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第2話 ささくれ、きえた

 ◆


 今年小学校4年生となる恩田 まなみは「消えたい」と願った。


「死にたい」ではなく、「消えたい」である。


 これらは似てはいるが異なるモノなのだ。


 まず根源が違う。


 前者の根源は「辛い」から来るのに対して、後者は「しんどい」から来る。


 では「しんどさ」とは一体どのようなものなのか。


 それは概ねこの様なものであった。


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 ──あーあ


 インフルエンザで一週間ほど学校休んだまなみは、最初こそ同級生から心配されたりして嬉しかったのだが、すぐに元の日常に戻ってしまった為に内心で酷く落胆している。


 特に思いを寄せる "たくちゃん" がちょっと可愛いだけの "れいこ" と仲良くしているのを見ると、胸がぎゅっぎゅっとしてしまうのだ。


 ──あーあ


 まなみは再び胸中でしょぼくれ散らし、机に目を落とした。


 クラスで虐められているというわけではなく、件の "たくちゃん" に嫌われているというわけでもないのだが、まなみはなんだかしんどい。


 病気で一週間も休んだというのに、病み上がりだというのにいつも通りのクラス、いつも通りの皆だ。


 最初は「大丈夫?」なんて言ってくれていた友達も、1日2日と経つにつれて余り構ってくれなくなる。


 しんどい、しんどい、しんどい。


 まなみの心がこんなにもよわよわになっているのは、病み上がりのせいというのもあるのだろうか。


 もしかして、とまなみは思う。


 ──みんな、私がいてもいなくてもどうでもいいんだ


 そんな事を思った瞬間、指に小さな痛みが走った。


 見てみると、小指の先には「ささくれ」が。


 ◆


 鬱々としたまなみの日々はそれからも続いた。


 "れいこ" は "たくちゃん" に纏わりつき、なにかと話しかけたり肩に手をあてたりしている。


 "たくちゃん" もまんざらでもなさそうだ。


 対して、まなみは "たくちゃん" に話しかける度胸などないし、毎日鬱々鬱々鬱々としている。


 ──私が最初に好きになったのに


 そんな事を思うまなみだが、結局の所彼女は傷つきたくないだけなのだ。


 "たくちゃん"への恋心が実る事よりも、自分の心が傷つかない事を優先している。


 子供の恋だろうと大人の恋だろうと、そんなものは決して実らない。


 そして"たくちゃん" にしたって、毎日鬱々と暗いまなみなんかより、可愛くて明るくてちやほやしてくれる "れいこ" と仲良くする方が楽しいに決まっており、まなみの恋愛戦線は完全に崩壊、大惨敗の憂き目と相なってしまった。


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 ・


 ある日の夜、まなみはお風呂に浸かりながら暗い表情でなんとなく手を見る。


 右手の小指のささくれが少し長くなっていた。


 ささくれなんてものは放っておいたって然程実害はない。


 目に入れば目障りだというくらいだろうか。


 余程気になるならハサミでちょっと切ってやればいい。


 勿論引っ張ってはだめだ。


 ぴりり、ぴり、とささくれを引っ張れば、皮膚が剥けて痛い上に血もでる。もしかしたら痕になってしまうかもしれないし、物凄く運が悪いとそこからばい菌が入ってしまうかもしれない。


 まなみもそのくらいは分かっていたのだが、この時のまなみはお風呂の熱気でぼんやりしていたのか、もしくは別の理由か、そのささくれをひっぱってみたくなってしまった。


 先をつまみ、ゆっくりと下にひいていく。


 頭の中には "たくちゃん" と "れいこ"、そしてすぐに自分に構ってくれなくなった同級生の皆の姿。


 こじれた承認欲求が幼いまなみの心を蝕み、自身の存在価値を疑わせる。


 ぴり、ぴりりとささくれをむいていくまなみの胸中は、翌日の登校に対する億劫さで大部分が占められていた。


 ──やだなあ、なんだか行きたくない


 皆がみんなまなみを避けている、少なくとも彼女はそう感じていた。まなみが始終暗いので、あえて関わりにいこうとはしないだけなのだが彼女はまだ幼く、自分を客観視できない。


 ぴり、ぴり、ぴり。


 ささくれが剥けていく。


 まなみの小さい指に引っ張られ、剥けていく。


 まなみは「わっ」と声を出した。


 気付いてみれば、ささくれは小指の爪の根本から肘あたりまでむけており、皮膚で出来た細い糸が逆の手の指先に摘ままれていた。


 まなみは「どうしよう」という思いと同時に、不思議な心地も覚えた。


 全然痛くないし、心がちょっぴり軽くなっているのだ。


 試しに、という思いでもう少しだけささくれをひっぱってみる。


 ぴりぴりと、まなみは右脇あたりまで皮を剥いてしまった。


 やはり痛くない。


 それどころか、心はさっきよりも楽だ。


 明日学校に行きたくないという気持ちが大分薄れている。


 ──夢なのかな?


 まなみはそんな事を思いながら、ささくれを、いや、元ささくれであった皮膚の糸を引く、引く、引く……。


 皮が剝ける度に心が軽くなっていく。


 "たくちゃん" や "れいこ" の事で思い悩んでいたのが馬鹿みたいだった。


 まなみは本当にしんどくてしんどくて、なんだか消えちゃいたくて仕方がなかったのだ。


 でもささくれをむいていくとそんな重苦しい気持ちが消えていく。


 ──でも、まだ少し苦しいかも


 もっと楽になりたい、という思いがまなみの中に湧き、まなみは皮を剥き続けた。


 ・

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 ◆


「ねえ、まなみ!いつまでお風呂入ってるの?」


 まなみの母、ゆかりが居間で大声をあげた。


 娘のまなみがもう3時間もずっとお風呂にはいっているのだ。


 ──元々お風呂が長い子だったけど


 ゆかりはそんな事を思い、浴室に向かう。


 幾らなんでも3時間は長すぎる。


 脱衣所にはまなみが脱いだ下着や衣服があり、シャワーの音が聴こえてくる。


「まなみ、開けるわよ?」


 ゆかりは一言断わり、浴室の扉を開けるとそこには──……


「な、なに、これ」


 浴槽に何かが浮いていた。


 肌色の紐の様な、糸の様な何かだ。


 沢山の糸が浴槽にぷかぷかと浮いている。


 はっきり言って気味が悪い。


 だが "確認" しなければならない。


 何を確認しなければいけないのか、ゆかりにも分からない。


 しかし確認しなければいけない……そんな思いがゆかりの中にあった。


「まなみ……?」


 ゆかりの声は震えている。


 応えは無い。


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