4年前、高山が21歳の時、空手に明け暮れる毎日だった。
高校時代から空手を始めたが、小さい頃からやっていたサッカーなどのスポーツのおかげで、空手を学び始めて間もない頃から地元ではめきめき頭角を現し、空手は生活の一部になっていた。
大学に進学しても当然その気持ちは持ち続け、空手部に所属した。入部時点から将来を期待され、21歳3年生の時には次期主将に決定していた。
その大学は強豪校として知られ、過去には全国大会でも活躍していた。高山はこれまで以上の成績を残せるよう、部員に発破をかける毎日だった。
「おい、1年生。体力つけろ。今から拳立て100回、スクワット100回、突き1000本、蹴りそれぞれ100本ずつ、始め!」
高山の大きな声に、下級生部員は一斉に言われたことを始めた。できないなんて言わせない、といった気迫に弱音を吐く部員など1人もいない。むしろ、もっと強くなりたいと思い、高山の指導に従っていた。
「どうした。スピードが遅いぞ。気合い、気合い」
容赦なく叱咤する高山。体力的に劣る部員もいるが、必至の形相でみんなに付いていこうとする。経験上、試合で上位に進んでも、体力不足で敗退する姿を何人も見ていた高山にとって、体力を付けることは基礎中の基礎なのだ。
高山自身、大学生という体力的には十分な年齢だけに、数をこなす練習をしていた。あえてみんなの前でその様子を見せることはないが、自主トレの形で行なっていたのだ。若い時期、誰もが数をこなすことでそのまま強くなると信じていたので無理はない。高山も例外ではなかったのだ。
多少のばらつきはあったが基礎稽古は全員が終了し、小休止も終わったところで次の稽古となる。
今度は組手の時間だ。高山の大学は組手が強いことで知られており、それは稽古の中心が組手だったからだ。
高山は部員を整列させた。
「2年生以上、組手をやる。2人ずつ前に出ろ。2分間3本勝負、試合と同じルールでやるぞ。気合いを入れてやれ」
高山の声が道場に響く。約20名の部員たちは、代わる代わるコート内で組手の練習を行なう。攻撃が消極的な者、後ろに下がる部員には容赦ない声がかけられた。
「お前、もっと前に出ろ。下がるな」
戦いに下がることは許されない。高山はそういう思いで下がる部員を厳しく叱った。
この時の高山は審判役と同時に、コーチの役もやっていた。自分の指導如何で成績が決まると考えていた高山は、部員の稽古を自分の身を切るような思いで見て、アドバイスしていたのだ。
そのような流れで次々と交代していく。こういう時の組み合わせは、大体同じ位の実力を持つ者同士を組み合わせるので、最後には強い者が残る。最初は審判役をしていた高山も、自身が行なう番になった。
下級生の中には高校空手界で名を売っていた部員もいたが、高山に勝てる者はいなかった。だから、他の部員としては、たとえ練習でも高山に勝つことを意識して組手に臨む。その緊張感がまた練習の質を高めることになるので、高山としても気を抜くことはできない。
この日の高山の相手は、インターハイで準優勝の経験のある榊だ。身体は小さいが動きが早く、得意技も変化に富む。ちょっと油断すると高山も危ない場合がある。だからこそ、他の部員には良い見本にもなる。
高山と榊は開始線で対峙した。両者互いに一礼し、組手の構えを取る。
「さあ、来い」
高山は得意の中段の構えだ。
左の腕を胸の前に少し伸ばし気味にし、右の拳が相手を狙っている。左を開けることで相手を誘うような形になるが、右の拳が気になり、なかなか打ち込めない榊。
さらに大きな声が響く。
「来ないならこっちからいくぞ」
と言ったのも束の間、あっという間に左の足払いから下段突きで1本を取る。
スピードが身上のはずの榊が一歩も動けない。インターハイ準優勝の実績があっても、地力に勝る高山の前では持ち前の動きができないのだ。
榊はゆっくり立ち上がった。どうやって倒されたのか、よく分らないといった表情で、再び高山と対峙した。
2本目が開始された。
試合では実際には当てなくても、倒されるとそれなりのダメージがある。特に精神的には大きい。榊はやや腰が引けた感じで立っていた。
誰の目にも榊の劣勢が感じられた。
高山は裂ぱくの気合と共に、一気に上段の連続突きで榊を追い詰めた。榊は思わず後退した。
下がるスピードが速かったため、高山は上段突きで1本を取れなかったが、コートのライン際で榊の気が抜けた。
高山はその瞬間を見逃さなかった。素早く得意の右上段回し蹴りを放ったのだ。
榊は気が抜けていたので受けることはできない。あわやと全員が思ったが、そこはしっかりコントロールし、顔面にヒットする直前で静止した。
1本!
誰もがそう思ったが、回し蹴りが極まったのは場外だった。残念ながら幻の1本になってしまった。
2人は再度コートの中央に移動し、開始線に立った。
試合再開だ。
すっかり戦闘意欲を無くしている榊に対し、高山は少しずつ間合を詰めた。榊本来の気迫が消えている今、高山の攻撃に障害はない。教科書のような、何のモーションもつけないきれいな中段の前蹴りが榊の水月(みぞおちの急所)を捉えた。相手に戦う意欲が無かったため、高山は蹴りのパワーは加減していたが、榊はうずくまってしまった。
他の部員が榊のほうに駆けつけ、声をかけたり帯を解いたりして介抱した。
高山はそれを見ながら部員全員に言った。
「学生空手のルールは寸止めだが、ウチの部は伝統的に当てているんだ。みんな死ぬ気で練習しろ」
満たされない気持ちを感じながら、この日の稽古は終了した。