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第7話 動き出す想い

「痛々しいですね、その体」


 二人きりになった須藤があゆに向かって微笑んだ。


 その瞳はほんのわずかな悲しみが宿っていた。が、下向き加減のあゆはそれに気づくことができなかった。


 あゆはじっと見つめてくる須藤の視線に耐えられず、そっと窺うように見返した。


 まだ話したこともないし、親しいわけでもない。

 だが、妙にいつも見られているように感じるのはなぜだろう。


 あゆは警戒しながら小さく返事をする。


「お、お気遣い……ありがとうございます」

「無理はしないでください」


 須藤があゆの頭に手をポンと置く。

 あゆは驚いて須藤を見上げた。


 こんな風に誰かに頭を撫でられるのはいつ振りだろう。


 あゆは気恥ずかしくて俯いてしまう。その顔はみるみる赤くなっていった。


先公せんこうのくせに何してんだよ!」


 突然、廊下中に響きわたる程の大きな声がとどろいた。


 二人は声の方へ振り向く。

 そこには、同じクラスの大川大地が物凄く鋭い目つきでこちらを睨んでいた。


 こ、恐い。あの目は苦手だ。

 あゆが一歩後退する。


 怒っている様子の大地はどんどん近づいてくる。

 あゆの目の前に立つと、須藤の腕を勢いよくつかんだ。


「生徒にこういうことしていいのか?」


 大地が睨んでも、須藤は平然と柔らかな微笑みを向ける。


「お気にさわったのならすみません。

 どうも、私は節度がないようで。

 木立さんは一生懸命で頑張り屋さんなので、つい」


 大地のこめかみに血管が浮きでるのが見えた。


 あゆはこの場から逃げたかった。

 なぜ私はこんなことに巻き込まれているのだろう。


「そういうことを、教師が言っちゃ駄目だろうがっ」


 大地の怒りが頂点に達しようとしているとき、あゆの恐怖は頂点に達していた。


 あゆの顔が青ざめていく。

 その様子に気づいた須藤がわざとらしく言った。


「あ、そうそう。私、教頭先生に呼ばれているんでした。今思い出しました。

 では、急ぐのでこれで」


 わざとらしい台詞に、大地があきれた表情で須藤を見つめる。

 須藤はそそくさとその場から離れていった。


「あ、てめえ、逃げるな! 話は終わってねえ!」


 大地が須藤の背中に向け、叫ぶ。

 須藤は二人にひらひらと手を振ると姿を消した。



「逃げたな、あの野郎……」


 大地はまだ怒りが収まらない様子で、須藤の消えた場所を睨んでいる。

 あゆはこの場から早く去りたかったが、恐くて足が動かなかった。


「……大丈夫なのか、体」


 大地が静かに口を開いた。

 さっきの口調とは違う優しい声音だったので、驚いたあゆが顔を上げる。


 あゆと大地の瞳が交わる。


 そう言えば、あゆは大地のことを怖がってばかりで、しっかりと目を合わせたこともなかった。

 こうして見ると、優しい目をしているんだな、とあゆは大地の瞳をじっと見つめる。


 大地の顔が赤くなった。


「な、なんだよ、そんなにじっと見るな」


 照れて顔を背ける大地は、全然怖くない。

 それどころか、なんだか可愛くさえ思ってしまったことにあゆは驚いた。


 意外な一面を発見。


「で、おまえ、その体どうしたんだよ」


 大地はあゆの傷だらけの体を心配してくれているようだった。

 なぜ彼が心配するのかは不明だが、あゆはなんだか嬉しくて、暖かい気持ちに包まれる。


「大丈夫です。これは私の不注意で、心配いりません」


 まともに大地と会話したのが初めてだったので、緊張して声が震えてしまった。


「そんなに……俺、恐いか?」


 大地があゆの顔を覗き込む。

 なんだかすごく不安そうで、迷子の子犬のようなその瞳にあゆは笑ってしまう。


「ふふっ、もう、恐くないです」


 あゆの笑顔を見て、大地も嬉しそうに笑ったが、ふと我に返った。


「ってことは、今まで恐かったんじゃねえか」

「だって、恐そうにしてるからいけないんですよ」

「そうか? 俺普通だと思うけど……」

「そう思っているのは、本人だけなんじゃないですか?」

「なんだと?」


 大地が軽く睨んできたが、不思議ともうそこに恐怖心はちっとも湧いてこなかった。


「大丈夫です、もう私は恐くありません!」


 私が真面目な顔で答えると、大地があきれたように笑った。


「はいはい」


 あゆは不思議だった。

 こんなに自然に話せるのはチワくらいで、人とこんな風に会話できたのははじめてだ。


 いや、小さい頃のあの男の子以来かもしれない。


 あゆが大地をじっと見つめると、 

 どうした? という優しい表情を向けてくる。


 あゆは人と目線を合わせたり会話することが苦手だったが、大地は全然嫌じゃない。


 むしろ心地よかった。こんな感情……はじめてだ。






 二人の様子をずっと見つめていた人物がいた。

 大地のことを探しにきた美咲だった。


 少し離れた廊下の曲がり角、そこに潜んで二人を睨みつける。


 彼女の心は酷く乱れていた。


 あんな優しい顔、見たことない。


 大地の優しさは知っていた。悪ぶってるけど実はすごく優しい大地。

 私だけが彼の優しさを知っている、そう思ってた。


 ずっと好きで、好きになって欲しくて……。


 どんなに拒否されてもあきらめず、傍で気持ちを伝え続けた。


 たまに大地はあの女を見ているときがあったけど、あんな女気にもしてなかった。

 だって、大地への想いも、何もかもがあの女に負けているとは思えない。


 まさか大地、あんな女に本気じゃないわよね?


 そんなの絶対許さない!


 美咲は二人の姿を見つめながら、悔しそうに唇を噛む。

 そして、ギュッとこぶしを握りしめた。






「へえ、あの女……使えそうだな」


 暗闇の中から姿を現した京夜が、美咲を見つめつぶやいた。


 楽しそうに笑いながら、手に持っていたリンゴをてのひらの上で転がし遊ぶ。


 ふとあゆに視線を送る。

 楽しそうに大地と話しているあゆの姿が目に入った。


「俺のおもちゃだったのに、……ちょっとムカつくな」


 持っていたリンゴがぐしゃりと潰れた。


 珍しく京夜の瞳の奥底で、何かの感情がくすぶっている。

 しかし、京夜自身それに気づいていなかった。


「さて、呼ばれているし、そろそろ行こうかな」


 京夜は面倒くさそうに伸びをしてから、闇の中へと消えていった。


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