郷田の攻撃をかわし続ける龍田に、黒田もイライラしてきた。早く決着をつけ、龍田に対する溜飲を下げたいのだろうが、黒田のために戦っているのではない。龍田の作戦もある。今はまだ様子を見ている、あるいは心理戦の状態なのだ。実際に技を交わすタイミングとしては、まだ熟していないと考えている。
しかし、見ている黒田にはそのようなことは分からない。
「こら、龍田。びびってんじゃねぇよ。ちゃんと戦え」
今まで黙って見ていた黒田からもヤジが飛ぶ。自分が痛い思いをするわけでもなく、他人任せの黒田だからこそこのような言葉が出るのだろう。これまで戦った大塚や大木からは一切そのような言葉は出ず、2人の戦いぶりをしっかり見ている。その心境は他者からは窺い知ることはできないが、最初に訪れた時に比べると、何らかの変化があったのだ。
龍田はチラッと伊達を見た。絶対的な時間にすれば、試合開始から3分くらいしか経っていないが、あまり無意味な時間を費やしても仕方ない。もう相手の力量も読めただろうからと、伊達の目がそろそろ決着をつけろと言っているように龍田は感じた。実際もう、郷田の動きは見切っている。次に仕掛けてきた時、勝負しようと思い、重心をしっかり落とし構えた。
郷田も龍田が勝負に出たと感じたのか、右拳で上段に攻撃を仕掛けてきた。突きというより右フックに近い。龍田は左の前腕を顔の側面に上げ、防いだ。もう少し打ち込む角度が深ければ、郷田の前腕部の急所を直撃したはずだが、踏込が浅かったため当たる角度が少し異なり、上肢へのダメージにはならなかった。
次の瞬間、郷田は金的めがけて蹴ってきた。直前の浅い踏込は、金的蹴りを想定していたためかもしれない。上段に注意を引きつけ、その隙に急所攻撃を意識していたとも考えられる。普通の試合では、故意に金的を蹴ることはないが、郷田の様子から考えて龍田にはそれも想定内だった。