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第33話 聖なる愚か者の行進

 鹿目ちゃんと別れて、5日が経過した水曜日の午前12時。


 全てのテストの終了を知らせるチャイムが教室中に鳴り響くと同時に、クラスメイトたちの歓喜の声音が俺の鼓膜を揺さぶった。




「よっしゃぁぁぁぁぁっ! 中・間・テ・ス・ト☆ 終了ぉぉぉぉぉっ!」

「「「「イエェェェェェェ――――ッッ!?!?」」」」

「はぁ~、マジで肩凝ったわぁ~。つーか今回の古文、難しくなかった?」

「おーいっ! このあと打ち上げ行くけど、誰か行くヤツ居るかぁ?」




 行く行くっ! とクラスメイトたちの元気な声が、シャワーのように俺の身体に降りかかる。


 そんな級友たちを尻目に、俺は机に突っ伏して全体重をマイデスクへと預けていた。




「こ、古羊しゃんっ!? も、もしよろしければ我々と、このあと打ち上げに行きませぬか!?」

「ありがとうございます。お誘いは嬉しいんですけど、このあとは生徒会の打ち上げがありますので。そちらに顔を出さないといけないんですよ」




 だからごめんなさい、と勇気を出して声をかけてきたアマゾンに小さく頭を下げる芽衣。


 アマゾンは「そ、そっか。それじゃ仕方ないなぁ……はははっ」と乾いた笑みを浮かべながら、分かりやすく肩を落としてズコズコと自分の席へと帰っていく。


 そんな2人のやりとりをボーと眺めていると、芽衣が俺の方へと振り返って、




「それで? 士狼はテストどうだったんですか? ……って、まぁその態度を見ていれば結果は分かりますけどね」

「芽衣……。なんか気が付いたらテストが終わってたんだけど? 俺ちゃんとテスト受けてた? 記憶がないんだけど?」

「完全に心ここにあらずですね。……まぁしょうがないと言えば、しょうがないんですけどね。なんせ『あんなこと』があった後なんですから」




『あんなこと』と言われた瞬間、俺の脳裏に土曜の夜の光景がフラッシュ・バック。


 そのまま打ち上げられたハマチよろしくビクンッ! と身体を痙攣させてしまう。


 うぅ……コイツ? 思い出したくないことを思い出させやがって。


 まだ傷口が乾いてないどころか、パックリ開いたうえにぬめっているというのに……。


 まさに許しがたい悪鬼の所業。


 世が世なら太ももの内側に『正』の字を書いて、寝取られエロ漫画の刑になっている所だぞ?


 俺は首だけ動かしてジロリッと芽衣を睨もうとしたが、どうにも瞳に力が入らず『じとぉ~……』とした視線になってしまう。




「……本気で好きだったんだけどなぁ」

「そう落ち込んでないで、はやく生徒会室に行きますよ。今日はテスト終わりということで、みんなでお疲れ様会することになっているんですから」




 そう言って、さっさと帰りの支度を終わらせた芽衣がスクッ! と立ち上がる。


 が、どうしても俺の身体はピクリとも動いてくれない。


 まるで職どころかプライドも放った無職のように、無気力なため息を吐き続けるだけ。


 そんな俺の姿を見て、芽衣は軽く肩をすくめてみせた。




「ほらっ! 愚痴なら生徒会室でゆっくり聞いてあげますから、立ってください士狼っ!」

「後で行くから今は放っておいてくれ……」

「後じゃダメです。ほら士狼、立って、立って!」




 グイグイッ! と強めに身体を揺すられ、頭が振り子のように左右にガクガクと移動する。


 そんな茶番を繰り広げていると、前の扉の方から筋肉の申し子こと我らが2年A組の担任、ヤマキティーチャーがひょっこりと顏を現した。




「おーい、古羊会長は居るかぁ?」

「はい? わたしならココですが……どうかしましたか先生?」

「おぉ、すまんすまん。実は来週の修学旅行について、ちょいと話したいことがあってな。今、少しいいか?」

「今ですか?」




 芽衣はチラッと心配するように俺を一瞥してくる。


 安心しろ、別にこのまま帰るつもりなんざ無いから。


 だから行って来い。


 視線で生徒会長さまにそう語りかけると、芽衣も一応は納得してくれたのか、小さく頷いてヤマキティーチャーに満面の笑みを向けてみせた。




「はい、大丈夫ですよ」

「よし、なら職員室に来てくれ」

「分かりました。……それじゃ士狼、あとでね?」




 釘を刺してくる芽衣にヒラヒラと手で合図を返しながら、俺は椅子の背もたれに身を預けて天井を仰いだ。


 5分、いや10分ほど経っただろうか?


 教室から人っ子1人居なくなり、俺1人だけ取り残されたようにマイ・デスクでボーッとしていると、突如、亜麻色の髪が視界いっぱいに広がった。




「あぁ~っ!? もうししょーっ、こんな所に居たぁっ!」

「よこたん……やっほ~?」

「『やっほ~?』じゃないよ、もうっ!」




 ぷんぷんっ! と擬音が聞こえてきそうなくらい頬をぷくぅっ! と膨らませた爆乳わんが、キャンキャンと耳元で吠える。




「いつまで経っても生徒会の打ち上げに来ないし、ししょー以外もうみんな集まってるよ?」

「『いつまで』もって、まだ12時5分くらいだろうが。5分くらいの遅刻は大目に見てやるのも、女の甲斐性というモノだぞ?」

「ナニ言ってるのさ? もう12時40分だよ?」

「……なにっ?」




 よこたんに言われて視線を壁に備え付けられた時計へと動かすと、ほんとだ。12時40分だった。


 どうやら俺は40分近く自分の机でボーッとしていたらしい。


 ソレを脳が理解した瞬間、ぶわっ! と全身の毛穴という毛穴から変な汗が吹き出てきた。


 あ、あぶなかったぁ……。


 あやうく『約束』の時間に遅れるところだったわ。


 いやほんと、よこたんが来てくれて助かったわ。




「ほらほらっ! 準備はボクたちの方で済ませちゃったから、あとはししょーが来るだけだよ? 行こう?」

「ワリィな、よこたん。実はこのあと、ちょっと野暮用が入っててさ。先に生徒会室に行っといてくれ。あっ、荷物よろしく」

「へっ? うわっぷ!?」




 ようやくその場から立ち上がり、よこたんに俺の鞄を乱暴に押しつけ、教室を出ようとする。


 ――寸前で、前の扉の方から「待ちなさい」と芽衣の声が飛んできた。




「どこへ行くの、士狼? もうすぐ『お疲れさま会』よ?」

「だから野暮用だって言ったろ? すぐ戻ってくるから、先に始めといてくれよ」




 そう言って教室を後にしようとした俺の背後から、よこたんが試すような声音を投げかけてきた。




「……そういえば今日だったよね。シカメさんの彼氏さんが3丁目の空き倉庫に行く日は」

「……だな」




 ピタリと足を止め、振り向くことなく簡素に答える。


 そんな俺の様子を確認するかのように、よこたんは言葉を重ねていった。




「もしシカメさんの彼氏さんの言うことが本当だったら、きっと今回はお金を払うだけじゃ済まないよね」

「だろうな」

「ねぇ、士狼?」




 芽衣が妹の言葉をぐように、被っていた猫を放り捨てて、素の口調のまま、その桜色の唇を動かした。




「……それでも行くの? あの子たちは、士狼を騙していたのよ?」




 芽衣の言葉には、少しの怒りと心配の色が混じっていた。


 俺はそんな彼女に申し訳ないとは思いつつも、精一杯の誠意を見せるべく、裏表のない心の声を、理性という名のフィルターを通さず、そのまま口にした。




「きっと俺はさ、これから先の人生、彼女の幸せそうな顔を見るたびに、涙が溢れて、泣きたくなるんだろうな。子どもみたいにわめき散らしてよぉ。そんな俺を見て、きっと周りはまた『バカだ! アホだ!』って爆笑して……そんでまた辛い目に遭うんだろうよ」




 分かっているんだよ、そんなことは。


 この道はきっと、茨の道だってことは。


 痛くてつらくて苦しくて、多分何度も涙を流すことになるだろうってことは、最初から分かりきっているんだ。


 でも……それでも俺は――




「それでも俺は――やっぱりどうしようもなく『男』だから」

「男……だから?」

「あぁ。男だからさ、困っている女の子は助けたくなっちまうんだよ」




 後悔することなんざ、百も承知だ。


 けど、1度は惚れた女が困っているのなら、全身全霊を持って助けるのが『男』ってもんだろう?




「騙されようが関係ねぇ。他に男が居ようが知ったこっちゃねぇ。男だったら、惚れた女が吐いた嘘くらい、全部まとめて守ってやるもんだろ?」

「ししょー……」

「……賢い選択じゃないわね」

「俺もそう思う。でも利口であることが『ベスト』だとは思わねぇ」




 だから行ってくる。


 そう短く彼女たちに告げ、再び歩みを始める。




「バカな人……」

「知ってるよ」




 教室を出る間際、芽衣の苦笑交じり声が鼓膜に届いた。


 それはどこか温かみのあるように俺には感じられた。


 まるで「行ってこい!」と背中を押されているような、そんな気がして、俺は力強く廊下を駆けだした。

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