「え? 犬? どこから……」
突然現れたチワを、大地は大きな目で穴が開くほど見つめた。
その視線を軽く受け流し、チワが淡々と話し出す。
「大川大地、私は天界からやってきた使い魔のチワ。
あゆと共に魔界からやってきた魔族と戦い、人間を救っている」
チワワがしゃべり出したことに驚き、開いた口が塞がらない大地が急に大声を出した。
「犬が、しゃべってるっ!」
その言葉に、少しムッとしたチワは不機嫌そうな声音に変わった。
「悪いか? 世の中にはおまえが知らない世界がたくさんあるということだ。人知れず悪魔と戦うあゆのような存在もな。
おまえたちがのうのうと生きている世界では、悪魔が人の心の弱さにつけ込み、魂を食らおうとしている。
魂を食われた者は、本来の自分とは違ってしまう。純粋で綺麗な心は消え、本来なら奥底に隠している醜い部分が
そんな存在ばかりになれば、この世界の秩序は乱れてしまう。
ここまで言えばおまえみたいな馬鹿そうな奴でも、言っている意味はわかるだろう?
そういう存在から人々を守るため、天界があゆを選んだ。
あゆは人々のために悪魔と戦っているのだ」
目の前で起こっていることに驚きつつ、何とかついていこうと努力する大地。
あゆとチワを交互に見ながら一人何やらつぶやいている。
混乱する頭を整理しているようだ。
そんな大地の様子を憐れむように見つめたチワが、一つ咳払いをしてから話し出す。
「本来なら、一般人のおまえにこんなことを知られては問題なのだが。
昨日あれだけ見られてしまってはどうしようもない。
上には報告して確認を取った。
おまえがこのことを口外しないと誓うなら、おまえの記憶はそのまま残る。
もし口外しようものなら、昨日のことは記憶から一切なくなる」
チワの顔は真剣そのものだ。
天界が下した判断は絶対で、誰にも
ここで、大地が反発するようなら、何のためらいもなく記憶は消されてしまうだろう。
静かに聞いていた大地は、しばしの沈黙のあと深く頷く。
「わかった。絶対に誰にも言わない……誓うよ」
真剣な表情でチワを見つめる大地。
その瞳を受け止め、チワもじーっと見つめ返す。
大地の覚悟を確認したチワは、安心したように微笑んだ。
「美咲という女も、悪魔に魂を売ったのだ。
それであゆが美咲を救うために戦っていた。
そこへ貴様がやってきて、あゆの邪魔をしたから重傷を負ってしまった」
昨日の出来事を説明したチワが大地を睨む。
そのことに罪悪感を感じていた大地は、うっと
「そうだったのか。
それは、なんというか、本当に申し訳なかった。
でもあの傷……」
と言いかけたところで、昨日の須藤の言葉を思い出す。
須藤のことは内緒だった。
チワもすごい勢いで大地を睨んでいる。
言うなよ、という言葉が聞こえてきそうだ。
「まあよかった、木立が無事で。
しかしびっくりだよな、美咲も悪魔に魂売ってたなんてさ。
そういや、なんかあいつ変だったもんな」
大地は納得したように頷いている。
「まあ、これからはあゆの邪魔はするな。
言いたいことはそれだけだ。……あゆ、またな」
チワはあゆに微笑むと、一瞬でその姿をくらました。
残された二人に、また気まずい空気が流れ出す。
「あの、それじゃ、私はこれで」
なんだかいたたまれない気持ちになったあゆは、さっさとこの場を去りたかった。
これだけの奇想天外な出来事をすんなり受け入れてくれた大地には、驚きと共に感謝もしている。すごく
でも、本当のところがわからない。
もう、この前ように普通には接してくれないかもしれない。
こんな訳のわからない、得体の知れない人間と一緒にいたいと思わない。
さっきの話だって、本当に信じているのかどうかなんてわからない、適当に返していただけかもしれない。
なんでいつもこうなんだろう、先に傷つかないための予防線を張ってしまう。本当のところなんて本人にしかわらないのに……。
弱い自分……傷つきそうなことからは、さっさと逃げ出そうとする悪い癖。
「なあ」
大地が唐突にあゆに声をかけた。
「あのさ、俺……これからは木立のこと、手伝ってもいいか?」
突然の提案に、あゆの身体は硬直し動きが止まる。
ぎこちない動作で、ゆっくりと振り返った。
え? 今、なんて言った?
あゆは自分の耳を疑った。
「あのときは美咲が心配で、美咲のことしか見えてなかった。
まさか相手が木立っていうのも知らなかったし、腹刺されたのが木立ってわかったときは、本当にショックだった。
……後悔した。
木立の力になりたい、守りたいって思ったんだ」
大地は真剣だ。その強い想いはあゆの心にじわっと染み渡っていく。
彼は本気で心配してくれている。
「俺は特別な能力なんてないし、選ばれた人間でもない。
だから役には立てないかもしれない。それでも傍にいて……支えたいって思う。
ほら、一人より二人の方がいいだろ?」
大地の気持ちは嬉しかった、すごく、すごく。
自分のことをこれほど大切に思ってくれる人なんて、いないと思ってたから……。
だから、余計に。
涙が出そうになり、あゆは上を向いた。必死に抵抗を試みる。
そして、あゆは強い眼差しで大地を見つめた。
その瞳はいつもの弱々しい
「ありがとう、でも……私の戦いはとても危険なの。巻き込みたくない」
あゆにしては珍しい、芯の強い口調と言葉。
嬉しさと感謝の気持ちを必死で押し殺し、大地を遠ざけようとするあゆ。
しかし、大地は引き下がらなかった。
彼の想いは、そんな
「危険だからだろ? 危険だからおまえを守りたいんだ!」
大地の叫びが屋上に響いた。
あゆは目を真ん丸に開き、大地を凝視している。
そんな顔をさせたいわけじゃないんだ。
大地は空を仰いだ。
空をじっと睨んでいた大地が、何かを決意した表情でゆっくりとあゆを見つめる。
「言わないでおこうと思ってた……。
覚えてないんだとしたら、それは木立にとってそれだけのものなんだろうって、俺の胸にしまっておこうって」
大地は一度目を閉じ、何かを考えてからそっと瞼を開けた。
その眼差しに、あゆの心臓がトクンと弾む。
「でも、俺の想いをわかって欲しいから話す。
……あれは十年前のことだ」