか? なんでエラさんはこんな場所に?
ぐるん、ぐるんと考えが巡っていくと……いつの間にか、深い眠りに落ちていた。