目の前で俺に告白してきた鹿目ちゃんが、見知らぬ男と抱き合っている光景を前に、頭の中が真っ白になった。
……な、なんだこれ?
どういうことだ?
なんで鹿目ちゃんは、あのとっつぁんメガネと抱き合っているんだ?
気が付くと、俺はすぐ傍の
「それで? 喧嘩狼は、言うことを聞きそうか?」
「うん。多少邪魔は入ったけど、もう少しで完全にワタシに惚れると思う。そしたらあいつ、もうワタシたちの言いなりだよ」
「そうか、そうか! よかったぁ~っ! それじゃもうクズ高の奴らに、金を無心されることは無くなるんだな!」
「うん。これで上手く喧嘩狼を
……鹿目ちゃんの言っている意味が、分からなかった。
俺を唆す?
カツアゲ?
ボコボコにする?
な、なにを言っているんだ、彼女は……?
「けどさ窓花、その後はどうするんだよ?」
「その後って?」
「喧嘩狼とのことだよ。どうするんだ? そのまま付き合うのか?」
「まさかっ!? そんなワケないでしょっ! ダイちゃんがいるのに。適当な理由をつけて振るに決まっているじゃん」
だから安心して? と、俺には向けたことがない笑みを浮かべる鹿目ちゃん。
そんな彼女の返答に満足したのか、とっつぁんメガネが『にへらっ!』と緩んだ笑みを頬に
「だ、だよなっ! だよなっ! そうだよなっ!」
「そうだよっ! それにこの計画を立てたのは、ダイちゃんでしょ? ほんとは嫌だったけど……ダイちゃんのために、ワタシ頑張ったんだからね?」
「――なるほど。そういうことでしたか」
笑い合っていた2人の顔が、突如聞こえてきた凛とした声音によって固まった。
鹿目ちゃんととっつぁんメガネは、弾かれたように声のした方向に視線を向ける。
そこには……2匹の鬼が居た。
「か、会長!? こ、古羊センパイも!?」
慌てたように目を見開く鹿目ちゃんの瞳の先には、静かに生徒会長の仮面を被る芽衣と、これでもかと眉根を寄せて2人を睨むよこたんの姿があった。
突然の2人の登場に
そんな2人に対して、芽衣はいつもの張り付けた笑顔でゆっくりと語りはじめた。
「おかしいと思ったんですよ。今まで士狼と何の接点もなかった鹿目さんが、いきなり告白だなんて……。どうにも腑に落ちなかったんですが、これでようやく合点がいきました」
「シカメさん……ボクたちを騙してたんだね?」
「だ、騙してたなんてっ!? とんでもないです! ワタシは何も騙してなんてっ!?」
よこたんの言及に対して、首を激しく左右に振る鹿目ちゃん。
そんな彼女に芽衣は笑顔で、されど突き放すような冷たい声色で言い放った。
「別に否定しなくてもいいですよ。もう大まかな内容は理解しましたので」
「り、理解って……何を理解したんですか?」
「もちろん、あなたたちの計画ですよ」
そこからはただ淡々と、事務的に事の詳細を口にした。
「鹿目さんは、そこの彼……確か『ダイちゃん』さんでしたっけ? その方とお付き合いをさせて貰っている。でも彼はここ最近、
それで困った彼は何とかカツアゲ犯をどうにかしようと、彼女である鹿目さんに『ある計画』の相談をした、と芽衣は続けた。
「その計画というのが喧嘩狼、つまり士狼を使ってカツアゲ犯を撃退しようという案です。確かに士狼なら、そこらへんにいる不良なんか目じゃないでしょう。ここまで分かれば、あとはもう簡単です。あなたは自分の彼女を使って、士狼を色仕掛けで
そして彼女に惚れた士狼に『自分の
「――といったところですかね。どうですか、合っていますか?」
「「…………」」
「何も言わないところを見るに、正解だったみたいですね」
ベテラン刑事さながらの推理を披露し終えた芽衣は「ふぅ……」とその場で小さく息を吐き捨てた。
その吐息は4人の間を駆け抜ける生温かい風によって、どこかへ運ばれていく。
「ただ、どうしても分からない点が1つだけあります。どうして士狼に頼るんですか? 警察に行けばいい話じゃないんですか?」
「け、警察なんかに行ったら、あとでアイツらに殺されちまうよ!」
叫ぶようにそう口にしたのは、今の今まで沈黙を貫いていた、あのとっつぁんメガネだった。
とっつぁんメガネはガクガクッ!? と身体を震わせながらも、敵意の籠った視線で芽衣を睨みつける。
「お、おまえはアイツらのっ! クズ高の怖さを知らないから、そんなことが言えるんだ! アイツらに手を出したら、もうこの町じゃ生きていけねぇんだよっ!?」
だから絡まれた時は大人しく1回だけのつもりで金を払ったんだ、とメガネは言った。
「殴られるのは嫌だから、お金を渡せば大人しくなるだろうって思って。でも、気がついたら毎週たかられるようになって……。それで、なんとか
「それで、ししょーを……」
「事情は分かりました。けど、そんなあなたの都合に勝手に巻き込まれた士狼には、悪いとは思わないんですか?」
「しょうがないじゃないか!? 来週の水曜日までに3丁目の空き倉庫まで喧嘩狼を連れて行かないと、またオレが殴られるしっ!」
「そ、それじゃアナタの代わりにししょーが殴られても、いいって言うの!?」
「別にいいだろ! 喧嘩強いんだし! ちょっとくらいケガしようが問題ないだろ!?」
そうとっつぁんメガネが口にした瞬間、よこたんの隣に居た芽衣がツカツカと歩きだした。
「メイちゃん?」
「こ、古羊会長……?」
「な、なんだよアンタ……?」
芽衣は困惑するとっつぁんメガネの目の前まで、静かに移動するや否や。
――パァンッ!
と乾いた音が、公園内に響き渡った。
「ブッ!?」
「だ、ダイちゃんっ!?」
いきなり。
いきなりである。
芽衣に顔面をビンタされたとっつぁんメガネが、変な声をあげながら、その場で尻もちをついた。
慌ててそんなメガネの傍に寄り添う鹿目ちゃん。
最初こそ呆然としていたとっつぁんメガネだったが、自分がナニをされたのか理解し始めると、すぐさま顔を真っ赤にさせ、芽衣を睨みあげ――固まった。
「ふざけんじゃないわよ」
そこには生徒会長という仮面を脱ぎ捨てた古羊芽衣が、憤怒の形相で、とっつぁんメガネを睨みつけている姿があった。
「アンタが誰と
「メイちゃん……」
「例え『神様』『仏様』『お天道様』が許しても、アタシだけは許さないッ! 絶対に許さないッ!」
喉から血を噴き出さんばかりの勢いで、とっつぁんメガネを、鹿目ちゃんを批難する芽衣。
「会長……」と呆然としていた鹿目ちゃんが、烈火の如く怒り狂う芽衣の名前を呼んだ。
そんな彼女たちに隠れるように、俺は小さく微笑んだ。
あぁ……俺はなんて幸せ者なんだろうか。
ありがとう、その一言だけで充分だ。
まるで今までやってきたことが全て報われたような、そんな気がして、俺はもう1度だけ微笑んだ。
「~~~~っ!? こ、このっ!? 言わせておけばっ!?」
女の子に
暗闇でも分かるほど『カーッ!』と顏を真っ赤にさせ、今にも芽衣を殴り殺さんばかりの勢いで彼女を睨みつける。
そのままギリッ! と歯を食いしばって、芽衣に向かって大きく拳を振りかぶり。
「だ、ダイちゃん!? ダメっ!」
「あぶない芽衣ちゃんっ!?」
「ッ!?」
鹿目ちゃんの制止を無視して、とっつぁんメガネの拳が芽衣の顔にめり込む。
――ことなく、芽衣の前に身を滑り込ませた俺の手の中に収まった。
「ごめんな、兄ちゃん? 流石に殴るのだけは勘弁してくれや?」
「士狼っ!?」
「し、ししょーっ!?」
「お、大神センパイッ!?」
「ゲッ!? け、喧嘩狼っ!?」
青い顔を浮かべる鹿目ちゃんと、とっつぁんメガネ。
「ど……どうして?」と驚いた顔を浮かべる芽衣に苦笑を返しながら、とっつぁんメガネの放った拳をそっと静かに手放した。
「こ、これは違っ!?」と慌てふためくメガネ。
血の気の失せた顔で俺を見つめる鹿目ちゃん。
その瞳には明らかに俺に対する恐怖が浮かんでいて、それが余計に俺の心を締めつけた。
「お、大神センパイ……なんでここに?」
「鹿目ちゃん。コレ、我が家に忘れてたぜ?」
そう言って彼女のペンケースを差し出した。
鹿目ちゃんは目を丸くしながら、おずおずといった様子で俺からペンケースを受け取った。
「ち、違うんです大神センパイッ!? こ、これには深いワケが……っ!」
「ありがとうな」
「えっ?」
突然のお礼に、呆けた顔を浮かべる鹿目ちゃん。
そんな彼女に、俺は精一杯の笑顔を浮かべて、再びお礼の言葉を口にした。
「こんなクソダセェ俺に、
「お、大神センパイ……」
「彼氏さんによろしく」
そう言って俺は、芽衣の手をとり、よこたんの居る方へと振り返った。
そして彼女に背を向け歩き出す。
愛しき人に背を向け、歩き出す。
「家まで送る。行くぞ、2人とも」
「……いいの士狼?」
俺を見上げる芽衣とは視線を合わせず、ぶっきら棒に「あぁ」と頷き返す。
きっと芽衣の言った「いいの?」には、多分な意味が含まれていたんだと思う。
それでも構わず頷いてみせる。
そんな俺を見て、芽衣は諦めたように小さくため息をこぼして。
「そう、わかった。……帰るわよ、洋子」
「えっ? 本当にいいの、ししょー? だって……」
「これでいいんだよ」
その有無を言わさない口調に、なにか言いたげだったよこたんも、静かに口をつぐんで俺に引っ張られるまま歩き出す。
ぽっかりと胸に空いた喪失感を、夜風がねっとりと通り抜けていく。
――さようなら。
俺はもう何度目になるか分からない恋に別れを告げ、その場を早足で去って行く。
そんな俺の後ろ姿を、鹿目ちゃんは何を言うでもなく、ただ黙って見送ってくれた。