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第17話 101匹のわんちゃん

 その晩、片町で手を挙げてタクシーに乗り込む客は遠距離の送りが多かった。遠距離であれば運賃も高くなる。午前二時の時点で源次郎のタクシー営業の売上金が入ったセカンドバッグには、69,000円と幾らかの釣り銭がジャラジャラと音を立てていた。

 金沢市から約45km離れた加賀市山代温泉までの送迎、帰り道の国道8号線沿いのコンビニエンスストアで源次郎はトイレ休憩を取り、ブラック無糖コーヒーの缶を手に取って精算レジへと向かっていた。突然、右耳のワイヤレスホンで佐々木咲の怒鳴り声が響いた。


「源次郎!」

「なんですか、咲さん、びっくりしましたよ」

「あんた今、何してるの!」

「何って、コンビニでトイレ休憩ですよ」


 確かに、北陸交通株式会社の配車センターのモニター画面では、源次郎の101号車は(空車、緑色表示)で金沢に向けて停車している。


「そこから見れば分かるじゃないですか」

「予約配車よ!」

「はぁ」

「タクシーに乗って!確認!早く!」


 とにかく機嫌がすこぶる悪い。源次郎は思い当たる節もなく疑問形で運転席のドアを開けた。確かに無線呼び出し音がピーピーピーピーとけたたましく車内に鳴り響いている。手元の無線機を取りながらコーヒー缶に口を付け、薄汚れた右上の赤い応答ボタンを押した。


「はい、101号車どうぞ」

「101号車、予約配車です、どうぞ」

「咲さん、なんでそんなに機嫌が悪いんですか」

「源次郎、あんた、若い女のお得意さんは作らないって約束したわよね!」

「はい、浮気になるから咲さんが駄目というので約束しました」

「だよね!」


 すると黒い配車画面に白文字で、(2:30、金沢市片町八億年ビル前、田中様、女性)と表示された。なるほど、この予約配車が不機嫌の元凶らしい。濡れ衣にも程がある。


「・・・・間に合うかな、少し飛ばすか」


 予約配車の指定された2:30に目的地へ確実に到着するにはこの無駄な痴話喧嘩に付き合っている暇はない。源次郎はエンジンキーを回してウインカーを左に上げた。


カチカチカチカチ


 右、左、右の安全確認。金沢市方面に向かう一台の大型トレーラーを見送って片側二車線の走行車線へと合流した。アクセルを蒸かす。力強いエンジン音が響きスピードが加速し、それはあっという間に時速80kmを大幅に超えた。


「源次郎、この子とどんな関係な訳!?」

「この子?」

「若い女の声だったわよ!後ろは賑やかだったし!あんた、またガールズバーに通っているんじゃないでしょうね!」

「まさか、咲さんと井浦さんとのお付き合いで精一杯ですよ」


 小松市、川北町、松任市、フロントガラスの前から後ろへと流れて消える街灯の明かり、漆黒の田畠を抜け、大きな交差点の赤信号で停まる。


(ふぅ、間に合いそう、かな?)


 目の前にはガソリンスタンドやパチンコ店と賑やかなLEDライトの看板が源次郎を迎え、ダッシュボードの表示板を(予約車、青色表示)に切り替えた。


「じゃあなんで源次郎がご指名なの?」

「知りませんよ」

「それに!」

「それに、何ですか」


 佐々木咲は一呼吸置き、さらに大きな声で怒鳴った。


101、お願いします、だって!」

「はぁ」

「101番のタクシーならまだしも、101!なに、その馴れ馴れしい感じ、くっそウゼェ!」

「咲さん、お客さんですよ」

「とにかく、帰ったらお仕置きよ!」

「わあ♡楽しみ」

「そのお仕置きじゃないわ!」


 そうして佐々木咲の一方的な怒鳴り声は、ピロンという音と共に静かになった。それにしても不思議だ。


(女性、それも若い女の子が僕を指名?)


 同僚のドライバーの中には無料で送迎する代わりにそのままラブホテルにしけこむ者や、個人的に逢瀬を重ねて結婚に至ったケースもある。その現状を知った佐々木咲は、源次郎に「女性の顧客は厳禁!」とお灸を据えた。以来、源次郎は女性客の名刺を一枚残らず捨て、携帯電話の携帯電話番号、メールアドレスを着信拒否にした。


「携帯電話番号も消去ーーーーーーーーー!」


 佐々木咲は携帯電話をむしり取ると、源次郎の女性の顧客をこの世から抹殺した。筈だった。それが謎の若い女性が101号車を101などとふざけた名前で指定して来た。佐々木咲は疑惑と嫉妬で怒り狂ったが、源次郎は妙な違和感を覚えた。


 源次郎が金沢市の繁華街、片町スクランブル交差点の歩道脇にタクシーを横付けしたのは2:25と予約時間ギリギリだった。しばらくの間、黒革のハンドルへと前のめりにもたれ掛かり、なる若い女性が現れるのを待った。その待ち時間に何組かの酔いどれ客が後部座席の窓を叩いたが「すんません、予約車なんで」とお断りした。2:35 になってもその若い女性は姿を現さなかった。源次郎は配車センターに無線で連絡した。


「101どうぞ」

「はい、101号車どうぞ」


 その声は佐々木咲ではなくもう一人の男性職員だった。少しばかり安堵した。


「なぁ、八億年ビル前の予約配車、2:30 で間違いない?」


 無線の向こうからマウスをカチカチとクリックする音が聞こえて来た。


「はいはい、島畑さんの配車で間違いないですよ」

「その客、他の車に乗ってねぇ?」

「うーーーーん、その様子はないね、だいたいみんな金沢駅向きの路肩とパシオンビルの行列に並んでるわ。客乗せて走っている奴はいないね」

「そうか」


 タクシーの動向は配車センターのパソコンモニターで全て把握されている。源次郎の101号車は(予約車、青色表示)で指定された場所に停車していた。周囲に北陸交通で(実車、赤色表示)客を乗せたタクシーは走って居ないと言う。


プププ プププ プププ


 その時、右耳のワイヤレスホンが鳴った。携帯電話の着信表示画面を見ると井浦の名前が表示されている。こんな時間に何事かと応答するとこれまたギャンギャンとうるさい。あぁ、どうして僕の周りには直情型の人種が多いのかと左耳に指を突っ込んだ。


「しまじろー分かったぞ!」

「なにが、どれが分かったんですか」

「ゴシゴシ女のパパ活の相手だ!」

「芽来さんの名前、キラキラからゴシゴシに変更になったんですね」

「そうだ!」

「で、パパ活のお相手のお名前はなんと仰るんですか?」

「田中」

「え?」

田中 真一たなかしんいち58歳、会社役員だ」

「田中?」


 コンコンコン

白い握り拳、曲げられた人差し指、逆光の中に 2:30 の女性客が101号車の後部座席の窓を叩いた。


「じゃ、お客さんなんで切りますよ」

「おい、しまじろー!」

「また後で」


ピロン



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