全体が石畳で造られたその通路は、無機質で圧迫感さえ感じる。
廊下をしばらく歩いていくと、重厚で大きな扉が眼前にそびえ立つ。
その扉を開くと、さらに暗く不気味な雰囲気が漂う大きな広間が存在した。
広間へと足を踏み入れた京夜は眉を寄せる。
たくさんの魔族たちが目の前を通り過ぎて行くのを、不快そうな顔で京夜は睨みつけていた。
「京夜殿、珍しい。このような席には滅多におられないのに」
一人の魔族がニヤついた顔で京夜に話しかけてくる。
その話し方から、嫌味だとすぐにわかった。
京夜は気まぐれで、魔族の集まりに顔を出すことは滅多になかった。
それをよく思っていない連中がいることも知っている。こいつもその一人だろう。
「まあ、たまには出席しないと、魔王様にお
面倒くさいので適当にあしらおうとする京夜だったが、懲りない魔族は余計な発言をしてしまう。
「そうですね、魔王様も心が広いとはいえ、限度がありますから」
京夜は鋭い眼差しでその魔族を睨んだ。
すると命の危険を感じたのか、魔族は青い顔になり、そそくさとその場から立ち去っていく。
どうやら京夜のことは恐れているらしい。
確かに先ほどの魔族はカスだ、レベルが違う。京夜は数秒とかからぬうちに灰にできる自信があった。
去り行く魔族を見つめながら、京夜は肩を
その時、その場にいた魔族たちが一斉に
京夜も皆にならって跪く。
暗闇の中から魔王が姿を現した。
その場の空気が一変した。ものすごい威圧感だ。
ゆっくりとした動作で歩いていくと、魔王は王座に座り皆を見渡した。
魔王から発せられる、邪悪な気が辺りを包み込んでいく。
圧倒されるようなその雰囲気に皆が呑まれていった。
ある一人を除いては。
場の空気は張りつめ、緊張が高まる。
皆は静まり返り、魔王の言葉を待っていた。
「……京夜、ここへ」
魔王がそう発言すると、その場にいる魔族たちが一斉に京夜の方へ視線と意識を向ける。
そんな針の
京夜は魔王の目の前で跪き
「最近、私の可愛い配下たちが次々と消えていく。
おまえの付近に放った配下だ。何か知らぬか?」
魔王が京夜を見下ろす。
深い闇のような瞳から不気味な光が放たれている。
この目に見つめられると、皆恐怖で動けなくなる。が、京夜にはまったく何の影響もなかった。
「魔王様、最近、私の周りで白い剣を手にした少女が現れ、魔族を倒すという噂を耳にしています。そのことではないでしょうか?」
「ほう……で、おまえはその少女のことを何も知らないのか?」
「はい、調べてはいるのですが。私の方では何も……」
京夜は嘘をついた。
少女の正体はあゆだと知っている。
しかし、あゆを観察するのが面白くて、京夜はずっとそのことを誰にも言わず隠していた。
京夜にとって魔界の暮らしも人間界の暮らしも、とてもつまらないものだった。
彼ほどの実力を持つ魔族となれば、魔界中を探せど、彼を楽しませてくれる者はそうそう見つからなくなる。
京夜にはそもそも出世欲もなく、魔族同士の争いにも加わっていない。
人間界での仕事も適当にこなしているだけで、どこか物足りなさを感じていた。
そんな中で唯一の楽しみがあゆだった。
はじめはあゆのことを普通の大人しい女子高生だと思っていた。
しかし、京夜が狙ったターゲットの前に現れたあゆを見たとき、すごく興味をそそられた。
普段のあの姿から想像できない態度と強さ。
そして、戦いの中で見せる美しさ。
見ているだけで、京夜の目をくぎ付けにした。
さらに京夜は、あゆをからかう楽しさを覚えてしまった。
他の人間よりも素直で、何事においても反応の良いあゆ。京夜のいたずら心を満たしてくれるかっこうの存在。
人間界の暇つぶしにはもってこいの相手だった。
とにかくあゆほど、京夜の心を捉えて離さない人物はいなかった。
「そういえば、次に狙う人間。私にお任せいただけますか?」
京夜がそう進言すると、魔王は驚いた表情で感心したように頷く。
彼がこんなに積極的に自ら発言するのは、はじめてだったからだ。
「京夜にしては珍しいな、いいだろう。任せよう」
「ありがたき幸せ」
下を向く京夜は、そっと口の端を上げた。
その頃、須藤は家で一人くつろいでいた。
とあるマンションの一室。
彼の部屋には特に変わった物はなく、ごく普通の一般的な男性の部屋だった。
古めかしいレコードの機会が置いてあることを除いては。
レコードの機会から、クラッシックの穏やかなメロディーが流れている。
その音楽に耳を傾けながら、ソファーにゆったりと座った須藤は少しの眠気を感じ、のんびりとあくびをする。
ふと足元に気配を感じ、視線を移した。
そこには、いつの間に現れたのか、行儀よくお座りしたチワが須藤を見つめていた。
「やあ、いらっしゃい、チワさんでしたっけ?」
須藤が微笑みかけると、チワが小さな体で丁寧にお辞儀する。
「この前はありがとうございました」
ゆりあとの戦闘の後、ボロボロになったあゆの怪我を治療し、家まで運んでくれたのは須藤だった。
「いえいえ、当然のことをしたまでですよ。天界のために頑張ってくれている木立さんには感謝しています」
「まさかあなた様が下界にきているとは思わず、正直驚きました」
須藤は天界でかなり位の高い天使だった。本来なら下界に降りてくることなど、あり得ない。
下級の天使や、使い魔のチワのような存在以外、滅多なことでは動かないはずだ。
それほど、今下界は非常事態だということがわかる。
チワの言葉に頷くと、須藤は神妙な顔つきになる。
「それだけ強い魔族がこちらに来ているということです。
私はあなたたちを見守る役目として使わされました。
しかしこちらのことに手出しはできないので、戦うのは木立さんに任せるしか。
……すみません」
チワも須藤も目を伏せる。
自分たちではどうすることもできないことを、あゆのような少女に押しつけていることに、心を痛めていた。
「大丈夫です。あゆはああ見えて強いんです。かならず魔族を倒してくれます」
チワが誇らしげに言うと、須藤は優しい笑みを向け頷いた。
「そうですね、木立さんは優しくて強い人です。大丈夫」
チワの小さな頭を須藤が優しく撫でると、チワは嬉しそうな声で鳴いた。
美咲は焦っていた。
学校から帰った美咲は自室に閉じこもり、暗い部屋の中で永遠と一人悩んでいた。
どうしよう、大地があの女に取られたら。
顔だってスタイルだってあの女より
大地への愛だって、絶対に負けていない自信がある。
あんな女のどこがいいわけ?
いつも下向いて自信なさげで、あんな陰キャ女になんか負けない!
美咲は机を激しく叩いた。溢れる感情が抑えきれない。
いつもより息も荒く、さっきから瞬きさえも忘れたようにずっと目を大きく開いている。
その瞳はだんだん血走り、赤く染まっていく。
大地のことが大好き、誰よりも好き。
でも、大地のあの顔……なんだか嫌な予感がする。
どうしよう。
『助けてやろうか』
どこからともなく声が聞こえた。
美咲は辺りを見回すが誰もいない。ただ、暗闇の闇が深まったような気がした。
『おまえの心に直接話している。よく聞け』
頭に直接響くような声に、美咲は戸惑い頭を抱えた。
『大川大地の気持ちをお前に向けさせてやる。
その変わり、おまえの純粋で綺麗な魂をいただく。
これは取引だ、どうする?』
美咲は突然のことで混乱していたが、ひとつだけはっきりしていたことがあった。
「大地が……私を好きになってくれるの?」
そのことが、美咲の気持ちを捉えて離さない。ずっと願っていたことだったから。
『そうだ、取引するか?』
「もちろん。大地の気持ちが手に入るなら何でもする、何でもあげる!」
『……成立だな』
その声を最後に何も聞こえなくなった。
辺りは静まり返り、元の暗闇に戻る。
美咲は興奮していた。
大地の気持ちを手に入れることができる……。
しかし、それと同時に心に違和感を感じる。
何か大切なものを無くしてしまったような……。
それが何なのか、美咲にはわからなかった。