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ガン 28

「今回はそうだったな。癒しを行なう側は、広い意味で優しくなければならない。しかしそれは、表面的な優しさだけでは通用しない。時には叱ることも優しさなんだ。いつも好い顔をして、頭を撫でているだけでは優しいとは言わない。御岳君は言葉は少ないが、駄目なものは駄目だと言っただろう。そういうことが必要だ。これを癒しの現場に当てはめると、自分の身体を労らない人への対応という場合が相当する。そういう人に対しては、きちんと言うべきことを言わなければならない。変な遠慮は必要ない。それがプロとしての心構えだ。ただ、言葉づかいなどの配慮は必要になる。それは社会人としての常識の範囲で、叱ることを感情にまかせた形にしてはいけない」

 ここでは御岳が堀田を諭したことから、それを癒しの現場にも通じる話へと転化することで、一見関係なさそうなことでも、それが他のことにも通じる学びになる場合があると言いたかった。人は一生のうち、いろいろな体験をするが、それを個別の体験で止めるのではなく、その経験を他にも応用できるような考えに広げてほしかったのだ。

 その意図が通じたのか、今度は高山から質問が出た。

「ちょっと質問してもいいですか? 御岳さんの場合、ガンということでしたが、そういう場合、整体師としてはどう関係していけばいいんですか?」

 御岳との関係でという場合、具体的な病気の存在があるので、その点を抜きにすることはできない。そういう意味で高山の質問は適切だった。

「いい質問だ。前にも少し話したことがあるが、整体術にも限界がある。限界というより、整体術の得意・不得意と考えてもいいかもしれないが、要は何でも対応できると思わないことだ。原則として、ガンのような器質的なケースは不得意だ。機能的なトラブルのほうを得意とする、と覚えておくこと。また、感染症や外科的な対応が必要な怪我のような場合も同様だ。これは堀田君のケースで分かると思う。こんなことが基準になるが、実際にはアプローチできる範囲を限定すれば、もっと広いケースにも対応できる。場合によって器質的なトラブルもだ。ただそれは、ケース・バイ・ケースで考えていく」

 この話は、療術界に時々見られる「何でも良くなる」と宣伝するケースに対する注意として話すものだった。身近にいて、いろいろなトラブルを解消する現場を見ていると、ついその範囲が無制限になり、どんなケースにでも有効だと勘違いしないとも限らない。拡大解釈ということだが、それはまじめに整体術に取り組んでいる伊達の意に反することだ。きちんとした知識と技術の上で、明確な線引きを意識することを、内弟子にも徹底させたかった。そういう意味では、御岳の症例という実例があるので、今回の話は内弟子として実感させられたことになる。

 御岳のガンは本人だけでなく、他の内弟子にも大きなショックだった。

 しかし、それを乗り越えたことは全員に大きなパワーを与えた。伊達はこの経験をさらにきちんとした形で身に付けてもらおうと、癒し家としての心構えを、いつもの講義とは違った形で解説したのだった。

 御岳の病気は、内弟子全員の意識を更に強くすることになったのだ。

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