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第7話 おおめだま

 ■


「純太、そろそろ寝なさい」


 絵里が言った。


 絵里は純太の母、いわゆるシングルマザーだった。


 都内某所の病院で、看護師として働いている。


 夫である信二とは2年ほど前に別れ、以来女手一つで純太と自身の生活を支えていた。


 といっても、信二からの養育費や財産分与、更に慰謝料などもあり、生活が苦しいというわけではない。


 絵里の稼ぎもあったし、二人は都心の高層マンションの上層階に住んでも特に困らないだけの生活水準を保つことができていた。


 14階の1404室。そこが絵里と純太の部屋である。


 そんな絵里だが、最近ちょっとした悩みがある。


 深刻なものではない。よくある悩みだ。


 子供が、純太が夜更かしを覚えてしまったのだ。


 小学校5年生になる純太に、絵里はやれスマホだ、やれタブレットだなどと買い与えてしまった。


 これには一種の負い目もある。看護師としての不規則な勤務時間から、親子の時間を共に過ごせない事が多いという負い目だ。


 夜、一人で留守番をする息子が寂しがらないように色々買い与えようというのは、母親として一種仕方ない部分もあった。


 ■


「うん~…」


 絵里の注意に純太は気のない返事を返す。


 だが視線はタブレットに吸いつけられ、絵里の言葉など馬耳東風といった有様であった。


 ──ここの所ずっとこんな感じね


 絵里は内心でため息をついた。


 ──私が夜勤の日も全然寝ていないようだし…


 そう、純太はあろうことか所謂オールという奴までやらかしていた。


 そのせいで日中、学校で居眠りをしてしまったことも一度や二度ではなく、学校からもそれとなく注意を受けていたのだ。


 絵里も毎日夜勤というわけではなく、日勤の日には夕方過ぎに、準夜勤の日には深夜に差し掛かる前には帰宅しているのだが、そういった日にも純太の寝つきは遅い。


 絵里としてもここは厳しく接し、最悪スマホやタブレットを没収することも考えはした。


 しかし、如何せん負い目というものがあり、厳しい態度を取る事ができない。元はといえば、純太の寝つきが悪くなったのは、夜寂しがるようになったのは、自分と信二の険悪な口喧嘩が原因ではなかったか?


 そう思うと、絵里はやはり厳しくはできなかった。


 ■


 ある日の夜、絵里は一計を案じた。


「ねえ純太?お外を見てごらん」


 絵里は言う。


「ほら、あのビルの屋上…赤い光がついているでしょう?」


「よく見て。ついたり…消えたりしているように見えない?」


 絵里は純太の部屋から丁度真正面に建つ高層ビルの航空障害灯を指さした。


 航空障害灯とは、飛行機やヘリコプターなどが飛行中、建物やクレーンなどの障害物に接触しないよう建物の目印として点灯、あるいは明滅させるランプの事だ。


 絵里が指さすビルは特に大きく、航空障害灯もよく目立った。


「あれはね、お化けの目が光ってるのよ。ついたり消えたりしているのは、怖いお化けが目を閉じたり、開いたりしているからなの」


「あの目はね、とってもとっても大きいの。小さく見えるのは、遠くにお化けがいるからなのよ」


「お化けはね、悪い子を探しているの。夜眠らなかったり、嘘をついたり。そういう悪い子を探して夜あちらこちらを探し回っているんだよ」


「よぉくみて、純太。あの赤い光。おばけの目の光…こちらを見ているようにみえない?純太、どうする?お化けがこっちを見ているよ。純太が夜寝ないから、今度はこの子供を地獄につれていってしまおうかってこっちを見ているよ」



 純太は最初、絵里の言葉に半信半疑だった。しかし母親はこれまで純太にウソをついたことがない。その信用が純太の心の秤を、信用のほうへと傾かせた。


 純太は窓の外を覗き込む。


 かつては街の夜景の一部に過ぎなかった赤いライトが、今では暗闇の中の目のように不気味に輝いていた。その夜、純太はベッドに横たわりながら、絵里の話を何度も頭の中で再現し…


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 大きく膨らんだ目をした怪物が街を見回していた。


 大きいのは目だけではない。


 "それ"はビルより大きい、ゴ●ラよりずっと大きかった。


 姿形はよくわからない。


 にょろりと細長い胴体、その先端に只管大きくて、赤い目がぎょろりとぎらついているのだ。


 そんな怪物の視線が自分の住んでいるマンションへ向けられているのを純太は感じる。


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 翌朝、純太はハッと目を醒ました。


 時刻は午前6時すぎだった。


「おかあさん、昨日、こんな夢を見たんだけど…」


 純太の脳裏に不気味な一つ眼の怪物が想起される。


「ふうん、もしかしたら純太が夜更かしばかりしているからかもね?」


 絵里は薬が効いたと思ったのか、手を振ってまともに取り合わなかった。「ただの夢よ」と絵里は言う。内心では、もう少し怖がってくれればしつけしやすくなって良いとすら考えていた。


 ■


 悪夢は続く。


 毎晩、少しずつその生き物は純太の家に近づいてきた。


 ぎょろり、にょろりと胴長の奇妙な怪物が純太の住むマンションへと近づいてくる。


 そして、夢の中で純太はある事に気付いた。


 この怪物が、純太だけを狙っているわけじゃないということに。


 怪物を呼んだのは母親である。


 純太はそのことを、理屈ではなく直感で理解した。


 ──あのお化けは、お母さんを狙っている


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 ある夜、眠る前。


 純太はあることを思いついた。この悪夢をおわらせることができたら?つまり…


 ──あのお化けを、僕がやっつける。お母さんは、僕が守る


 純太は夢の中で怪物が近づいてくるのをドキドキしながら待った。


 怪物がベランダのすぐ外まで迫り、その目が自分の目と同じ高さになったとき、純太は自分でも知らなかった勇気を出して手すりから身を乗り出した。


 ──弱点は目だ!やっつけてやる!僕が!


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 朝日が昇る。


 早朝の静けさは、純太のアパートの外での騒動によって打ち砕かれた。パトカーや救急車が通りに群がり、ライトを激しく点滅させていた。


 近所の人たちが集まり、ひそひそ話しながら警官がマンションへ向かうのを見送る。


 ──どうしたの?


 ──このマンションで、その、飛び降りがあったみたいなのよ


 井戸端主婦たちが騒めく。


 ──1404室だって…お子さんが、ね


 ■


 それから暫く経つ。


 Fマンション14階の1404室にはもう誰もいない。


 かつてはとあるシングルマザーとその息子が住んでいたが、いまはもう居ない。


 だが、以前との違いはそれだけだろうか。


 いや、もし万が一、件のシングルマザーかその息子がこの場にいたならば一つの違いに気付くかもしれない。


 それは、子供部屋の窓の向こうの光景。


 あれだけ大きくそびえていた高層ビルが、なぜか無くなっている事に。




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