次の日、美咲は学校へ着くとすぐに大地を探した。
生徒をかき分け走っていく。
遠くにその姿を捉えると、美咲はまっすぐ大地へと向かっていった。
「大地っ」
美咲は大地の手を取り引っ張った。
「美咲?」
振り返った大地は美咲を見ると優しく微笑みかける。
「どうした? そんなに慌てて」
「大地……」
美咲は恐る恐る大地に抱きついた。
すると、いつもなら突き離されるその手で、優しく抱きしめ返される。
「大地、大好き」
「俺も、好きだよ」
大地が美咲の耳元でそっと囁くと、美咲の目に涙が滲んでくる。
嬉しくて、嬉しくて、美咲の頭も心も大地でいっぱいになる。
これ、夢じゃないよね?
美咲はほっぺをつねるが痛みを感じた。
大丈夫、これは現実だ。
やっと手に入れた、私の宝物。
もう離さない、二度と。私のものだ、誰にも渡さない。
涙で滲む美咲の瞳の奥は、密かに暗く淀んでいた。が、本人も誰もそのことに気が付いてはいなかった。
「いい天気」
あゆは雲一つない青空を眺めつぶやく。
今は昼休み、昼食を取るため屋上へやってきた。
教室でご飯を食べるのが嫌で、いつも屋上にきては一人を満喫するのがあゆの日課だった。
教室のあの人がごちゃごちゃいる感じが好きじゃないし、こそこそと何か言われているように感じてしまい、ストレスが溜まる。
それならば、と屋上へ足を運んだ。
この空間、誰も居ない一人の世界を満喫できるここが、天国に思えた。
それ以来、屋上はあゆの居場所となった。
「あゆ、仕事だ」
あゆがご飯を口に運ぼうとした、まさにその時、チワが足元に姿を現した。
「……お昼なんですけど」
チワを睨むあゆのことは完全に無視し、素知らぬ顔でチワは話を続ける。
ちなみにこれ、いつものこと。
チワって可愛い顔してるくせに、表情は無表情に思える。ツンとしているというか、クールだよね。
「ターゲットは藤崎美咲、あゆと同学年で違うクラス。これ写真」
チワの口にはいつの間にか一枚の写真が
いつも思うけど、どこから出してるの?
あゆはチワから写真を受け取り、その人物を確認する。
「……綺麗な人」
その人は大地の傍によく出没する美少女だった。あゆも何度か見たことがある。
あゆの表情の変化を見たチワが探りを入れてくる。
「あゆ、知っているのか?」
「うん、見たことある……かな」
「まあ、いいけど。頼んだよ、果たし状は私がやっておくから」
あゆの手にちょんと自分の肉球をのせ、頼んだぞという瞳を私に向ける。
そして背を向けると、ジャンプすると同時にチワは消えた。
残されたあゆは空を見上げ、物思いにふける。
いったいあんな綺麗な人が望むものとは、一体なんだったんだろう、と。
あゆはいつものように公園で美咲を待っていた。
真夜中の公園に人は一人もいない、一人の世界を満喫できるこの時間があゆは結構好きだった。
暗闇は自分の存在を消してくれるような気がして、安心する。
闇に溶け込んでいくような感覚が気持ちいい。
人と交わることが苦手なあゆにとって、暗闇は小さい頃からずっと味方でいてくれた。
そして、この静寂。夜の静けさはあゆの心を落ち着かせてくれる。
騒々しさの中にはない心の安寧を与えてくれる。
誰にも邪魔されない、私だけの空間。
突然その静寂は破られた。
「私を呼んだのはあんた?」
声のする方へ視線を送ると、そこには不機嫌そうな表情で仁王立ちしている美咲がこちらを睨んでいた。
二人の間を風が通り過ぎ、木々が小さくざわめいた。
月明かりに照らされ、あゆが姿を現す。
普段はおさげに束ねられている髪は解かれ、綺麗な黒髪がしなやかに風になびき、漆黒の闇と同化する。
眼鏡を外したその瞳は鋭く光り、美咲を捉えていた。
その姿からは、誰が見てもあゆだとは思わない。
それほどに、あゆの雰囲気はいつもとは段違いな空気を
もちろん美咲も気づいていない。
「おまえ、悪魔と契約したろ」
可愛い少女の姿から発せられる男のような口調に、美咲は眉をひそめた。
「へえ、あれ悪魔だったの。……取引したわ、だってそうすれば願いが叶うんだもの」
恋する少女のように瞳を輝かせ、嬉しそうに美咲は語っている。
「じゃ、おまえ殺すから」
あゆは淡々と言い放つ。
その瞳はまっすぐに美咲を見ていた。
「何言ってんの? あんた頭おかしいわよ。
私はこれから大地と幸せになるんだから……邪魔しないで!」
急に美咲の
顔は鬼の様な
それと同時にあゆの手にも白い剣が現れる。
二人は剣をギュッと握りしめた。
美咲があゆに襲い掛かってくる。
あゆは真っ向からそれを受け止めた。
闇の中、金属音が鳴り響く。
美咲は勢いに任せ剣を振り回してくる。
不規則なその動きに、対応するのがやっとだった。
あゆも最初は押されていたが、だんだん美咲の動きが読めてくると反対に今度はあゆが押しはじめた。
「くそっ!」
美咲は必死に攻撃をしかけるが徐々に追い詰められていく。
攻撃に隙が出た瞬間をあゆは見逃さなかった。
あゆが美咲の剣を弾き飛ばす。その反動で美咲は尻餅をついた。
あゆは美咲を見下ろしながら、剣を向ける。
目の前に突き付けられた剣に怯えながらも、美咲は強気な瞳で睨み返す。
「殺さないで! 私はこれから大地と幸せになるんだから!」
必死に張り叫ぶ美咲に、あゆは静かに告げる。
「おまえが欲しかった
美咲の瞳が大きく開く。
動揺した心を隠そうと何か言いかけたとき、
「美咲!」
どこからか、大地の声が聞こえた。
声の方へ視線を向けると、大地がこちらへ走ってくる姿が目に入った。
「大地? ……なんで」
突然の出来事に、美咲は大地を凝視する。
大地は美咲を背に庇いながら、あゆの前に立ちはだかった。
「美咲の様子が変だったから、つけてきたんだ。
……お前誰だよ! 美咲に手出しはさせない!」
大地があゆを睨みつける。
その瞳は、あの優しい眼差しではなかった。
敵意を含んだその眼差しに、あゆは激しく動揺する。
「ど、どけ! そいつをやらないと……うっ」
あゆの腹部に黒い剣が突き刺さった。
大地に気を取られていたあゆの隙をつき、美咲は大地の後ろからあゆ目掛け剣を突いていた。
まったくの不意打ちに、あゆは気づくことも避けることもできなかった。
「ふん、口ほどにもない。私の邪魔をするからよ」
美咲は吐き捨て、ニヤッと微笑む。
勝った!
美咲は心の中で勝利を確信する。
あゆはその場に崩れ落ちていき、地面に倒れた。
腹部から血が滲んでいき、地面に血がゆっくりと広がっていく。
「え、ちょっと……」
大地は動揺した。
美咲を助けにきたはずなのに、目の前では敵だと思ってた奴が血を流して死にかけている。
この現状をどう捉えればいい?
「救急車、救急車呼ばないと」
大地が慌てふためいていると、美咲が大地を抱きしめた。
「大地、あんな奴どうでもいいでしょ、放っておけば」
「何言ってんだ! 放っておけるわけないだろっ。おまえ、変だぞ!」
大地は美咲を突き放し、あゆを手当しようとする。
美咲はぽかんとした表情で、大地を見つめる。
ぼーっとする頭を回転させ、美咲は思考した。
そうか……私最近変だったのかな。
そういえば、あんまり記憶がないし、頭がぼーっとする。
それに、大地と両想いになれたのにあんまり幸せを感じられずにいた。
両想いになれた瞬間は確かに嬉しかった。
でも、そのあとはずっと心がモヤモヤしていた。
その答えはなんとなくわかってた。
見ない振りをしていたけど、本当は気づいてた。
偽物だから。
彼の心が本当は違う人に向いているのに、無理やり私に向いても嬉しくない。
本当に好きなわけじゃないから……そこには気持ちはないから。
なんだか薄っぺらで、感情が動かない。
私はそんな
なんだ……そっか。
「大地、ごめんっ」
突然、美咲は泣き崩れた。
溢れ出す涙を拭いながら、規則的な呼吸を繰り返しむせび泣く。
わかったよ、私が本当に欲しかった
そのとき美咲の心臓を白い剣が貫いた。
最後の力を振り絞り、あゆが美咲の心臓目掛けて剣を投げ抜いていた。
美咲に命中したことを確認したあゆは力尽き、意識を手放す。
突然、白い光に包まれた美咲はその場から消えていった。
大地はあゆの傷口を必死で押さえていて、あゆの行動や美咲が消えたことにも気づいていなかった。
目の前の少女を助けたい、その一心だった。
大地がスマホを手にすると、その手を誰かが掴んだ。
「救急車を呼ばれるのは、ちょっと」
大地が見上げると、そこには須藤がいた。
いつも
「失礼します」
須藤はあゆの傍らに
その手から暖かな白い光が放たれ、あゆを包み込んでいく。
しばらくすると光は小さくなっていき、あゆの血は止まりはじめた。
大地は声も出せず口をポカンと開き、あゆと須藤を交互に見ている。
「ここで見たことは誰にも言わないようにお願いしますね」
須藤があゆを抱きかかえると、少女の顔が月明かりに照らされた。
そのときはじめて、大地はその少女があゆだと気づいた。
「その子は……木立あゆ、なのか?」
須藤は返事の変わりに優しく微笑む。
「彼女が大切なら、今日あったことは胸に留めておいてください。
……あと、私のことは木立さんに秘密でお願いしますね」
人差し指を口に当て、須藤は大地の前から姿を消した。