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第8話 おくらいさん


 ■


 ──さいってーの町


 引っ越してきた町に対しての、聡子の忌憚の無い感想である。


 この倉井町は典型的なド田舎町であり、根がシティガールである所の彼女にはどうにも性に合わないのだ。


「さいってーの町っ」


 今度は口に出して言う。


 吐き出した言葉は夜気に溶けた。


 時刻は19時を回るかどうかと言った所。


 この日は雲が厚く、月も見えない。


 粗く舗装された地面を、靴が摺り上げる乾いた音が妙に聡子の耳に残る。


 聡子は塾が終わって帰宅中であった。


 ・

 ・

 ・


 聡子は倉井町が嫌いだ。

 何もないから。


 倉井町の住人が嫌いだ。

 馴れ馴れしいから。


 ではなぜそんな嫌いな町に住んでるのかといえば、それは父親の転勤についてきたからだ。


 高校2年生となったばかりの聡子だが、1年生までは都内某所の進学校に通っていた。


 しかし父親の地方転勤に伴って、転校を余儀なくされたのだ。


 聡子に母親はおらず、父親が単身赴任をするとなれば親戚の家に預けられる事になる。


 だがその親戚と聡子は非常に相性が悪く、それならば父親についていくということになったのである。


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 ・


 新天地での日々も勉学は怠らない。


 聡子は目指してる大学があり、そこへ合格したならば父親のあらゆる支援の下、独り暮らしを満喫する事ができる。


 だから学校の後は学習塾(田舎だが一応塾くらいはあるのだ)へ向かい…その帰路は夜道となる。距離的には徒歩20分程度だが、夜道ともなるとそれ以上に長く感じるものだ。


 しかも彼女の住む田舎町は街灯が不足しており、特に夜になると真っ暗になってしまう。


 ──それが、いやなんだよね


 聡子は内心呟きながら、やや肩を縮めて歩みを早める。彼女は気が強い方だが、それでも夜道を長々と歩くというのは内心で肝が冷える思いであった。


 勿論これは聡子に限った話でもなく、大人だってそうだ。


 特に大人達などはメンツもあるからか決して口には出さないが、倉井町の"闇"には背筋がうすら寒くなるような何かを感じていた。


 町内会で街灯をもっと設置しようという話が出た事もある。だが……



『いやあ、まあそうなんですけれどね。ほら、こんな産業がろくにないようなトコですから…維持費もね。馬鹿にならないでしょう?』



 そんな言葉で濁されてしまう。


 だから街灯設置という提案が実現する事はなく、毎回放置されてしまうのだ。


 毎回だ。


 なぜかそうなってしまうのだ。


 一度は街灯設置派が人数をそろえて多数決の原理で話を進めようとした事もある。


 しかし、どういう理屈か最終的には必ず街灯設置の話はうやむやになってしまう。


 それは不気味というほどではないが、奇妙な話ではあった。


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 ・


 ──あそこ、通ろうかな


 聡子は思う。


 まだ暫く続きそうな帰路に些か辟易としたのだろう。これもまた不思議な話なのだが、倉井町の夜道というのはいくら通っても慣れるという事がない。


 だが、ショートカットもできる。


 彼女が言う所の"あそこ"を通れば大幅に時間短縮をして帰宅できる。


 町の住人がその道を"隠ン道おんみち"と呼んでいる事を聡子は知っている。


 一度友人に由来を尋ねた事もあるが、かれらの誰一人として詳しい由来を知る者はなかった。ただ、親からそう教えられたというのだ。


 近道に見えるけれど、決して通ってはならない道だとして。


 その道には『オクライさん』が出るのだと大人たちは言う。


『オクライさん』とは倉井町に伝わる都市伝説の怪異で、夜道を歩いている人がいると、その背にぴったり張り付く様にしてつき纏ってくる…らしい。


 よくある話だ。


 古今東西、夜道に出没する怪異の話などははいて捨てる程にある。


 当然大人たちもそれをまるっきり信じているわけではないが、彼等の親、もしくはそのまた親の者達が酷くおっかない顔をして大人たちへと警告してきた。


 その真に迫った様子に、大人たちも何となく"隠ン道おんみち"は良くないものだと考える様になっていた。


『帰りは"隠ン道おんみち"を通ってはいけないよ。夜はオクライさんが出るからね』


 ──くだらない


 塾の講師からそんな事を聞かされた聡子は鼻で笑う。


 やれお化けだモノの怪だなどと、この令和の時代に何を言うのか、と。


 生きている人間の方がよほど怖いじゃないか、と。


 聡子には、根拠のない話に行動を左右されている倉井町の住人が馬鹿に見えて仕方がなかった。


 ■


 薄紗をかけたような闇が、倉井町を覆い尽くしていた。


 たまに見かける街灯はスポットライトのように、その光を散発的に道に落とし、その外は闇という海に飲み込まれていた。


 この町の街灯の数は少ないが、0というわけではない。


 聡子の足音が規則的に響く。


 聡子は意図して強く足を踏み出していた。


 理由は彼女にもさだかではない。


 いや、心のどこかではその理由に気付いているのかもしれないが、生来の強気な性格がそれを認める事を拒絶していた。


 しかしその強情も、鬼道に足を踏み入れて数分もしないうちに崩れ去ってしまう。


 濃いのだ。


 闇が、濃い。


 ・

 ・

 ・


 不気味な影が至る所からひそかに自分を観察しているようで、あるはずのない視線を感じ取るたびに、聡子の心臓は跳ね上がる。


 風が唐突に吹き抜け、枯れ枝が地面を引きずるような音に聡子は息を呑んだ。


 はっ、はっ、という密やかな息遣いが聞こえてくるのだ。


 だが、その息遣いに意識を集中させると途端に静まり返る。


 気のせいだと再び歩きだすと、やはり息遣いが聞こえてくる。


 聡子はたまらなくなって、後ろを振り返ろうとするが…


 ──だめ


 本能がそれを掣肘する。


 振り返ってはいけない。


『振り返りさえしなければ、オクライさんは何もしないから』


 塾の講師もそう言っていたではないか。


 この時点で既に、聡子は『オクライさん』の存在を本能的な部分で信じる様になっていた。


 足を早めると、ふわりと何かの臭いが鼻を擽る。


 ──何かが、腐ったような臭い…?


 肉が腐ったような、卵が腐ったような…そんな臭いが周囲に立ち込めていることに聡子は気付いた。


 はっ、はっ、という息遣いがまた聞こえてくる。


 その音は先程よりも近くて聞こえたように、聡子には感じた。


 ■


 聡子が"それ" に気付いたのは隠ン道おんみちに踏み入れてから10分やそこらの事だった。


 暗い道の先、散発的に設置されている街灯の下に誰かが立っている。


 スーツ姿の男性だ。


 こちらに背を向けて、俯きながら立ち尽くしている。


 何か確信があっての事ではないが、聡子は"普通じゃない"と思った。


 理屈ではなく直感である。


 男性との距離が近づくにつれて"普通じゃない"という思いは強くなっていった。


 そして、その距離がほんの数メートルという所まで縮まった時、聡子は思わず息を止めてしまった。


 なぜならばその男性の着ているスーツは所々破けており、ドス黒い痕が各所に染みついていたからだ。


 もう一つ気付いた事もある。


 それは、先程からする腐敗臭が目の前のスーツ姿のサラリーマンからしている、という事…。


 ──"アレ"の顔を見ちゃダメだ


 聡子は根拠なくそう思った。


 ・

 ・

 ・


 ……れェま、す、か


 ゴボゴボという泡立つような音と共に、男は何かを言った。


 聡子は答えない。


 自分に向かって尋ねているのか定かではないし、なにより相手は知らない男だ。


 夜道ということもあり、とても話をする気になどなれなかった。


 勿論、そういった常識的な理由だけではなく、男から発されている異様な雰囲気に気圧されたというのもある。


 ……くゥゥれェま、す、か


 男が再び言う。


 ──くれますか?


 聡子にはそう聞こえたが、当然答えない。


 酷く抵抗があったものの、俯き、なるべく男を見ないようにして足早にその場を後にしようとする。


 しかし、男の横を通り過ぎた所で僅かに足がとまってしまった。


 なぜなら…


 ……目ェ、鼻ァ、口ィ、くゥゥれェま、す、か


 背からそんな言葉が聞こえてきたからだ。


 ■


 聡子は瞬間的に気道が狭まったような気がして、ひゅ、と息を苦し気に飲み込んだ。


 そして何を思ったか、振り向いてしまったのだ。


 一体何が起こっているのか、男は何者か。


 聡子の精神は未知が齎す恐怖に耐える事ができなかった。


 恐怖とは大部分は未知が齎すものであり、人は恐怖を耐えよう、あるいは克服しようとするとき、未知を既知へと変えようとする悲しい習性がある。


 聡子の視界に飛び込んできたのは、襤褸スーツを着こんだ男性であった。


 ただ、男性だというのはあくまでスーツや髪型でそう判断したにすぎない。


 普通顔をみれば分かるものだが、この場合はその情報が極めてすくなかった。"それ"が男なのか女なのかもわからない。


 目がない、鼻がない、口がない。


 穴のような、真っ暗な何かが本来目鼻があるべき箇所へついていた。


 聡子は目を見開き、悲鳴をあげることすらも出来ずに後退る。


「れえええぇぇェェまぁ、すうううううかああ」


 男が一歩前へ進む。


 聡子が一歩後ろへ下がる。


 そのやり取りが何度か繰り返され、聡子の精神がようやく遁走への暖気運転を完了した時、彼女は勢いよく駆け出す。


 頭のすぐ後ろから、はっ、はっ、という息遣いが聞こえたような気がした。


 ■


 聡子が駆け出してすぐ、点々と設置されていた街灯の明かりが一斉に消えた。


 しかしだからといって足を停めるわけにはいかない。


 背後からは『くれますか、くれますか』と声が聞こえてくるからだ。


 革靴が地面を打つ音、まるで喉に液体でもためこんだまま喋っているかのようなゴボゴボとした声。


 聡子は再び背後を振り返る気にはならなかった。


 ──助けて


 そんな陳腐な台詞が脳裏を過ぎるが、今はまず逃げる事だと聡子はひたすら足を動かした。


 しかし走れども走れども、道は続く。


 本来ならとっくに大通りに出ていてもおかしくはなかったが、どれほど走っても道は続く。


「な、なんっ…で」


 聡子は喘ぐ様に声をあげる。


 様々な意味を内包する"なんで"であった。


 なんで道がずっと続くのか。

 これほど走り続けているというのに。


 なんでこんな目にあわなければいけないのか。

 何も悪い事はしていないはずなのに。


 なんであんなモノがいるのか。

 この令和の時代に。


 ──なんで、なんで、なんで


 ・

 ・

 ・


『目ェ、鼻ァ、口ィ、くゥゥれェま、す、かァァ?』


 ごぼついた声と共に、聡子の肩に何かが置かれた。


 聡子はひっと細く悲鳴をあげ、肩のそれを見る。


 それは手であった。


 土気色をした肌、ボロボロの皮膚、破けた皮の間から赤黒いものが見える。


 そして悪臭。


 腐った手だ。


 聡子はついに捕まってしまったのだ。


 なんで、私が目を、鼻を、口をあげないといけないのか…


 そんな事を思いながら、聡子は意識を失った。


 精神がとうとう限界を迎えたのだ。


 はっ、はっ、と言う息遣いが聞こえたような気がした。


 そして、ぐしゃり、という音。


 ■


 聡子が目を覚ましたのは翌日の朝の事だった。


 道で倒れていた所を通行人が見つけ、救急車を呼んでくれたのだ。


 そしてそのまま小さな町病院へと運ばれ、検査をしたものの特に異常はなく、疲労か貧血かということでそのまま寝かされていたという次第であった。


 ・

 ・

 ・


「ん、ンー。目が覚めたのは良いンが、まだちょっと顔色が悪いね。ンー…」


 もうずいぶんな高齢になろうかと思われる町医者は、言葉端に独特のニュアンスを貼り付けながら聡子に言った。


 老医の言葉に聡子は答えず、ベッドに横たわったまま視線もあわせようとしない。


「なんぞ、見たかね」


 だが、老医のその言葉に聡子ははっとし、医者をマジマジと見る。


「ええと、小室さんだったかね。あンたが倒れていたのは、陰ン道おんみちの近くだというし。もしかしたらと思ったンだが」


 はあ、と老医はため息をついた。


「……なにか、知ってるんですか、あの道のこと」


 聡子はぽつりと老医に尋ねた。


 ■


「実際それが本当かどうかは儂は知らンがね、この町の爺さん婆さん連中なら大体知っている昔話がある。この倉井町はまあ、結構古くからある町でね、歴史っちゅうもンがあるわけだ。その歴史を紐解くと、これがまた随分な目に遭って来たというかな、良くない事が頻発してきた土地だっていうのが分かる。それでな、そういう土地で暮らしていく為に昔の人はどういうことをしてきたかっていうと…こりゃまた非科学的な事この上ないが、人身御供っちゅうのかな。そういうのを捧げてきた訳ですよ…」


 老医はそこで言葉を切って、息を継ぎ、再び口を開いた。


 老医の話では、立て続けに起こる災いを鎮めるべく、当時の人々は人身御供…生贄を捧げてきたらしい。


 ただそれは物語などでよくある、本人の意志とは無関係に…というわけではなく、自発的意思に基づく志願という形を取っていたとの事だった。


 無理やり命を捧げさせたのでは禍根が残る。禍根は災いを鎮めるどころか、強めてしまうからだ。


 果たしてそれが功を奏したか、災いは鳴りを潜め、この地域には平穏が戻った…とのことだった。


 災いを喰らい、土地を守る霊…『御喰らい様』というのが正式名称で、それが現在の「おくらいさん」の原型だという。


「え、でも…」


 聡子は思わず口をはさんだ。


 災いを喰らって私たちを守ってくれるというのなら、"アレ"はなんだったのだ、と聡子は内心で思ったし、筋違いだとは分かっていながらも老医に抗議しようとさえした。


 だが


「陰ン道はですね、鬼道おにみちと昔呼ばれててね。あまり良くないモノの通り道だって、儂なンかは母親から教えてもらってね」


 老医がそういうと、聡子は黙り込む。


「特にね、夜は通るな、と。おくらいさんも昔ほど強くはないんだから、と。危ない事はせんでおくれよ、と」


 老医は立て続けに言葉を紡ぐ。その声の響きには、どこか聡子を責めるようなものがあった。


「まあ、小室さん。あンたは無事戻ってこれたみたいで良かったよ。おくらいさんが護ってくれた…のかも知れないねぇ。でも、たまぁに、ね。何年かに一度は戻ってこない人もいるンだよ」


 老医はそう言って、窓に視線を向けた。


 聡子の脳裏に、あの時の事が蘇る。


 自分を追ってくる化け物。


 延々と続く道。


 そして、何度も感じたあの息遣い。


「あの、おくらいさんってどういう…えっと、姿をしてるんですか?」


 聡子は尋ねる。


 老医はふむ、と顎に手を当て、暫時思案した。


「姿は誰にもわからないンですよ。ただ、とても…哀れというかね、土に長年埋められていたものだから、姿が崩れている…らしい。だから自分の姿を見られることをとても嫌がるのだとか。そして、ほら、生き埋めにされたら呼吸できないっていうでしょう?だから息をね…」


 はっ、はっ、と切らせているのだとか。


 老医はそこまで言うと、他の回診があるといって病室を去ってしまった。



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